墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 220

2006-12-31 21:49:22 | 

「例えばだ。『本当の愛』を誓いあった男女がいたとしよう!」

「いたんだ?」

「いたんだよ。でも諸々の事情で会う事は叶わなかった」

「大変だね」

「大変だよ。でも会いたい! 会わなきゃ死んじゃうってくらいに2人は互いを求めあっていたんだ!」

「へぇ」

「やっと、諸々の事情を打ち破り2人はまた会う約束が出来た」

「良かったね」

「待ち合わせ場所は上野動物園!」

「変な待ち合わせ場所だね」

「それしか都合がつかなかったんだよ!
 求めあう2人がやっと出会える場所にイチャモンをつける気か!?」

「ごめんっ。事情を知らないもんだから」

「待ち合わせは、上野動物園のサル舎の前!」

「また、なんでサル?」

「愛する2人がやっと会える場所を冒涜する気か!」

「ごめん。私が悪かったぁ」

「こうして、『本当の愛』を誓い合った2人はやっと出会えた。
 場所は上野動物園サル舎の前。
 正確にはそのサル舎のサルはアイアイであった!
 これぞ『本当のアイアイ』!」

「え?」

「え?じゃねーよ。息抜きのただのシャレだ!」

「年内はもう頼まれてもダジャレは言わないとかブログに書いてなかった?」

「それは作者の protozoa だろ。俺にゃ関係ない!」

「つまんない」

「フーッ。なんで、俺のギャグはこうも理解されないのか?」


平成マシンガンズを読んで 219

2006-12-31 21:16:12 | 

「話がずれてきたけど、『本当の愛』は間違ってるという話だったな」

「で、結局まちがってんの?」

「間違っている事を証明したくてこうやって話してきたんだ。なんとか頑張って間違いを証明しよう。
 まず『本当』を語るなら『偽物』がないといけない。偽物もないのに本物だけがあるなんて明らかにおかしいだろ?」

「それはね」

「『偽物』が存在する事を『本物』が存在する事の第1の前提とする。すると、本物も偽物も存在しないモノに『本物』はないとなる。
 そうなると、この世に1つしかないモノには本物も偽物もない。
 1つしかないんだから偽物と本物に区別する事は不可能だ。これによって、この世に1つしかない地球や自分に『本当』は無いとなる。
 『本当の地球』や『本当の自分』という言い方は誤りである」

「『本当の自分』は言葉の誤用から生まれた勘違いかもしれないって事だね」

「次に、人の感覚や気持ちに偽物はあるか?
 これは本人以外は誰にも証明出来ない。
 偽を証明しようにも、どうやっても証明できないなら、偽なんかないのと同じだ。
 確かに本人なら嘘はつける。
 だが他人の痛さや楽しさは、本人の自己申告であり認めるしかない。
 他人の感覚や気持ちなどの嘘をある程度は見抜く事ができる。だが、完璧ウソだとは証明できない。もし、他人の嘘が証明できると考える人間がいるなら、その人間は人格に障害でも負っているんじゃないかな?
 この事から、他人の痛さに対して『本当の痛さ』などと言うのは無意味だとなる」

「まぁね、へ理屈だけど」

「この考証から、偽を証明できないモノの『本当』を語るのも無意味であるという第2の前提を導く。
 その前提を下敷きに考える。すると、『本当のブス』ならなんとなく意味が通じるのに、『偽物のブス』って何の事なのかが全く分からない。
 ブスの偽物だから少なくてもブスそのものであるはずはない。てかブスじゃないからブス呼ばわりできなくて『偽のブス』なんだよな。それってどんな状態なんだ?
 そんなワケ分かんないもんについて考えても時間の無駄だ。無意味である。
 よって、偽が証明できない『本当のブス』も間違った表現だと考えられる。さらに俺は『ブス』じたいも単なる気のせいだろうと思っているが」

「うーん」

「『本当』について熟慮してきた。
 そして、最後の難関である『本当の愛』を陥落させようと思う。
 だけど、これが難しいんだ」

「むずいの?」

「だって、愛って人それぞれじゃん。 
 なら人の数だけ愛はある。
 すると愛は無数にあるってことで1つではない。
 そして、『愛してる』なら気持ちなんだけど、『愛』は概念だ。
 感覚や気持ちなら他人の事は証明できないからと逃げられるけど、概念だとそうもいかない。
 次に『本当の愛』の反対である『偽の愛』という言葉を言ってみる」

「にせのあい、か。
 まぁ、『偽の愛』は十分にありそう。『偽のブス』なんかより普通にありそうだよ!」

「ありそうだろ? ありそうだから困ってんだよ」

「なんだよ死神らしくないじゃん。得意のへ理屈でチャチャチャッと『本当の愛』ぐらい否定しちまいなよ!」

「それがけっこう難攻不落なのだ。まさに『本当の愛』は鉄壁の要塞だ。
 かんじスゲー嘘くさいのに、なかなか嘘を見破れない」

「だめじゃん。頑張れよ!」

「うん、やってみる」


日曜の朝

2006-12-31 10:34:46 | 駄目

 朝の5時5分に目が覚めた。
 今日から来年の3日まで正月休みなんだが、仕事のある日とそう変わらない時間に目が覚めた。
 起きたら、アタマと上半身が痛くてなんとなく体が重い。
 原因は仕事疲れの体力切れであろうか? それなら良いが風邪だと困る。せっかくの正月休みを去年みたいに風邪をひいて寝込んですごすんじゃもったいない。

 外が明るくなったらまず散歩に行こう。
 散歩に行けば、体調の悪い原因が疲れによるものなのか風邪によるものなんだかすぐ分かる。疲れているだけなら散歩すれば頭痛は消えるはず。風邪なら寒い中を歩き回れば確実に症状をあらわす。
 まだ散歩に行くには暗いので、ちょろっとパソコンを立ち上げてバックアップを取りながら、その間にバナナと牛乳で朝食をすませて植木に水をやる。

 6時をすぎるとそろそろと辺りが明るくなりはじめてきた。
 夏の夜明けは一気に明けちゃぇー! みたいな勢いがあるが、冬の夜明けはおっかなびっくりと明けていいかな明けるよ明けちゃうよ? みたいな遠慮しがちな明け方だ。
 では散歩にと思ったが、昨日の夜に一張羅のジャンバーとジーパンを洗濯に出したので全く着るものがない。仕方なくとっておきの勝負服である革ジャンと、夏用のペラペラの糸がほつれたチノパンという組み合わせをチョイスする。
 思いっきりチグハグでどうしようかなって感じだ。ところでムカついたのは半年ぶりにはいたチノパンがきついこと。
 明らかに太ったらしい。クソッ。

 外は寒い。
 寒い中、矢川緑地まで歩くが体に変調はない。寒いだけだ。
 風邪はひいてないようだ。良かった。
 矢川緑地に行くと、地面に霜がおりて水たまりに氷がはっていた。今日は今年の冬には珍しくかなり寒いようだ。どおりでさっきから耳や手が冷たい。

 体に問題もないし連休で時間もあるので、今朝の散歩は少し遠くまで足をのばすことにした。足長おじさんと呼んでもらってかまわない。

 矢川緑地から矢川をつたい、谷保にある六小の脇を通って農家が軒を連ねる矢川沿いの小道を通り甲州街道に。
 国道20号の甲州街道を横断してこんな年末なら誰もいないだろうと思い、むかし務めていた職場の前を通る。昔の職場には車や自販機に微妙な変化があった。前の職場のみんなは今頃どうしているのだろう?
 そこから多摩川を目指して犬の散歩やランナーの多い河川敷の堤防の道に上がる。白い富士山が見えた。今朝は天気が良い。遠くまで見渡せる。
 多摩川沿いに歩いて、貝殻橋を渡り立川公園に。その公園にある便所で小便をした。
 公園内を歩いて今度は立川通りの続きが甲州街道になった甲州街道を地下通路から横断。横断すると寒さのせいか噴水から湯気が出ているのを見る事ができた。
 また多摩川沿いの続きを歩いて、モノレールの走る立日橋で立川駅方面に進路を変える。歩きながら思いつきで柴崎体育館というモノレールの駅からモノレールに乗る事にした。

 モノレールにも乗れーる!

 突然だが、これは年内最後のダジャレである。もう頼まれても年内はダジャレを言う予定はない。金をくれんならいくらでも言うけど。

 モノレールは高い所を走るから眺めが良い。
 そして今朝は天気がよい。
 眺めの良いモノレールの車内から立川市内を観覧するのは悪くない。
 と思いついた。
 思いついたら実行あるのみだ。あるのみなのでモノレールに乗った。
 最低料金は100円だし、100円で思いつきを形に出来るなら安いもんだ。100円で行ける所まで乗ったら、立川駅の北口まで連れて行かれた。
 そこから家まではトホトホの徒歩である。

 また突然だが歩きながら考えた。
 最近、精子をぬいてないな。
 仕事ばっかで抜くだけの体力が残ってないし勃起もぜんぜんしない。
 短小で早漏な上にEDじゃ、もろ三重苦だ。男としてこれで良いのか! 俺はジャンヌ・ダルクかっ?
 ごめん間違えた。
 俺のチンコは奇跡の人かっ!! いいや、俺のチンコはヘレン・ケラーではない!
 と思いたい。
 よし、久しぶりに精子でも抜こうかと考えて、せっかくの休みだしエロ本でも買おうと思いついた。

 家までの帰り道で、さびれたファミマで「DVD DOKAN」というエロ本とビールを購入した。これらで散歩して疲れた体を癒す。飲んで抜いて寝直す。

 そんなで、このブログをお読みの皆様。
 皆様が良い年末及び新年を迎えられる事を本気で望みます。
 幸せでヌクヌクッとしたーんハッピィーなお正月休みを迎えられる事を本気で望みます。
 本気で皆様の良い年末と新年を祈っております。
 そして来年も良い年でありますように。

 俺は飲んで(すでに飲んでますが)抜いて、これから寝なおしますが皆様の幸せを祈っております。来年も頑張って! 


平成マシンガンズを読んで 218

2006-12-30 20:37:54 | 

「あのさ、死神は人間を憎んでいるの?」

「いじめは自分が誰かより優れているはずだという勘違いから生まれる。いじめっ子は特別な人間ではない。
 分かるという事は分ける事。コレとコレは違う。燃えるゴミは火曜日に出す。あるいは、この記号とその記号の意味は違う。この音符とあの音符は音が違う。などなど、物事を理解する為にはきちんと分けなくてはならないし、分けなきゃ分からない」

「質問に答えてないよ」

「待て。順を追って答える。
 そして、人は対人関係においても分けるという方法で他人を理解する。そういう理解の仕方でしか他人を人間は理解できない。
 他人を分ける時には、共同体の中での自分の立ち位置が最も重要となる。自分が共同体でどういう位置にいるかが全ての基準となるのだ。共同体に属する人間は自分の立ち位置を基準として、他人を分ける。
 共同体での立ち位置は、男とか女とかの性別、学歴、人望、仕事ができるできないとか、共同体に何年も属しているなどとかで変わる。
 共同体での地位など普遍的な絶対基準であるわけないが、その共同体内では絶対の基準となる。
 分けなきゃ分からない。
 ここに誤解のワナがある。
 分けたから分かったような気になる。
 ところが、その分け方が間違いであったならどうしよう?
 だが、人間はきれいに分けられてると分かったような気がしてしまう生物なのだ。分け方そのものが正しくなくても、分類が成されてると分かったような気がしてしまうのだ。
 だから、人間は誰かが誰かより偉いなんて事はあり得ないかもしれないのに平気で他人を自分より下の人間だと位置づける。
 自分より下のランクに見える他人は、共同体内で下位に属しているだけの人間にすぎない。共同体のみんながその人間を劣っていると暗黙に決めつけているから、自分もそれに乗っかって自分の地位に満足しているだけで、本当に劣っているかどうかは問題となりにくい。
 ブスや馬鹿。
 ニートに身体障害者。
 路上生活者に狂信者。
 分けられるなら簡単に自分と違うと分け、自分より劣っていると決めつける。何がどれだけ違うのか。少なくとも同じ人間だ。
 最後に質問に答えるなら、俺は人間は嫌いだ。俺も含めて人間は全て救いようもない馬鹿だと思う。だからこそ死が救いとなる。だから人間でありながら死神となった」


土曜の朝

2006-12-30 05:46:58 | 携帯から
今朝も晴れて星が見える。昨日が仕事納めの職場が多かったのか街に夜遊びの人の姿が目立つ。駅に電車が来ると、中央線がオレンジのいつもの車両から、いきなり新車両に変わっていた。ボディーはつやけしグレーにオレンジのライン。車内にはテレビが付いていて新車のにおいがする。