墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

虎の子で虎を買う

2006-02-04 20:27:03 | 物欲
○理由その1

 新しいコンピュータを買ったので、二台のコンピュータを光ケーブルに接続する必要がある。その為にルータを買った。すると、今つかっているMacの設定をちまちま変えないとネットに接続できなくなる。
 ちまちま設定を変えるぐらいなら、大幅に変えちまったほうが俺の性に合う。

○理由その2

 俺の永遠のMacライバル。略して「マラ」が最近MacOSを「タイガー」にした。奴には負けられない。

○理由その3

 正直な話。
 受けを狙った。
 この「日記」を読んで下さる皆様に面白がって頂く為に、わざわざWindowsマシンを買いつつタイガーを買った。


電池を買いに立川駅北口に行く

2005-06-08 21:52:02 | 物欲
 俺にとり、立川駅の北口は危険地帯だ。
 何故なら、物欲のるつぼであるビックカメラ立川店が立川駅の北口にはあるからだ。
 俺はハードに弱い。
 ハード大好き。
 固い機械とか金属とか精密とかに目がない。
 ビックカメラの売り場にコレでもかと並んだビデオカメラやパソコンを見ていると死にそうなくらいにクラクラする。
 こいつらを我が手にできるなら魂ぐらい売ってもいいと本気で思う。

 だが、魂なんか誰も買ってくれないので、借金してローンで返済に泣く。

 誰か買ってくんないかなぁ俺の魂。

 それはともかく。
 今日は仕事の帰りに100円ショップのダイソーへ電池を買いに出かけた。
 ダイソーは、立川駅の南口にも昔はあったんだが現在ではない。
 立川駅北口にあるフロム中武の地下にある一店のみが、 現在の立川にあるただひとつのダイソーなのである。
 
 ところが、行ってみるとフロム中武は今日は定休日。
 
 当然ダイソーもお休み。

 休みじゃしょうがない。

 せっかく北口に来たけど電池は今日は買えない。

 財布の中には7000円の現金がある。
 
 仕方がない。
ビックカメラで新しいマウスを買うことに決めた。

 どう仕方ないのか。

 俺はMacのコンピュータを愛用しているが、Mac本体に付属でつくマウスはどういうわけか昔からデザインだけはいいんだけど、とても使いづらいのだ。

 西暦の2000年にはじめてMacを買った。
 その時の本体に付属していたまんまるのマウスは2005年の今見ても、可愛くて素敵なデザインだった。
 もし。
 その、まんまるマウスの読み込み方式がボールから光学式に変更されたリバイバルマウスが復刻されたなら、ひとつボタンでもかまわないからぜひ使いたいと思うぐらいだ。

 でもやっぱりそもそも、ひとつボタンのマウスは根本的に使いにくい。

 それしかないなら我慢もするが、他の選択肢があればやはり右と左に二つボタンで真ん中にホイールのついた3ボタンのマウスを使いたい。
 しかし。
 Macのマウスが使いにくいのは、ひとつボタンってだけだからじゃない。
 なんか感触が重たいのだ。
 それは現行のマウスでも言える。
 なぜだかMacのマウスは感触が重くてイライラしてしまうのだ。
 現在のMac純正マウスは光学式だ。
 ホイール式と違ってボールをひきずる物理的な重さはないはずなんだが、やはりMac純正のマウスはどうしても重たいと感じる。
 OSの設定を変えてもやはり重い。
 たぶん。
 アップルの人がコレで良いと思うマウスと俺が理想とするマウスが違うんだろう。
 マウスだけで言うなら俺はウインドウズ派なのかもしれない。
 Macのマウスは俺にはどうしてもひきずりぐあいやボタンの押し加減が重く感じる。なんとなく使いづらくて疲れるのだ。
 現行のマシンについてた、わらじ形のマウスも使いづらいから人にくれてしまった。
 
 最近の俺が愛用していたマウスはウインドウズ用の3ボタンで光学式のMac対応コードレスマウス。
 エレコムのM-PGDURGND。
 コードレスは線がないから軽やかに操作出来るんだけど、なんだか電池が重たいんだ。
 どうしても電池の重さでマウスが引きずられるかんじがする。
 なんだか思うほどには軽やかに動かせない。
 買っちまったんで、多少の事には我慢して納得して一年ほど使っていた。

 しかし、どうしても電池式の宿命。
 すぐに電池が切れる。
 だいたい単4の電池を二本、半月にいっぺんぐらいの間隔で交換してる。
 不経済なんだよな。
 電池って。

 そんなで。
 今日はダイソーが休みだった。
 だから、安い電池が買えなかった。
 しかし。
 マウスの電池はそろそろ交換しなければならない。
 交換用の電池を買わねばならない時期にきている。
 でも、一年分の電池代で十分におつりがくるほど新しいマウスが買える。
 この先を考えたら、とっとと有線のマウスに切り替えた方がお得だ。
 今日はダイソーは休み。
 ダイソーのあるフロム中武のとなりはビックカメラだ。
 ビックカメラではマウスが腐るほど売っている。

 ならばだ。

 俺の中の誰かが新しいマウスを買えとささやく。
 むしろ買うべきだ、新マウスでパソコンをサクサク操作しろと俺の中にいる人達がエールを送ってくれた。

 そんなで、買いました。
 新しいマウス。

 有線の光学式
 シグマのGobold。1980円。


ナイキ 

2005-04-30 02:47:24 | 物欲
 そんなで、買いました。お得意の立川ビックカメラでナイキのエアマックス。
 ビック価格で5712円。
 高いのか安いのかは問題じゃない。俺がナイキエアマックスだという事に価値があるのだ。

 キャー。これでもう俺は明日から疲れ知らず。不死身の鋼鉄の身。

 さっそく、うちに帰ると靴を箱から取り出し、靴ひもを結んで部屋の中をうろうろしてみる。

 な!

 なんと快適なうろうろしこごち。こんな快適なうろうろはいまだかって体感した事はなかった。

 やはりエアは違う!ただの空気となめて貰っちゃ困る。ナイキ特性の濃厚空気だ。
 そんじょそこいら。立川の空気とはひと味もふた味も違う。

 明日はこれをはいて仕事が出来ると思うとウキウキしてくる。

 ウキウキ。と靴をスーパーおおたのビニールにいれかばんにしまい込んでいる時、ふと購入した靴の箱に気がかりな事が書いてある事に気がついた。

 AIR RILUX SL

あれ、これエアマックスじゃないや。


靴が欲しい

2005-04-29 17:50:58 | 物欲
 今日は休日。

 よって夕刊がない。ないものは配れないので、今日の夕刊配達はお休み。

 もちろん。
 俺の「心の夕刊」を配達しちゃってもいいんだ、もちろん俺はそれでぜんぜんかまわない。だけど、配られた各家庭の読者が迷惑するだろうからやめとこう。俺も疲れるし。

 だ。

 そんなで、パン屋のバイトだけだと俺はお昼の三時には解放される。今日は夕刊がないので、いつもカバンにつめて持ち歩いているバイクの半キャップも今日は持って来てない。
 今日は暑かった。さすがにいつものジャンバーでは暑すぎる。
 ちょうどカバンには半キャップのスペースが明いているので、そこにジャンバーをつめこみ、身も心も軽く退社。ルンルンだね。

 定期もおニューだし。なんだか、とっても幸せ。時間もたっぷりある。さて、どうしよう?

 そこで。

 靴が欲しい。

 それも二足。

 一足は通勤にもはける夕刊配達用の軽い運動靴。
 いま現在。俺の靴はバイク便をやってた時に買った登山靴。これで通勤して夕刊も配っている。西暦2001年に購入し、今だに愛用している現在の俺のただ一足の靴だ。
 バイク便の時には、それなりに登山靴にも意味があった。登山靴には補強材が入っているので簡易ライダーブーツになるのだ。冬場は風をとおさず足があったかいし、事故ったときには補強材が多少は足を守ってくれるはずだ。その上、歩きやすい。しっかり足をホールドしてくれるので長時間歩く時に疲れない。いいお散歩靴にもなる。
 この靴はずいぶん長い間、愛用していた。この靴で二度も京都旅行に行ったし。何度も高尾山にも登った。だが、やはり登山靴で走るのはきつい。

 新聞配達には軽くて足の甲が自由におり曲がる軽い運動靴がむいている。それにこの登山靴はもう底がボロボロで雨が降るとジワジワ浸水してくる。

 そして。

 もう一足欲しい靴は、パン屋の工場で履く上履き。
 現在、国分寺のピカソで買った990円の運動靴で労働に従事しているが、この靴は安いだけあって、足はむれるし、非常に疲れる。
 パン屋は究極のたち仕事だ。
 ダサイ靴は己の体力を削る。いい仕事靴が欲しい。

 立川に帰る途中で、脳内大蔵省から一足だけなら靴を買ってもよいとお許しが出た。

 ただし。ゲンナマの実弾は使用禁止。これは今月の借金返済資金だ。カードで買うなら五千円以内の靴であれば買って良いとの事。

 お許しは出た。ただし一足。さて、夕刊配達の軽い靴か、疲れにくい上履きか。
 どちらを買おうか。


募金

2004-11-07 15:00:52 | 物欲
 募金とはいかなる行為か。気持ちいいのか、悪いのか?良い事なのか、悪い事なのか?
 募金、さい銭のたぐいは払わない事にしている。ただし、さい銭のほうは、あまり人目が多い時は仕方なく払う事もある。拝観料も払ってる。
 
 俺がいつも持ち歩く、この財布の中の金は俺の物だ。そういう事になっている。例え、拾った金であろうと他人が俺の財布から勝手に取り出して使えば犯罪になる。拾った金でもだ。
 だが、不思議な事に俺の財布には名前なんか書いてない。もちろん俺の財布の中の金に俺の名前が書いているわけでもない。ただ勝手に俺がいつも持ち歩いているこの財布の中の金は俺の物だと思い込んでるだけだ。そして他人もそういう事にしといてくれている。

 募金を嫌悪する人がいる。募金する人を偽善者よばわりして、大局が見えない馬鹿者だと言う。事実、そのとおりだ。金じゃ、人の命は救えない。実際に人の命を救うのは現場にいる人達だ。
 だけど、そういう人達が活躍する為には金がいる。配るべき毛布や食いもん、薬などがなければなにもできないだろう。

 助ける事に疑問を抱く人さえいる。死ぬ奴は死なしとけばいい。そのとおりだ。何故、身も知らぬ他人を助ける必要があるのだろう。よけいな事はしないほうがいい。ただでさえ、人口は多すぎるのだ。口減らしは必要なのだ。増えすぎた人口は確実に新たな災厄を生む。きりがないのだ。

 だが、募金をする人に俺は悪意を持たない。みんなごく普通の善良な人達だ。募金をしたいなら、好きなだけ好きにすればいいと思うし、彼らを偽善者よばわりするつもりもない。

 ただ、募金をする精神にはどこかうさんくさい、後ろめたさを感じる。

 募金と売春はどこか似ている。金で問題にかたをつけようという、どこかあさましい精神。
 本当に助けたいなら、現場に行き汗を流せばいい。助けたいと言う情熱を否定する気はない。
 本気で女とやりたいなら、全精力をかけて女を口どけばいい。
 募金や売春自体は悪でもなんでもない。金は天下の回りものだ。回すがよろしい。回転寿しだ。

 募金はしないが、風俗には何度か足を運んでいる。やはり金で女は買えない。マンコをレンタルしているだけだ。

 2年あまりのバイト君生活で時間給にも、募金や売春に似た、いかがわしさがあることを学んだ。金とはなんなんだろう。

 それにつけても金の欲しさよ。