墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

この痛みの原因

2005-07-17 21:35:22 | 怒り
 昨夜もチラッと書いたが、「イタイ」は他者の存在への全否定の言葉である。「死ね」と言ってんのと同義であると俺は感じる。

 死ねまでいかなくても、目の前からリセットされて欲しい存在に対して投げかけられる言葉が「イタイ」なのである。
 例えばだ、あなたと俺が今日はじめて出会ったとする。
 あなたはあなただ。俺とは一面識もない架空のあなた自身としよう。もちろん、架空のあなたなので、あなた自身の事を言っているわけではない。

 「こんにちわ」と互いに挨拶を交わす。出会ったシュチュエーションは各自でシュミレートして欲しい。
 さて、俺はさえない風貌の小汚い中年男。あなたの俺への第一印象は「ダサッ」である。そして互いに自己紹介をする。まずはあなたから。俺は聞いているのかいないのかよくわからない顔でぼんやりしている。なおかつ目の焦点はさだまっていない。あなたは自己紹介しながら、「こいつ少し危なくなくない?」という感想を抱く。次に俺が自己紹介しはじめる。そのとたんこの世のものとも思えないニンニク臭!「クサッ!激クサのマジクサ!」俺の口臭はこの世のものではなかったのである。まさに犯罪である。そして俺の語る俺の経歴は35にもなって、嫁もなく親からの自立もなく、さらにフリーターでマンガオタク。あなたは、俺の口臭に耐えつつも心の中で思う。「こいつ、今すぐにここから消えて欲しい」

 後で、誰かに俺の印象を聞かれたとしてあなたは答える。
 「なんだかイタイ親父だった」

 俺には何一つ悪気はないが、あなたにとり俺の存在は、今すぐ目の前から消えて欲しいリストナンバーワンだ。俺はあなたの居心地の良さをあきらかに侵害している。俺の存在はすでに人災だ。ならば、対決すればいいのだ。口臭が臭いからマスクしてくれとか、俺と自分はあわないからとか言ってその場を逃げ出すとか。あなたが金で買われた人間でないかぎりはコレは当然の権利だ。俺の存在自体がうとましいのに「こいつイタイ」と論旨をすり替え、痛い思いをした自分は被害者なのだと被害者面するのは、姑息な逃げである 。ましてや、金で買われた身分であるなら雇用者やお客様に対して「イタイ」という感想を抱くこと自体が図々しい。(金で自分を売り渡すこと自体がおかしんだけどね)

 自分的に今すぐいなくなって欲しい、あるいはめざわりでうとましい存在に対して「イタイ」が発動する。
 街をうろつく路上生活者。あなたにとり、彼らはめざわりでうとましい。
 ヘラヘラと笑っている、自分とはかなり違った価値観を持ついじめられっ子。こいつも存在自体がすでにうとましくうざい。見ているだけで嫌な気分になる。
 あなたが「イタイ」と言っている限りは、あくまで自分は被害者であり、痛がらせている当人が加害者なんであるが、対象の消滅を願う心境は正に加害者のソレであり、「こいつ、俺にとってウザイから、今すぐ死んでいなくなれ」と言うと加害者なところを、被害者ですませてしまえるのが「イタイ」なんである。

 健全なあなた達にとり、俺らは存在そのものが呪いである。現代日本が生んだひずみであり、あってはいけない存在だ。
 俺たちとは。
 かたわ。
 キチガイ。
 売女に脱落者である。
 俺は脱落者だ。
 身体障害者の方には五体満足なくせに脱落したお前と同類にするなとお怒りの方もいらっしゃるかもしれない。(身体障害者という言葉自体が嫌いで失礼なんだが)でも、実は俺だって社会に適合する能力のない精神障害者なのである。現代日本の慣習に従い、なにかが足りない事を障害と言ってみた。
 でも、なにかが欠けていても、脱落者でも、本人やまわりに変革の意志があるかぎり必ずや変われるはずだ。なくても、時が変革をまねくこともある。せっかく自分も母親も痛い思いをしてこの世に生まれたのだ。他人に「死ね」と言われて黙っていてはいけない。「お前が死ね」と言い返そう。
 イタイは卑怯で被害者意識丸出しのまったくいけてない言葉である。どんな人でも生きているんである。生き物にいなくなれと重うコトはその存在への全否定であり、対決こそが正しい生き様であると俺は思う。


いたいの嫌い

2005-07-17 19:45:52 | 怒り
 この「日記」が、ネットでだれかに「痛いブログ」として紹介されていたらしい。
 昨日はそのことに対してなんとなくブチブチと切れて怒っていたが、今日になったら別になんともない。なんでそんなに怒っていたのかを考えてみよう。
 数日前に起こった、「日記」へのアクセス数増大。突然のありえないアクセス数に不安をおぼえる。そこへ、「痛いブログリストにさらされてましたよ」というコメントをいただき、不安は具体化し怒りへと変わる。

 でも冷静に考えりゃ。俺は毎日毎日、自分の情けない日常や小学生以下の作文を自分の手と指で世間様にさらしてるじゃないか。今さら、さらされたと怒りだすのは反則である。むしろ、紹介されたと素直に喜ぶべきであろう。
 「さらされてましたよ。」なんて過激な日本語を使うから、俺もついカッとなってしまった。このコメントの人も人が悪い。せいぜい笑いもんにされていた程度の事だろう。何かを発表する以上、その事は避けては通れない事だし、俺の作文じゃ笑われて当然なんだから、あきらめるしかないのだ。
 では、「さらされて」を「紹介されて」に入れ替えてみよう。
「痛いブログリストに紹介されてましたよ」
 まだむかつく。「痛いブログリスト」という言葉に反射的にパブロンの犬のごときに、いやハプロフか?よだれが、いや怒りがわいてくる。
 ようするに俺は、「イタイ」という言葉が死ぬほど嫌い!

 自分で自分を自嘲的に卑下して「俺ってイタイ親父だからさー」と言うなら許される。しかし、他人に平気で「お前イタイんだよ」と言う奴は大嫌いだ。噛み付きたくなる。
「イタイって言う奴が一番イタイんだよ!何様のつもりだ!テメーで勝手に痛がって、のたうち回ったあげくに激痛で痛死にでもなんでもしやがれ。」

 同時に人の事を「もう終わってる」とか勝手に決めつける奴も嫌いだ。


イタイ夜

2005-07-16 21:37:55 | 怒り
 ところで。
 俺のこの「日記」の作文の痛さはいかほどのものか。

 アイタタ!イタタみたいなものか。
 あるいはイタ。イタ。イテテか?
 もしくはイテー!イテーよ!か?

 口臭と同じで、俺のイタサは俺には良くわからない。痛がるのは他人で俺は痛くも痒くもない。むしろ陶酔して作文している。
 俺の作文で痛がる人がいたとは、非常に申し訳なく謝罪の言葉もない。ってゆーか謝罪なんかするつもりはない。勝手に痛がって痛死ねばよろしい。

 さらされてんのは俺で、さらしもんにしたのは何処の誰ともしれないお前だ!
 俺は実際に、さらされて非常に気分が悪い。フザケンナよと思っている。

 だけど、痛いのはお前なんだよね。実際にさらされて被害を被ったのは俺のはずなのに、お前がイタイと言う。俺の存在が痛くて痛くてたまんないんだろうな。ソコは謝る。痛い作文ばかり書いてて非常に申し訳ない。
 でも、イタくて不快ならぜひ目をそらして欲しい。申し訳ない、ごめんなさい。
 目をそらす事ですむことをわざわざさらすのなら、お前は何者だと俺は噛み付く以外には手はない。
 なにも、どこの誰とも知らないお前に噛み付くのは俺だって嫌だ。

 俺はお前にさらされて気分が悪い。さらしたのはお前だ。
 でも、痛がってるのはお前なのだ。ここで加害者と被害者の逆転が起こる。お前にとり、お前がイタイと感じる事を俺が書く事自体が悪で、お前にとり俺は馬鹿丸出しなんだろう。
 痛いお前は被害者で、痛い思いをさせた俺が加害者なんである。

 どこまでも被害者面の小市民が!
 俺のイタサはオリジナルティ。いわゆる個性である。
 個性が痛いのは当然だ。個性とは当人の欠陥であり、修復不可能なクセだ。それが他人に痛く映るのは仕方がない事だ。
 まわりの他人からイタイと言われるのが怖くて、「オレが痛いんです!」と叫び続ける小市民。それがお前の正体だ。仮病のイタタローだね。

 この世の、現代日本という共同体から外れたモノははみんな、小市民からイタイというラベルをはられる。
 身体障害者。
 キチガイ。
 乞食。
 売女。
 そして俺も。

 俺らは共同体からいらないと烙印を押されて、つまはじきにされただけなのだ。
 俺はまだ這い上がろうという意志だけは持っている。でも、そこに「イタイ」だ。
 俺の存在自体がイタイのだ。
 そして、彼らにイタサを与えている加害者は俺なのだ。
 くそくだらん被害者意識の固まりの小市民ども。
 俺はこんな奴らの仲間に入りたくてあがいていたのか。


さらされる朝

2005-07-16 20:47:26 | 怒り
 目覚ましのなる五分前に目が覚める。
 朝の四時五十五分。

 目は覚めたが、目以外の体の全てはまだ覚醒していない。目が覚めたままの姿勢で布団の上で固まる。
 換気扇と扇風機の軽快なモーター音に交じり、ブーンという重たいモーター音がしている。どうやら、またコンピュータの電源を落とさずに、エディターで作文しながら寝ていたらしい。俺は起き上がるとエディターでの作業内容を保存して終了させ、その下で昨夜から開いたままになっているブラウザの画面を閉じようとした。だが、その前に待てよと思い直し、自分のサイトを開いて確認してみる事にした。

 なにかコメントでもきているかもしれない。
 そう思い、「日記」のウェブログを開く。あっ、コメントがきてる。無記名の名無しさんからのコメント。
「痛いブログリストにさらされてましたよ」

 そうか。そうでしたか。
 実はつい最近、異様に「日記」へのアクセスが増大した日があった。その日は深夜の三時間でアクセス数が700を超えた。おかしいな、こんな事はありえない。アクセスカウンターの故障か、さらされたのかのどちらかだなと俺は推理した。

 やっぱりさらされたらしい。
 最近、痛いブログを面白おかしく紹介してネットで笑いもんにしちゃおうというような事がはやっていたのは知っていた。その事を「さらす」と言うらしい。
 さらすはさらしクビのさらしだ。あえて痛いブログを公の場で公開して笑い者にしてやろうということだ。

 さらすとか言って喜んでるけど、そんな事してると今に呪われんぞ!呪いの根は後を絶たず、今朝の俺は非常に不愉快だ。


カップル

2004-11-08 19:10:09 | 怒り
 もてない男にとり、最大の厄日であるクリスマスはもうじきだ。もてない諸君のあせりと怒りが俺にはひしひしと伝わってくる。
 だが、アベックとかカップルとか言っている様じゃ、まだまだ甘い。まだ、連中の人権を認めている。ここは、ぜひ、つがいと言うべきである。かなりスッとする。
 カップルを「ヒトのつがい」と言い放った時の爽快感は何ものにも変えがたい。それだけで、いきそうになる。いや、いかないな。
 そんなだ。ごめん。