さっき、消費社会とかクレーマーとかの話を書いたけど。それと関連させて。
「生きる力」っていつごろから取りざたされるようになったんだろうって。ここ10年くらいのような気がする。ぼくが子どものころはそんなこと誰も言ってなかった気がするし。確かに今の社会では「生きる力」って大事な気がするけど、でも、ふと思ったのは「それって変じゃない?」って。
ここ10年くらいの流れってバブルの破たん、小さな政府への移行などグローバリゼーションと消費社会への移行がどんどん進んだ時代だと思う。結果、格差社会が進んだって考えると、だからこそ「生きる力」というフレーズが出てきたんだろうな。生きにくい社会、油断をすればとことん落ちていく社会なんだろうな。
そんな言葉が出てきてなかった昔が生きやすかったかというと必ずしもそうはならないと思う。ただ単に、日本での人生においてはマスターストーリーが共有されていて、それにのるかそるかってことしかなかったんだと思う。バブルの崩壊や価値観の多様化なんかがきっとそこで関係するとは思うんだけど。
今、教育では「生きる力」をどう身に付けるかという議論があるけど、それも確かに必要なのかもしれないけど、子どもが置かれている状況、子どもだけでなく人々がおかれている状況を少しでも良くするためにどうしたらええんかってことに知恵を絞る必要がないやろか。市場経済化、消費社会が進む中で人と人とのつながりがサービスを提供する側と受ける側という形で二項対立になってきてないやろか。それって次に何かを生み出すんやろか。
今の現状を肯定して「生きる力」をつけさすことを最優先するのか、「生きる力」を否定はしないけど、それだけでなく現状を変えようとしていくのか。おっきな岐路だと思う。
「生きる力」っていつごろから取りざたされるようになったんだろうって。ここ10年くらいのような気がする。ぼくが子どものころはそんなこと誰も言ってなかった気がするし。確かに今の社会では「生きる力」って大事な気がするけど、でも、ふと思ったのは「それって変じゃない?」って。
ここ10年くらいの流れってバブルの破たん、小さな政府への移行などグローバリゼーションと消費社会への移行がどんどん進んだ時代だと思う。結果、格差社会が進んだって考えると、だからこそ「生きる力」というフレーズが出てきたんだろうな。生きにくい社会、油断をすればとことん落ちていく社会なんだろうな。
そんな言葉が出てきてなかった昔が生きやすかったかというと必ずしもそうはならないと思う。ただ単に、日本での人生においてはマスターストーリーが共有されていて、それにのるかそるかってことしかなかったんだと思う。バブルの崩壊や価値観の多様化なんかがきっとそこで関係するとは思うんだけど。
今、教育では「生きる力」をどう身に付けるかという議論があるけど、それも確かに必要なのかもしれないけど、子どもが置かれている状況、子どもだけでなく人々がおかれている状況を少しでも良くするためにどうしたらええんかってことに知恵を絞る必要がないやろか。市場経済化、消費社会が進む中で人と人とのつながりがサービスを提供する側と受ける側という形で二項対立になってきてないやろか。それって次に何かを生み出すんやろか。
今の現状を肯定して「生きる力」をつけさすことを最優先するのか、「生きる力」を否定はしないけど、それだけでなく現状を変えようとしていくのか。おっきな岐路だと思う。