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Amazon.co.jp:臓器移植 我、せずされず小学館文庫: 本 .
死には本人の決定権はないというのが、この本の裏の主題である。
死は、生き続ける限り、常に他人事である。
「俺、一回死にかけてるんだよねー」とか、前世の記憶とかは、死者にカウントされない。
死は、他人に死んだ事が認められてはじめて成り立つ。
死の自己申告は絶対にあり得ない。何故なら死人は口なしだからだ。それが乱暴だけど、この本の主題である。
死の自己申告があり得ないなら、ドナーカードは無効である。ドナーカードをありがたがるのは、臓器移植を職業とする医者と、臓器移植で命が助かる患者だけだ。
そう考えれば、「死」は他者からの決め付けである。
「お前は死んでいる」
「ヒデブッ!」
てなもんだ。
自分の死の認定に自分は介入できない。
本人にとって死は永遠の意識のとぎれ。夢もみないで永久に眠ているのに等しい。
死を認定するのは常に他者である。
だが、こんな事は、誰もが知っていること。「死」の認定に、自分が参加する事はありえない。死んでも死んだ事を自覚する自分がいない。
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死には本人の決定権はないというのが、この本の裏の主題である。
死は、生き続ける限り、常に他人事である。
「俺、一回死にかけてるんだよねー」とか、前世の記憶とかは、死者にカウントされない。
死は、他人に死んだ事が認められてはじめて成り立つ。
死の自己申告は絶対にあり得ない。何故なら死人は口なしだからだ。それが乱暴だけど、この本の主題である。
死の自己申告があり得ないなら、ドナーカードは無効である。ドナーカードをありがたがるのは、臓器移植を職業とする医者と、臓器移植で命が助かる患者だけだ。
そう考えれば、「死」は他者からの決め付けである。
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本人にとって死は永遠の意識のとぎれ。夢もみないで永久に眠ているのに等しい。
死を認定するのは常に他者である。
だが、こんな事は、誰もが知っていること。「死」の認定に、自分が参加する事はありえない。死んでも死んだ事を自覚する自分がいない。