墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

笑い

2006-01-05 19:39:29 | 駄目
 真の笑いとは脳天を突き抜ける衝撃である。
 「お約束」など真の笑いではない。「お約束」は「笑う」という快楽に身をゆだねたいとどこかで思っている観客の深層心理を利用した消費者金融ローンだ。そんな「笑い」の御利用者を笑わせて芸だと思っている芸人の芸ははどこかさもしい。俺にはまったく笑えない。
 大声で絶叫しよう。最近の芸人の芸はつまらなすぎる。

 真の笑いは「なんで?」という人間の反応が安全圏の場合に起こる。
 「なんで?」が「ホッ」となって「な~んだ」と笑うのだ。


2006-01-05 19:16:59 | 駄目
 あんまりテレビを観ないので、芸能人ネタは苦手なんだが、他人のブログを読んでいて思った事があるので書きとめておこう。

 そのブログではネタを披露しなければならないのだが、与えられたお題は「郷ひろみが歌うとイメージが崩れる歌」。
 お題が与えられるとつい考えてしまう。
 う~ん、郷ひろみはアクが強いからな。
 洋曲系は駄目だな、それなりに似合うだろう。
 かといって「和」がけっして似合わないわけでもない。
 「カレーもいいけどおせちもね」とかCMで言ってたもんな。
 以外に「君が代」だって、歌いこなしちゃうかもしれない。「とおりゃんせ」も難なく歌いこなすはずだ。「ずいずいずっころばし」ならとっぴんしゃんだろう。さらに抜ける。

 演歌ならどうだろうか。確かに郷ひろみのイメージには全く似つかわしくはないが、読み物として考えるならネタ的にどうなのという組み合わせだ。せっかくの郷だ、郷に入りゃ郷に従えの徹底的価格破壊を行わなければ、せっかくの郷を起用する必要性がまるでない。
 郷ひろみなら、悲しい歌も、淋しい歌もそれなりに歌いこなすだろう。
 こんな難しいお題がかってあっただろうか?
 ま、ないことはないだろうが、難しいよな。

 ま、あえてアクにはアクをあえてぶつけるという手がある。
 なら、フォークソングだよな。
 「およげタイヤキくん」。もしくは、武田鉄矢の「贈る言葉」。

 昔のアニメ主題歌。
 「タイガーマスク」とか、「サザエさん」。もしくは「タイムボカン」。

 女性大物歌手。
 美空ひばりや和田あきこの歌。

 まぁ、ネタだな。現実の郷ひろみは以外にもなんでも歌いこなしちまうだろう。プロだもんな、請われりゃなんでも自分なりに消化して歌うはずだ。


徒然草 第百八十段

2006-01-05 12:24:51 | 徒然草
 さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して、焼き上ぐるなり。「法成就の池にこそ」と囃すは、神泉苑の池をいふなり。

<口語訳>
 さぎちょうは、正月に打った毬杖を、真言院より神泉苑へ出して、焼き上げるのだ。「法成就の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池を言うのだ。

<意訳>
 左義長では、正月に使った毬杖を真言院から出し、神泉苑で焼き上げる。
 「法成就の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池の事を言う。

<感想>
 「さぎちやう」は「左義長」とも書き、現在でも行われているどんど焼きみたいな行事だったそうで、「詐欺ちゃう」とはちゃうらしい。
 左義長は1月の15日と18日に行われた。葉竹とワラで左義長を作り、それに火をつけて正月飾りなどと一緒に燃やした。火がつくと「とうどや(尊や)」と囃したそうで、この「とうどや」が「どんど焼き」の語源ではなかろうかと言われている。

 「毬杖(ぎちょう)」は、毬(まり)を打つ杖のこと。
 正月の子供の遊びで、左右に分かれて杖で毬を打ち合う。槌形の杖とあるので、ゲートボールのスティックに似たような物か。神聖な遊びで、それでその年の吉凶を占ったそうである。遊び終わった毬杖は正月飾りなどと一緒に左義長の時に焼く。

 「真言院(しんごんいん)」は京都御所のすぐ東にあるお寺さん。 遊び終わった毬杖を左義長の日まで保管していたのであろう。

 「神泉苑(しんせんえん)」は御所の南に造られた大きな庭園。そこで、天皇が遊覧や狩りを行った。その庭園で左義長が行われたのだ。

 「『法成就の池にこそ』と囃すは、神泉苑の池をいふなり」
 左義長の時に「法成就の池にこそ」と囃すのは、徒然草のこの段でしか用例が見ないし、伝承もないので、もしかして兼行の聞き違い、そら耳だったんじゃないのと評されている。

 今回は「兼行の民俗間」三谷栄一著(『徒然草講座』第一巻 有精堂)を参考とさせていただきました。

原作 兼好法師


クチバシのないカラス

2006-01-05 09:16:45 | 日常
 夕刊配達の途中で奇妙な死に方をしていたカラスの死体を見つけたので繊細を報告しよう。

 1月4日。
 今日から夕刊がある。これが今年の仕事始めだ。
 夕刊の配達区域は玉川上水沿い、小平の住宅地。
 新聞配達用の原付にまたがり夕刊を配達していると、道の隅に黒い物が落ちているのを見つけた。
 あっ、カラスだ。
 カラスは力なくグニャリと横たわっている。死んでいるようだ。
 原付を降りて、良く見てみると、このカラスの死体にはクチバシがない。
 最初からクチバシがなかったわけではない、クチバシの根元が4分の1ほど残っている。クチバシの根元はボロボロで、一部は割れており、まるで弾けとんだかのように見える。クチバシ以外には、特に他の外傷は見当たらない。
 カラスは目を閉じて死んでいた。死体は新しく、死んで間もないように思われる。目を閉じ死んでいるカラスの死に顔は、安らかで美しく見えた。 
 このカラスは何らかの爆発によってクチバシを失ったようだ。死因もその爆発が原因だろう。でも、何によって、どうやってカラスのクチバシは爆発したのか。
 もっと良く観察しよう。カラスのもとに座り込んだ。
 カラスの周囲には血の跡も、壊れたクチバシの破片も見当たらない。爆発の破片が無いという事は、この上空で爆発して落下したという事なのだろうか。
 今度はクチバシの中を良く観察してみる。破壊されたクチバシの中に白い物体が見える。どうやらこれが爆発してカラスのクチバシと命を奪ったらしい。白く見えるのは炸裂した時に炭化したからだろう。カラスのクチバシが破壊されたのは、クチバシの中でこの白い物体が爆発したからだ。
 しかし、カラスのクチバシを破壊するほどの力を持ったこの白い物体の正体はなんだったのだろうか。
 引き抜いて調べてみるか。白い物体に手をのばす。指の背がわずかに残ったカラスのクチバシに触る。消し炭の触感がした。
 白い物体はサインペンほどの太さで固かった。材質はまるでわからない。かなり力を入れて引いてみるが、どういう具合になっているのか容易には抜けそうも無い。なんだかノドを貫いてカラスの頭に突き刺さっている感じだ。けっこう長い物なのだろうか。
 引っ張っているうちに透明な液体がカラスの頭から漏れだしてきた。片手じゃ無理だ。カラスの頭を押さえつけて、もっと強引に引き抜かなければ。

 グゥワッ~!
 グゥワッ~!

 いやにカラスがやかましく鳴いている。ふと周囲を見渡すと、近所の家や電柱などに数え切れないほどのカラスがとまっていた。頭の上にもカラスが数十匹ほど旋回している。
 カラスに監視されていた。
 カラスの死体に気をとられていて、カラスがこんなにも群れ集まっている事にまったく気がつかなかったのだ。
 そのとたん、急に恐ろしくなる。
 自分がカラスに監視されている中で行った行為に恐怖を感じた。
 住宅街の中で、仕事中に、道路に座り込んでカラスの死体と格闘していた自分。そして、その一部始終を監視していたカラスの群。
 非日常的で、忌むような光景。
 なんだか悪夢の中にでもいるような気分になる。死んでいるのは本当にこのカラスなのか。本当は死んでいるのは俺のほうなんじゃなかろうか。俺はもうこれ以上はカラスの死体に触れる事が出来なくなり、その場を後にした。

 残りの配達を続けるうちに、小平市の4時半のテーマ、児童に帰宅をうながす「七つの子」の曲が流れ出す、配達が終わる頃には日が暮れて真っ暗になった。携帯でカラスの写真を撮っておけば良かったかなとも思ったが、もう暗すぎて写らないだろう。あきらめて販売店に帰る。