11月9日・春日大社と薬師寺の見学会の間に
法華寺へ。
目的は、ご本尊の十一面観音様と・・・もう一つの
漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)
平成22年光明皇后1250年遠忌に合わせ、前の門跡の発願により
約8割の大きさで2年の歳月をかけて復元されたそうです。
故・久我高照門跡は、明治天皇の后・昭憲皇太后を大叔母に持つ深窓の姫君。
こうして比べてみても、1300年近い時が経ったとは思えないほど
正倉院のオリジナルは色鮮やかです。
この漆金薄絵盤は対になっていて、同じ物がもう一つあるそうです。
いつの日か、両方を見てみたいものです。
法華寺へ。
目的は、ご本尊の十一面観音様と・・・もう一つの
漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)
平成22年光明皇后1250年遠忌に合わせ、前の門跡の発願により
約8割の大きさで2年の歳月をかけて復元されたそうです。
故・久我高照門跡は、明治天皇の后・昭憲皇太后を大叔母に持つ深窓の姫君。
こうして比べてみても、1300年近い時が経ったとは思えないほど
正倉院のオリジナルは色鮮やかです。
この漆金薄絵盤は対になっていて、同じ物がもう一つあるそうです。
いつの日か、両方を見てみたいものです。
信じられないかも知れませんが、この時代、身分の高い人達の生活は、今風にいえば西洋式なんです。
ベッドで寝て、机と椅子、カーペットも使っていました。
外国の文化、高い技術を取り入れて、日本独自の文化を産み出そうと模索していたんだと思います。
まるで明治維新後の日本みたいに。
歴史は繰り返されますね!
こういう鮮やかな色はとても高価で貴重。平安時代になると
すこし、落ち着くのは、その辺りが理由だとも。
この頃の色って可也朝鮮半島や中国大陸の色合いが色濃くないですか?
飛鳥時代の壁画にしてもですが、ある一定の時期から日本独自の色合わせが決まってきた感じがします。
それにしても色鮮やかですねぇ