ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

特別の教育課程

2014年06月01日 00時09分04秒 | いろいろ
とある学会のパネルディスカッションを聞きました。小中学校における日本語教育が特別の教育課程に位置づけられることとなり,それをテーマとしたものだが,雑感。

まず,制度が「できる規定」であり,全ての外国人児童・生徒に対して日本語教育が提供されるわけではないこと。また,どういった児童・生徒に対して日本語教育を実施すべきかという基準は示されておらず,日本語能力が同じ児童・生徒であっても通う学校が違えば,日本語教育を受けられたり,受けられなかったりするということ。それでも,これまで正規外の取組として実施されていた日本語教育が学校教育の枠内で実施されるようになることには意味があること。

ということを前提に論点を整理すると。

まず,機会を充実するという観点から,日本語教育が重要であるということを広く伝えることが必要であり,どういった取組が必要か,そのためにはどういったデータなどが必要かということを整理することが必要。特別の教育課程は「できる規定」なので,何もしなければ,やるところとやらないところの差が拡大することも考えられる。学校関係者が児童・生徒に対する日本語教育は必要であり,大事だと認識してもらうことが必要。

次に,どういった児童・生徒には日本語教育が必要であると判断するのか,実施の基準が必要。それと合わせて,また,どうなれば日本語教育は十分であると判断されるようになるのか,いつまで日本語教育が必要になるのかということの基準が必要。もちろん,これらは基準でなく,考え方でもいいんだけど。

それから,実施体制として,学校の先生が中心となって行うとして,どういう研修が必要か。また,外部を含め,どういった支援が必要か。また,日本全国を見ると,人材の偏りがあるが,それを補うような方法にはどういったものがあるのか。

最後にどういった理念に基づき,どういった内容を扱うべきかということ。

…といった形で機会の充実をどのように図るか,実施体制をどのように整理するか,内容をどのように充実させるかということについて検討する必要があるだろうし,それらについて可能であれば実証的に示し,議論して,その結果を示していくということが必要。

ということを整理して示したり,議論を通して深めていくことが大事なんだろうけど,今日は論点も話の軸もよく分からないままに,また,事実も事実でないことも混在する中で話が終了。

フロアから学校の先生が二人,質問及び意見を言っていたけど,そりゃそうだろって思った。もっとしっかりしないと。

夢や教育の理念を語ることと施策に資する議論を行うこととは区別が必要なのかなと思った。どっちが大事で,どっちがいらないということではなく,ちゃんと分けて,整理して話をすることが大事かと。その前提は聴衆とも共有されないといけないだろうし,じゃないと議論がとんちんかんな方向にいくだけなのかな。
コメント
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