対話では相手を人格や意思をもった主体として見ることが大前提やと思う。
自分が支援をすると決めた対象に対しては声を聞こうとするけど、そうじゃないステークホルダーやそれ以外の人を意思を持った、あるいは事情がある主体として見ることが途端になくなるのがマイノリティの支援活動がもともと関心を持っている人から、さらに広げていくことが難しい理由なんじゃないかと思うことがある。
端的に上から目線で説教されて、「はい、分かりました。自分を改めます。」ってなる人がどれぐらいおるんかという話。少なくとも、これまでにそうやって頑張ってきた人がたくさんいる中で今の状況だということを考えた時に、まだこのまんまいくんや…という気がしてしまう。
我が振り見んと、夢だけ見てんのかな。
起きろーーー。
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