スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

領土問題(パートⅠ)『国境』

2014年05月23日 | 雑感
17世紀半ばに「主権国家」が生れたことで国境の概念が見直されるようになった。

この国家が歴史上明確な形となったのは、ヨーロッパで30年戦争の後で結ばれたウエストリファリア条約(1648年)のころといわれている。この条約ができたことで固有の領土を持つ国家(主権国家)が誕生したという。

16世紀から18世紀初めまでは、新たな土地を「発見」したものがその所有者だった。

その後人が住んでいても、その土地がどの国にも属していなければ「無主の土地」として認められないとし、19世紀後半に入り、いわゆる「先占実効支配」と称し、「実効支配が国際法上の領土先占の要件」と時の欧米植民地・帝国主義の利益優先として勝手気ままなる定義が創られ今日に至っている。


実行があるというは、土地を現実に占有し、有効に支配する権力をもうけること。
ある程度の行政機関・警察力・兵力が必要とされる。

近代ヨーロッパ強国が多民族の領土を略奪するのを正当化するために考え出した「無主地先占の法理」
としかいいようがない。


そして肥沃な土地やそこに眠る天然資源が各国間の紛争の種となり、さまざまな戦争がそこに生れる。
本来国家間の合意で国境が策定されるのですが、互いの利益が複雑に絡まり二進も三進もいかなくなる。

さて日本はというと、、、日本国の領域とは。

領土(国家主権が及ぶ陸地部)・領海(沿岸12海里22キロ以内)・領空(領土領海の上空のみ80~120㎞)

無数の島(6852の島ー100mからなる)日本の国土。 本島以外は全て島。
日本の四隅は、択捉島・沖ノ鳥島・南鳥島・与那国島。 いずれも離島。

問題はその範囲内にある北方四島・竹島・尖閣列島。 豊かな漁場・多大な資源が眠る島々だ。 

現在の日本の領土は、「1943年カイロ宣言」・「1945年ポツダム宣言」を経て最終的には「1952年サンフランシスコ平和条約」によって決まったといわれる。

「1943年カイロ宣言」  
  ルーズベルト(米)・チャーチル(英)・蒋介石(中華民国)が会談。対日戦争の基本方針と戦後処理方針を発表。
  領土については、第一次世界大戦、日清戦争などで日本が得た土地を放棄するよう求める。

「1945年ポツダム宣言」
  日本はポツダム宣言を受諾。8条ではカイロ宣言の条項を履行するよう求められた。

「サンフランシスコ平和条約」
  条約発効。カイロ宣言とポツダム宣言は領土について具体的な取り決めを行ったものではなく、
  この条約で日本の戦後の領土が正式に決められた。

     

この「サンフランシスコ平和条約」で日本の放棄すべき地域をリストアップしたが、《尖閣列島》・《竹島》・《北方四島》はその中に入っていないという一貫した日本政府の見解です。

  条約第2条で朝鮮の独立を承認し、続けて日本が権利を放棄する地域を、固有名詞で挙げている。
    ① 済州島・巨文島・鬱陵島を含む朝鮮
    ② 台湾・澎湖諸島
    ③ 千島列島・南樺太とこれに近接する諸島

  尖閣列島も竹島も含まれていない。さらに厄介なのは北方四島の解釈だ。

じゃ、どうして《中国》・《韓国》・《ロシア》との間でこうも争っているのだろうということになる。


領土問題(パートⅡ)では 『尖閣列島』 を取り上げてみることにした。

領土問題(パートⅡ)『尖閣列島』

2014年05月23日 | 雑感
中国は、いつから尖閣を中国領と言い出したのか。
1971年、76年間も沈黙していた中国と台湾が、突然「侵略・強盗の論理」で激しく非難しはじめた。


その3年前、国連アジア極東経済委員会が東シナ海海底の学術調査を行い、同海底におよそ1000億バレルに相当する石油が埋蔵されている可能性が高いと発表した矢先でした。

世界第三位のイラクに匹敵する油田が眠っていることになる。
 
なぜそのタイミングで言い出したのか、、と日本が言うのも頷ける話ではある。

<尖閣は中国の領土>との立ち位置の書も読んでみようと思い、次の書を探した。 
井上清著 『尖閣列島』(釣魚諸島の史的解明)という本だ。 
井上氏(1913年 - 2001年)日本の歴史学者。京都大学名誉教授。

日本政府は日中間に領土問題は存在しないという立場をとっている。

「時の明治政府が再三調査をし、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、
 現地に標杭を建設する旨の閣議決定をおこなった」 としているのだ。

いわゆる尖閣は無主地だとし、国際法上での「無主地先占の法理」による実効支配だ。

しかし、<いや尖閣は中国の領土>とする井上氏の反論はこうだ。

国際法なるものは、「他国に対して自国の行動を正当づける」ためにもちだされた法理ではないのか。

明、清の時代に中国領を証づけるの中国の文献・記録・図説があることを主張。
中国・琉球の文献のみならず、日本の林子平の『三国通覧図説』の付図までもちだす。

(長くなりそうなので、これに関しては次の機会にブログに載せます)

領有に関しての日本政府の調査についてもこう反論する。

1885年の内務大臣命での沖縄県の調査のみであり、しかもその結果を報告したという沖縄県は、

「国標建設ノ儀ハ、清国トノ関係ナキニシモアラズ、万一不都合ヲ生ジ候テハ相スマズ」

との文を載せ、この島に対する清国の権利を暗に認めて、国標の建設を躊躇していた、、 と。

また その沖縄県命の伺いに対し、日本政府側の内務・外務も連名で、

「書面伺ノ趣、目下建設ヲ要セザル儀ト心得ベキ事」と指令していた。

内務・外務もまた、中国の抗議を恐れ、いますぐの領有には反対し、あきらめた経緯もあり、
歴史の偽造もはなはだしい、、 と。

また、1896年に政府が時の事業家・古賀辰四郎に30年の無償貸与を許可し実効支配を推し進めた
ことに関しても、、、。


釣魚島開拓の許可願いを沖縄県に出した時、県は「島の所属が帝国のものなるや否や不明確なりし為に」
とその願いを二度にわたり却下。

それから9年も経ってから日本が日清戦争で、日本の勝利が確実になった時を見はからい
釣魚島に標杭を建てさせるを沖縄県と秘密文書(朱赤の秘とされ)にて協議したではないか。

、、などと反論している。
しかも、その後標杭は何年経っても建てられず。建てたのは実に1969年。尖閣に豊富な油田ありとされ、領有権が日中間で争いのまととなってから初めて、琉球の石垣市により標杭が建てられたという。

自分の立ち位置を確認する絶好の書と思い、読み進めたまではいいのですが、どちらも一理あるなあ
なんて思ってしまい 生来の風見鶏のせいか、その立ち位置が余計分からなくなってしまったようです。


この本を読んで感じたことは、『断言することの恐ろしさ』 であった。

中途半端な知識で断言する 断言しなければ生きられない世の中。

人間のどうしようもない業(ごう)なのでしょうかね。 非国民 平和念仏主義者 スノーマンでした。