墨汁日記

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ガバメント

2006-01-17 22:05:23 | 駄目
 昨日の夜、45口径なら確実に死ねると書いて不安になった。
 本当に確実に死ねるのだろうか。
 うろ覚えだが、どこかで45口径の銃で自殺をはかるも、脳みそ欠けつつ生きながらえちゃった人の話を読んだ事もあるような気もしてきた。
 不安になり、「45口径」で検索してみる。
 武器マニアが多いらしい。いくらでも引っかかる。驚いたのは、銭形のガバメントは「45口径」だったということだ。そうだったのか。知らなかった。でも「44マグナム」には威力で劣るらしい。
 ガバメントが造られた由来も面白い。当時のフィリピンの兵士が38口径の銃で撃たれても立ち上がってくるのに怖れをなしたアメリカ兵が、確実に人を殺傷できる銃をと望んで開発されたのが45口径ガバメントであるらしい。その威力はマジでどてっ腹に風穴が開く。
 しかし、フィリピン人を殺す為に開発された兵器が、今やフィリピン人の手にあり、銃口はアメリカ人にも向いている。アメリカ人はこういう「天ツバ」的な物をつくり出すのが本当に上手いよね。
 
 ところで、「ルパン三世」の名物兵器と言えば、ルパンのワルサーや、次元のコンバットマグナムだけじゃない。忘れちゃならないのが五右衛門の慙鉄剣。特に鉄砲玉をまっぷたつにするそのワザと切れ味には快感すら覚える。ところで、慙鉄剣で鉄砲玉をまっぷたつってのは、全くの作り話でもないらしい。

リンク: 日本刀の威力にビックリ!: 游心流武術健身法研究会.

 しかし、コレはなんというか、「強さ」は、もはや基準とならない。単なるカタさ比べだ。
 鉛玉より鋼の日本刀の方がカタいというだけの話で、どちらが強いかとかいう話はまったく関係がない。こんな実験なら鉛玉よりカタいものならカミソリでもボンナイフでもなんでもいい。
 こうなると日本刀はもはやワイヤートラップのワイヤーでしかなく、待ち構えてるだけだ。そこへフロントガラスもないジープに乗ったアメリカ兵が通れば、たちまちクビチョンパだ。
 
 庭に包丁の刃を天に向けて固定しておき、それめがけて二階から野菜の大根を投げつければ間違いなく大根はまっぷたつになるだろう。
 だが、同じ硬度を持つ包丁ならどうだろう。どちらも刃こぼれが出来てはじけとぶのではないだろうか。二階から、包丁より固くて重たい物を投げつければどうなるか。たぶん包丁は刃を欠いて破損するだろう。

 45口径で確実に死ねると言うと嘘になる。
 人間は、脳の一部分ぐらいならなくなっても生きていけるらしい。やはり、確実に死にたいなら粉々に粉砕してくれる列車が良いみたいだ。くれぐれも中央線は駄目だよ。


徒然草 第百九十六段

2006-01-17 21:54:17 | 徒然草
 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿、大将にて先を追はれけるを、土御門相国、「社頭にて、警蹕いかが侍るべからん」と申されければ、「随身の振舞は、兵杖の家が知る事に候」とばかり答え給ひけり。
 さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ。眷属の悪鬼・悪神恐るる故に、神社にて、殊に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。

<口語訳>
 東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られて、この殿、大将で先を追われたが、土御門相国、「社頭にて、警蹕いかが御座いますか」と申されたらば、「随身の振舞は、兵杖の家が知る事でございます」とばかり答え言われた。
 さて、後に仰られたのは、「この相国、北山抄を見て、西宮の説をこそ知られなかった。眷属の悪鬼・悪神恐れる故に、神社にて、殊に先を追うべき理ある」と仰られたぞ。

<意訳>
 もともとは、東大寺にある手向山八幡宮の御神体であったが、京都の東寺の若宮八幡宮の御神体となっていた神輿を奈良の東大寺まで帰座させる事があった。

 この時、八幡宮を氏神とする源氏の公卿達が神輿の警護に来た。
 大将は源通基で、家来達に命じて「オシ! オシ!」と声を出させて貴人でも通るかのように前を行く人達をけちらし道をあけさせて行進した。
 神輿の行列に付き添っていた土御門相国が、大将の通基に言った。

「神の前で、このような警護はいかがなものでしょう?」

「神をお送りする作法は、武家の人間の知る所である!」

 源通基はそう答えた。

 後に、源通基は言った。

「あの人は『北山抄』は読んでいたようだが、西宮の説を知らなかったようだ。神輿につきまとう悪鬼や悪神を恐れるが故に、神社であろうとも人を追い払う理由があるのだ」

<感想>
 この段の源通基は、前段の地蔵を田んぼで洗っていた人の若かりし頃だ。
 兼好は、正気であった頃の久我内大臣殿のかっこいい様子を書きたかったようだが、なんだかあまり源通基を格好良くは思えない。迷信深い、頭の固い人間としか読めない。
 つまらない迷信を疑ってかかっているはずの兼好が、こんなエピソードを、ありがたがるとも思えない。あるいは作為など無く、たんに人から聞いた話を書きとめただけにすぎないのかもしれない。

原作 兼好法師