ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

テラコッタでマイマスク

2006年08月21日 03時45分18秒 | もろもろのこと
昨日、テラコッタを実際に作ってみました。「テラ」っていうのは「土とか大地、地球」という意味で、「コッタ」というのは「焼く」という意味。要は素焼きなんだけど、それで何でもいいから「マスク」を作ろうということでやりました。

土を積み上げて、マスクの形にしていくのは結構大変な作業で。中は空洞なので壊れそうにもなるし。やりだすとこれがはまる。しかも土も色が何種類かあって、それを組み合わせることもできるし。

作っている途中はなるべくほかの人のものを見ないようにしてて。で、終わってからほかの人のものを見ると全然違う(当たり前だけど...)。ほかの人の作品を見て、それから改めて、自分の作品を見ると、見事なまでに自分の性格が出てて、人前で裸になったような感覚やった。もちろん、公衆の面前でそんなことはしたことないけど(笑)。

強烈なイメージをもとに形を作り上げるのではなく、土を少しずつ積み上げながらイメージを作って、さらに現れた形をもとに次のイメージを作り上げてということの繰り返し。土との対話というよりも、その瞬間の土の表情から次の行程を見つけだすというような感じで、僕が作ったというよりは土に答えながら作った...というよりは土に振り回されたような感覚もあった。

何かそういうプロセスが自分の仕事の仕方や人との向き合い方と見事なまでにかぶると思った。できあがった作品の表情も自分らしいなと思ったし。もちろん、ほかの人の作品にも、それぞれすごく性格が出てるんだけど。形になると、否が応でも自分を見つめ直すしね。

で、昨日、大塚茂吉さんの話に出てきた言葉や、その時に考えたこと、「自分って何をどう表現したくって生きてるんだろうな、その表現の必然性って何だろうな、自分が生きている時代を感じながら表現する必然性って何だろうな」ってことを考えた。

いやぁ、おもしろかった。
コメント (2)
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