無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

今日の話は昨日の続き(何のラジオ番組だったっけ?)

2010年07月02日 | Weblog
前回の続きである。

まず、下記の記事を読んでもらいたい。読んで「なるほどな」「その通りだな」と同調した人は完全にマスメディア(旧体制派)に毒されてしまっているのだ。


朝日新聞2010年(平成22年)6月24日朝刊一面

≪政策を選ぶ 熟考の時≫ 編集委員 星 浩

悩む選択である。

まず、民主党をどう評価するか。

政権交代を成し遂げたのは立派だが、その後は期待はずれだった。

首相、幹事長のツートップが資金疑惑にまみれ、そのうち小沢一郎氏は国会で一言も説明していない。

政策も「事業仕分け」などを除けば目立った成果がない。

支持率が落ちて、参院選が戦えないからという悲鳴が相次いだから「表紙」を代えた。

「民主党の再出発だ」と菅直人首相は胸を張るが、野党の言うように「小沢隠し」はありありだ。

通常国会の最終盤で、民主党が予算委員会の論戦を避けたのも情けない。


自民党はどうか。

若手を党幹部に登用したり、財政再建の道筋を示したり、努力の跡は見られる。

だが、いまだに派閥の会合で首相経験者らが得意げにあいさつしている姿を見ると「本当に変わったのか」と首をかしげたくなる。

民主党に落第点をつけるのか。いや自民党はまだ反省が足りない、もう一度民主党に期待してみようと判断するのか。

難しい選択だ。
…後略。(この後、普天間とか消費税とかの問題を『難しい選択』として取り上げているが、省略)


この記事は日本の全てのマスメディアの論調をウマく纏めて書いているので、違和感を感じる人は少ないのだろう。
しかし、これを読んで「そうだな、その通り」と思ったり「なるほど」と感心しているようでは「目覚めた有権者」たり得ない。

昔の朝日新聞の社説や天声人語を読まれてきた人ならすぐ気が付くであろうが、上記一言一句が“間違いだらけの”なんとやらである。

全体的に言えば、この記事を「公平な記事だ」と捉えた人はテレビ・新聞に洗脳されてしまった人なのだ。

この記事の一言一句全てを解析して説明している時間は無いが、少々コメントしておく。

■「悩む選択である」

最初のこの一言からして、本来の新聞記事・新聞論説からみて失格である。
党首討論をマスメディアが報ずる時の決まり文句は、すれ違い・不毛・平行線などと決まっているが、それと同じで、マスメディアは国民に自分の考えを押し付けている。
党首討論などは淡々と両方の言い分を流し、国民に判断を仰げばいいのである。今回の記事も朝日新聞が国民に悩みを押し付ける必要は無いのだ。私など少しも悩んでいないし「難しい選択だ」とも思っていない。

ジャーナリズムを考える時、テレビ局・新聞社の「真実を報道する」「公平な報道をする」は有り得ないのだ。なぜなら、

テレビ・ラジオ・新聞等ジャーナリズムの構成要素は『報道』と『言論』である。
テレビ局・新聞社のジャーナリズムを考える場合、『報道』だけをとりだして議論することはできない。

『報道』と『言論』はいつも寄り添っている。

というのは、A(テレビ局あるいは新聞社)があるテーマを報道しないのは、Aが、「そのテーマは問題ではない」と主張していることであり、別のテーマを取り上げて報道するのは、「そのテーマは問題である」と主張していることだからである。


※本来、ジャーナリズムは「政治はこうあるべきだ」と自分たちの考えを国民に提示するもの。
たとえ国民世論とぶつかっても、テレビ局または新聞社が正しいと信じる論調を掲げ、国民に呼びかけるものだ。
欧米のメディアはそうしている。※

前回書いた高速料金無料化実験に関する日本経済新聞の社説も「私たち(日経社の主張)は無料化に繰り返し疑問を呈してきた」と政府の無料化方針に新聞社として批判している。
また昭和43年(1968年)2月9日の朝日新聞社説でも「…政府の姿勢について、かりそめにも(国民に)不信感をもたせるような言動をとった閣僚に対しては、適切な処置をもってのぞむべきだろう。
この問題をうやむやにして審議を急ごうとするような態度では、佐藤内閣に対する(国民の)不信感を助長するばかりであると、われわれ(朝日新聞社)は考える。」と結んでいる。

まさに海外のメディアと同じく自社の立場・考えを明確に主張しているのだ。これが『報道』と『言論』はいつも寄り添っている、ということなのだ。

国民はマスメディアのこういった報道&言論から、自分で判断することが出来るのであって、最近の「悩み」や「難しさ」を押し付けてくる報道=言論は「ジャーナリスト失格だ」と考える。

朝日新聞(星浩編集委員)は「悩む」とか「難しい」といった自分の判断を国民に一方的に押し付ける報道(国民洗脳報道)はすべきではないのだ。

■「(民主党が)政権交代を成し遂げたのは立派だが…」

政権交代は国民・有権者が選挙によってなし得た成果である。小沢氏の手腕云々を言う前にこの観点から報道すべきジャーナリストが「(民主党が)政権交代を成し遂げたのは立派だが…」とする感覚が私には理解出来ない。

※報道機関(テレビ・ラジオ・新聞等)の報道は、国民に政治(施政・政策)に関する『判断材料を提供』し、国民の『知る権利に奉仕』するものであり、ジャーナリストの立場は、国権(立法・行政・司法)の立場に立っているわけでもなければ、特殊利益の担い手である企業や業界団体の利益を擁護する立場に立っているのでもない。

言うまでもなくジャーナリストは「国民の立場」に立っているのである。

「国民の立場」に立つというのは、「国民の基本的人権を守る」というのと同義語である。
この意味でジャーナリストは『国民の基本的人権の擁護者』という使命と役割を担っている。※

私が、政治が「国民をむいた政治」を打ち出しているのに、テレビ・新聞等マスメディアが「国民を向いた報道」を全くしていない、という所以である。

■「その後は期待はずれだった」

このようなマスメディアの「決め付け」「結論」は断じて報道=言論=主張ではない。
マスメディアの意見を国民に刷り込み、世論調査に利用する情報操作・世論誘導以外の何物でもないのだ。
党首会談を「お互いに貶し合うだけの不毛の言い合いで終わった。もっと政策論争を…」と決め付けて報道する。国民はその内容をじっくりと判断する機会を与えられずに、テレビ・ラジオ・新聞のこの表現を素直に受け入れマインドコントロールされていく。

この記事の次の一句以降も、全文に渡ってクレームを付けたいのだが、切りが無いので、次に進む。

ただ、こういった国民洗脳のための“上手い表現”として

「政策も『事業仕分け』などを除けば目立った成果がない。」の『など』を挙げておきたい。

この文章を読むと「民主党はほとんど成果を挙げていない」と読み取れる。

しかし『など』と入っているために、誰もこの主張にクレームをつけることが出来ない。
あれもやっているではないか、これもやったではないか、と誰かがクレームをつけても「だから『など』とつけているじゃないか」の一言で片付けられてしまうのだ。

政策も「事業仕分け」を除けば目立った成果がない。



政策も「事業仕分け」などを除けば目立った成果がない。

を比較して読んで下さい。

どちらも「民主党は目立った成果を挙げていない」と主張しているし、そのように国民の脳裏に浸み込むのですが、『など』の一言を付け反論に釘を刺している。さすが朝日新聞の編集委員であると感心させられる。

余談はさておき、

※マスメディアは国民の立場に立って、長期化や集中によって起る権力の濫用や横暴や腐敗を批判し、国民に知らせ警告を発する、いわゆる『権力の監視者』であるべきだ。※

その『権力の監視者』が、権力から酒・女・カネで買収されているのだ。その報道を国民が信じたらえらいことになる。



下記の新聞記事と較べて見て下さい。

「昨年の衆院選で国民が希望した政権交代は、今度の参院選で民主党が単独過半数を占めることにより初めて完成するのです。

いくら衆議院で圧倒的多数でも参議院で自民党はじめ野党が多数になれば、法案は1本も成立しない。

国民は政権交代の成果を得られません。…中略…」


(M:前回書いたように、国会の機能停止→マスメディアによる民主党の政権担当能力なしとの批判の嵐→衆議院の解散総選挙、の筋書きが待っている)

旧体制を残したい(旧体制にもどしたい)自民党や官僚・マスメディアは、盛んに消費税増税をクローズアップして民主党の過半数に待ったをかけようとしている。

選挙が終わればすぐにでも消費税が2倍に引上げられるかのようなムードを演出し、民主党への投票を妨害しようとしている。

だが、そんなことはあり得ない。

菅首相も枝野幹事長も、税率アップの前に「(少なくとも2~3年、もう少し時間が掛かるかも知れないが、案が出来たら)選挙で国民の信を問う」と公言している。

消費税増税の是非が問われるのは、その時だ。

今回の選挙の争点は消費税増税ではないのだ。
民主党に議席を与えて政権交代を完成させるのか、自民党(各新党含む)に議席を与えて時計の針を逆戻りさせたいのか。その一点なのである。

国民は騙されてはダメだ。

自民党は、昨年の衆院選で政権を明け渡すまで、この国と国民生活をムチャクチャにしてきた。
…数をたのんでやりたい放題やってきた。
民主党への投票をためらっている有権者は、そんな悪政が横行する世の中に戻したいのだろうか。

谷垣自民党総裁は「財政を立て直す」と…叫んでいる。
しかし、国と地方の借金(長期債務残高)は自公政権の10年間で200兆円以上も増えている。
諸悪の根源は、
成長戦略・景気回復のためと自分の息のかかった企業・業界・公団(高級官僚の天下り先)に『公共投資』をしたり定額給付金や地方振興券という“票目当て”のバラマキをして恥じない体質だ。

そんなデタラメな政党なのに、民主党が「子供は社会全体で育てる」という理念を抱えて実現した「子供手当て」についてはバラマキだなんだと批判するのだからふざけている。

この狭い国土(47都道府県)に97もの空港を建設し、3000ものダムを造ってきたのはどの党なのか。
官僚の天下り先確保を手伝ったり、身内の企業を太らせるためにさんざん無駄遣いを繰り返してきた挙句、国民に残されたものは、天文学的な数字に膨れ上がった借金と破壊された国土である。

福祉や医療も無残なものだ。
75歳以上のお年寄りを「後期高齢者」と切り捨て、勤務医よりも開業医を優先することで地域の核となる総合病院をズタズタにした。
救命医・産科医・小児科医が不足した医療の現場は、先進国とは思えないようなレベルである。


国民をないがしろにして、5000万件もの年金記録が宙に浮いているのに野ざらしになっていたり、『暫定』のはずのガソリン税が24年間(?)も続いていたりした。


【暫定税率とは】1973年~1977年度の道路整備五ヵ年計画の財源不足に対応するために、1974年度から「暫定措置」としてガソリンに『暫定税率』が適用され本来の2倍の税率となった。当初2年間で設定され、2年後「5年間延長・その後いわゆる”異議申し立て”がなければ自動延長」との法律が自民党の圧倒的多数で強行採決され今日に至っている。36年間国民は税金を倍取りされていたのである。自民党と大マスコミはこれを“道路に特定せずに一般財源へ”との論調で国民を無視し欺いていた。このことは記憶に新しい。

自民党の体質は衆院選前と少しも変わっていない。
自分達のバラマキや無駄遣いを省みたり謝ったりすることもなく、ひたすら民主党を批判している。
こんな連中に国を任せるわけにはいかないだろう。…

旧体制の利権をあぶり出し潰していく作業は端緒についたばかりだ。

この流れを止めれば、どん底まで衰退した国と国民生活の再生は不可能になる。…後略。


以上が、日刊ゲンダイ7月1日号の内容抜粋、次に同じく日刊ゲンダイ7月2日号の記事から。

と続けて書こうと思ったが、気力が萎えた。見出しだけ書いて筆を置く。

大マスコミも一緒に打ち砕くのが参院選の焦点

きょうはここまで、それじゃ、またね。