無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

腰まで泥まみれ

2010年12月09日 | Weblog
日本が間違った道をまっしぐらに突き進んでいるのに、それを煽るマスコミばかりで、国民に警告を発するマスコミは皆無だ。毎回載せるといっていた下記証言が今日のテーマ。

ナチス時代、ヒトラーの右腕の位置にいたヘルマン・ゲーリング元帥は、戦後ナチスの戦争犯罪が裁かれるニュールンベルグ裁判で「なぜドイツはあのような無謀な戦争を始めたのか」との質問に対して、次の様に証言した。

もちろん国民は戦争など望んでいません。

でも実は戦争を起すことは簡単です。

一般国民に向かっては「我々は攻撃されかかっているのだ」と危機をあおり、
そして戦争に反対する平和主義者に対しては「愛国心が欠けている」と非難すればよいのです。

これを繰り返せば、国家など簡単に戦争に向かいます。

これはドイツだけの話ではありません。

このやりかたはどんな国でも有効です。




テーマは上記なのだが、まず、余談から入る。

今、「検察(検審)とマスコミの横暴を許すな!」といった市民デモが行なわれている。
成功させようと思ったらシュプレヒコールに「小沢」を出さないことだ。

(引用開始)
あんまり主体性のない私が…先週の土曜日、大阪御堂筋デモに参加しました。
…ほとんどが素人みたいでぎこちなかったのが、好感がもてました。
シュプレヒコールは、定番のコピーを連呼。
少し気恥ずかしかったのは「小沢一郎は日本の宝だ!」
ここは、独り言のように「日本の宝かどうかわからんが」と小さい声で私一人で突っ込みを入れていました。
…引用終り

前にも言ったが「小沢一郎は日本の宝だ!」などのシュプレヒコールの場面が報道されれば"小沢=悪”のイメージの染み付いた視聴者にそのデモの意図は理解されず、単細胞の愚民達に「何だ!小沢信奉者・小沢信者の群れか!」と思われてそれでオシマイになってしまうからだ。

そのようなデモをいくらやっても、テレビ・新聞で洗脳されてしまっている国民(世論調査で小沢氏の国会での説明必要=90%の国民)は、決して今の日本国民を奈落の底に叩き込もうとしている悪魔=マスコミ(テレビ・新聞)の存在に目が向かないからだ。
今、まず必要なのはテレビ・新聞でしか情報を得ていない人に、テレビ・新聞・雑誌等のマスメディアが日本を誤った方向に持っていこうとしている事に気が付いてもらうことだ。

首記の件に話を戻そう。

日本国に巣食っている私腹を肥やし続ける利権複合体は、自分達が国をメチャクチャにした事に国民の目が向かないように、

①他に敵を作り国民の目をそちらに向ける。

②差別階層・差別民族を作りだし、国民の不満の発散をそちらに向ける。
 例:外国人労働者排斥運動(自分達が仕事に有りつけないのは外国人労働者のせいだ)

③自然災害の脅威や新型ウィルスなど、国民個人ではどうしようもない脅威を喧伝し恐怖・不安を煽って、腐敗政治による現実の『生活の不安・将来の不安』から目をそむけさせる。

④それと同時に地震・台風・新型ウィルス等の自然の脅威を国民に植付け災害避難訓練・災害救助訓練⇒国防訓練等の国民統制(国家の言う通り動く国民を作る事とそれに逆らう=国家に逆らう異端分子の摘発)を狙う。

⑤自分達の無法行為でメチャクチャにし「勝ち組・負け組」という何をしても(例え無法行為であれ)勝てば官軍といった弱肉強食の世界を作り、国民に公徳心・公共心を失わせておいて「押し付けられた憲法のせいで、国民が権利ばかりを主張し、義務をないがしろにしている」から憲法を改正し権利には義務が付きものであることを国民に知らしめる必要がある、と国民の国家=「私腹を肥やす支配者層」への隷属を狙う。

⑥自分達が日本国の威信・国際的地位・国際的信用を失墜させておいて、日本の技術の素晴らしさ・日本人のノーベル賞受賞や日本のスポーツ界での国際舞台での活躍等を喧伝する。(北朝鮮と変わらない)

これらは、自分達が駄目にした国を国民に覚られないように支配者が国民を統治する時の常套手段である。

まさに「“愛国心”は無法者の最後の逃げ場である」なのだ。

無法者とは、憲法や議会制民主主義のルールを守らずに好き勝手・やりたい放題に国民の血税で甘い汁を吸ってきた既得権益集団=支配者層の事。

極論すれば、今「国益」という言葉を使っている政治家・マスコミは全て売国奴・国賊・国民の敵と見て間違いない。



今日は、この①「国内の不満をそらすために外敵の存在を喧伝する」について限定して書いて見たい。

前にも書いたが第二次大戦時に連合国軍最高総司令官だったアイゼンハワーは戦後、アメリカ大統領に就任したが、軍人だったにも関わらず軍事予算の拡大を要求する国防省(ペンタゴン)と闘い続けた。(同じく元軍人の息子談)

1950年代後半、アイゼンハワー大統領は、ソ連の脅威を誇張し“ありもしない恐怖”によって国民を洗脳する軍事産業・政治家・軍事専門家などの集合体を「軍産複合体」と呼び、アメリカにとって危険な存在であると警告した。

M:この「軍産複合体」が『冷戦』を作り出し、核の抑止力理論・不凍港を求め領土拡大を図るソ連南下論・ドミノ理論・力の均衡理論等を生み出したのだ。

1960年退任を前にアイゼンハワー大統領はテレビ演説を行い「アメリカの民主主義は新たな、巨大な、陰険な、勢力によって脅威を受けている。それは『軍事産業複合体』とも称すべき脅威である。」といい、アメリカには制御が困難な軍産複合体が生まれつつあると警告した。

それから半世紀、産軍複合体の親玉(ボス)ブッシュが大統領になったのを見ても、アイゼンハワーが“民主主義の脅威”といった軍事産業勢力にアメリカが蹂躙されてしまったことが分かる。

ソ連の軍事内情が“鉄のカーテン”に閉ざされていたのを良い事に、アメリカの産軍複合体(&国防省)は、軍事力が均衡していなければ対等な外交は出来ない、との理論で軍事費増即ち軍事力強化に躍起となり、産軍複合体はアメリカを支配する巨大なコンチェルンとなってしまったのだ。

冷戦の最中1980年頃に下記の様な記事が書かれている。

ソ連が過去20年の長期にわたり一貫して軍事力を増強してきた結果,現在では戦略核戦力を始めとする軍事力において,ソ連は…米国を追い越すに至っている。
これに対して米国は,このような趨勢をこのまま放置すれば1980年代半ば迄にはソ連が明白に軍事的優位を獲得するとの厳しい情勢認識のもと…

自由と民主主義という共通の価値観を有する西側諸国が結束し,西側世界の安全を確保するため共に国防努力を強化し,(軍事力で)強い立場を回復した上で…ソ連と交渉する、
との態度を明らかにしている。
…この態度を当時「現実主義」と呼んだ。

話が長くなるので、冷戦後から現代までの話を端折るが、この産軍複合体の軍事費増要求が現在の「世界の軍事費」に現れている。
ただ一つ言って置きたい事は、この冷戦終結の軍事力の差で分かったことがある。
それは「核抑止力」や「軍事力の均衡」が対等な外交関係(相手に言いたいことが言える為)には必要だ、とする神話が崩れ去ったという事だ。

≪2009年世界の軍事予算≫
1 米国      6,070億ドル
2 中国       849億ドル
3 フランス     657億ドル
4 英国    653億ドル
5 ロシア   586億ドル
6 ドイツ   468億ドル
7 日本    463億ドル
8 イタリア  406億ドル
9 サウジアラビア  382億ドル
10 インド  300億ドル

私は、こういった数字を見る度に“浅はかな人類の智恵”に悲しい思いになる。
例えば地球上の生物を数十回・数百回と根絶やしに出来る量の“核”を持って一体何になるというのか?

旧支配者層のマスコミの手によって、軍事国家へ変えられようとしている日本。

その日本のマスコミで報道されていないため、日本国民は気が付いていないが、今、世界各国が認めている『世界で最も好戦的な国』はアメリカであり、それを支援する日本のマスコミによって日本国はアメリカの言うがままに『日米安全保障条約』という隷属的軍事同盟を一方的に押し付けられ、アメリカの戦争に全面協力しようとしている。

日本の旧支配者層は『極右』思想丸出しで日本国民を戦争に駆り立てようとしている。

テレビ・新聞が主張する内容をより深く突っ込んで考えれば、その主張は、どれもが『戦争への道』を目指していることが分かる。

日本国民はマスコミによって「冷戦は依然として存在する」「日本は中国に併合される」「北朝鮮のミサイル24基が日本に向けられて配備されている」等々、敵愾心を叩き込まれている。

(余談)
ネトウヨほど『ものの見方・考え方』の考える根っ子を持たない浅ハカな思考の人種はいないだろう。(もっとも、今はすでに日本国民のほとんどがネトウヨ的な思考形態なのだろうか?)

「自分以外はみんなバカ」といった著書があったが、自分の主張ははっきり言わず、例えば日本の軍事予算を批判しているブログに対し「日本は軍隊じゃないんだから『軍事費』じゃなく『防衛費』だろうが!このバカたれ!」といった類の反論するに値しない悪口雑言が多い。
今の右翼系ブログでは自分の考え方が述べられていない批判が多い。
比較的まともだと思われそうなものを例にとってみよう。

政府が自衛隊員を15万5000人から15万4000人に人員削減し、中期防予算を23兆4900億円と3%削減したが、それに対し、
「中国も周辺各国も軍事予算を激増させるなか、日本は減らすのだと。安全保障の空白をつくれば戦争を誘発するよ。
と、私が書いてきた昔の価値観(軍拡競争)をそのまま信じて発言している。

こういったブログは、自衛隊員が0.6%減り、中期防予算が3%減った事で、どうして「安全保障の空白」を作ることになるのか?更に中国の軍事費849億ドルに対し日本の軍事費463億ドルなら日本の安全保障は空白ではないのか?どれだけの軍備があれば戦争を誘発しないのか?を具体的に説明する、といった点が欠如している。

マスコミも小沢氏が「日本にいるアメリカ軍は第七艦隊だけでいい」という発言に対し「そんなことをしたら日本の防衛費が莫大に掛かってしまう」という自民党政府の発言を流してチョンにしている。
国民はどういう根拠で、どの位莫大な費用が掛かるのか、具体的な説明を聞いていない。

日本国民は「中国は悪しき隣国」といった発言や「北朝鮮は無くなれ」(アエラ)といった見出しを批判無く受け入れ、それがこの先、どういう結果を導き出すのか、を考えていない。
同じく、日本国民は「集団的自衛権を!」「敵基地先制攻撃を認めろ!」「日本も核を持とう!」「武器輸出出来るようにしよう!」「憲法を改正して、敵前逃亡を処罰できるように軍事裁判所を!」「憲法を改正して、徴兵制を!(自民党改正案)」等々の意見に対し無批判でいる。

◇“慣れ”は、もしそれに反対しなければ、まもなく“当然のこと”になってしまう。 (アウグスティヌス)…余談終わり


私が小学校前の子供の頃から両親に言われ続けたことがある。それは「人から“されたら嫌だ”、と(自分が)思うことを人にするな」ということ。
「それが社会で生活する上の基本(人間にとっての自然律)だ」とも。

「弱いものイジメをするな」も、そこから出てきている。

人から暴力を振るわれたくないから自分も人に手を上げない。自分は殺されたくないから人を殺さない。その自然律を確保するために刑法等の法律を作り、それによって人々は社会の中で安心して生活していけるのである。

戦争は国民側から見たら人間同士の殺し合いであり、従って自分が生きていくためにしてはならない行為である。

こういうと、戦争肯定派(戦争はいけないけれど現実は必然だ仕方ない事だと言っている人)からは人も生物なのだから「弱肉強食」の世界にいるのだ、とか、「カルネアデスの板」の例を出し「正当防衛」だとか「緊急避難」だとか極限状態を持ち出される。そして戦争に反対している人を「現実的でない平和ボケした人間」と非難の声が上がる。
そして前述のブログのように「軍備を縮小したら中国に占領される」とか「核を持たないから北朝鮮から核攻撃を受ける(核の抑止力)」とのワンパターン思考となる。

だが、今の世界には軍隊を全く持っていない国がある。その国が他国から侵略されていない、というのも現実の国際情勢である。

(余談)
私が札幌の大先輩と車で回っているとき、「チョット自分の家に寄って行け」と言われ大先輩の家に着くと、家のドアが開けっ放しになっていた。家の中に誰もいないので「無用心では?」と訊くと、大先輩は「家を締めきっておくと空気が澱むからきれいな空気を入れるために開けておくのだ」といい「家に入ったらすぐ分かるよう(目に付くように)テーブルの上に常に3000円程置いている。食うに困って泥棒に入った人は、それを持って立ち去るだろう。それで泥棒さんも助かるし、私も家の中を荒らされないで済み、慈善事業をした気持にもなれる」と言った。
但し「ズッ~とこうしているが、今まで一度も盗られた事はない」との事だった。
前も話したが、私が前にいた工場ではカギのかからないロッカーからお金が盗まれると「何故、そんなところにお金を入れておいたのか!」と自己責任を問われ、危機管理が足りない、と盗まれた方が極悪人のように責められていた。


勝海舟は日本を植民地化しようと虎視眈々と機会を窺っていた列強諸国から日本国を守った人物として評価されている。幕末に幕府軍も列強の援助を受ければ相当強力な勢力であり、官軍と日本を二分する大乱となるところであったが、勝海舟は江戸城無血開城を果たし、日本を列強諸国の毒牙から守った。

その勝海舟の言葉を今の日本人は肝に銘ずべきだ。

「私は人を殺すのが嫌いで、一人も殺したことはないよ。人に斬られても、こちらは斬らぬ、という覚悟だった」

勝海舟にこの覚悟があったからこそ日本の内乱が抑えられ列強に日本国を蹂躙されずに済んだのである。
今の日本人もこの考えで物事に対処しない限り、支配者層(マスコミ)の喧伝に乗せられて戦争への道を歩むこととなる。

タイトルは昔のピート・シーガーが歌って、日本では中川五郎が日本語訳して歌った反戦歌である。ネット検索して一度聴いてほしいと思う。

さわりだけ載せる(昔の歌詞ではなく中川五郎が詞を変えて歌っている歌詞)

昔、僕が優秀な軍隊の隊員だった時、月夜の晩にルイジアナで演習をした。
隊長は僕等に河を歩いて渡れと言った。…(大幅に略)

僕等は泥沼から逃げ出した「進め!」といわれたが。

(M:「進め!」と先陣を切って進んで行った隊長だけが溺れて死んでしまった)

これを聞いて何を思うかはあなたの自由だ。
あなたはこのまま静かに生き続けたいだろう。
でも、今の世の中、思い出させる、あの時の気持…
僕等は腰まで泥まみれ
だがバカは叫ぶ「進め!」
僕等は腰まで、首まで、やがてみんな泥まみれ、
だがバカは叫ぶ「進めッー!」


この全曲を「僕等」を日本国民、「隊長」をマスコミ・政官財といった支配者層と置き換えて視聴してほしい。

更新が途切れると言いたいことが溢れてしまって書き出すと止め処もなくなる。
今日は、次の言葉を断言的に並べて筆を置くことにする。


日本国民は日本国が『死の商人』となるのを黙って認めるのか!
「アメリカとの技術協力」などと報道するマスコミに騙されるな!

日本も友好国アメリカに対し『軍事力で他国の政府を倒すことはできても、その国の民を治めることはできない』と忠告してもいいのではないか。何故アメリカの言いなりになるのか!

今日はここまで、またね。