墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

脳死

2006-01-29 18:15:38 | 
リンク:
Amazon.co.jp:臓器移植 我、せずされず小学館文庫: 本
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Ikeda

 死には本人の決定権はないというのが、この本の裏の主題である。
 死は、生き続ける限り、常に他人事である。
 「俺、一回死にかけてるんだよねー」とか、前世の記憶とかは、死者にカウントされない。

 死は、他人に死んだ事が認められてはじめて成り立つ。
 死の自己申告は絶対にあり得ない。何故なら死人は口なしだからだ。それが乱暴だけど、この本の主題である。
 死の自己申告があり得ないなら、ドナーカードは無効である。ドナーカードをありがたがるのは、臓器移植を職業とする医者と、臓器移植で命が助かる患者だけだ。

 そう考えれば、「死」は他者からの決め付けである。

「お前は死んでいる」

「ヒデブッ!」

 てなもんだ。

 自分の死の認定に自分は介入できない。
 本人にとって死は永遠の意識のとぎれ。夢もみないで永久に眠ているのに等しい。
 死を認定するのは常に他者である。

 だが、こんな事は、誰もが知っていること。「死」の認定に、自分が参加する事はありえない。死んでも死んだ事を自覚する自分がいない。


立川

2006-01-29 18:07:45 | まち歩き
 重要な自分なりの果たさねばならない任務があり、立川の北口まで出かけた。
 だが、さも重要さをアッピールとアピールして広報しつつ公言すると「こいつ馬鹿なんじゃねーの」とかいうレッテルを貼られかねない。そうなるとはがすのが大変なので、ちょっと野暮用でとか、口を濁しておこう。(でも、本当は大事な用事)

Tatikawa

  久しぶりに立川の北側に来てみるとフロム中武の宣伝文句が変わっていた。
 
 「立川は力持ち!?」

 外したな。

 「立川は大丈夫」の後に「力持ち」じゃ、なんだか外れている。
 コピーじゃけなすわけにもいかないしな。
 先に「力持ち」で、次に「大丈夫」なら良かったんだけど、「大丈夫」のインパクトの後に「力持ち」だと、見た人も「だから?」となる。宣伝は難しいね。


おいし占い

2006-01-29 09:38:44 | こうさぎ
☆おいし占い☆ 人々運絶好調

 「怪しみを見ても、怪しまなければ、怪しみは破れる」と言う。

★愛のアドバイス★
 そう。心霊写真も怪しまなきゃ、別に怪しくないもの。
 それはそうなんだけど、人々運絶好調と占いの内容にどうかかわりがあるのかは不明。
 あー、もしかして不審者がいても怪しむなってことかな。
 みんな仲良く。不審者とも仲良く。できれば。

*これはBlogPetおいしによる今日の占いです。
占い監修:マダムprotozoa


徒然草 第二百七段

2006-01-29 09:36:46 | 徒然草
 亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかがあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。ただ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井川に流してげり。
 さらに祟りなかりけり。

<口語訳>
 亀山殿建てられようとして地を引かれたら、大きな蛇、数も知らず凝り集る塚あった。「この所の神である」と言って、事の次第を申したらば、「いかがあるべき」と勅問あったのに、「古くよりこの地を占めたものならば、たやすく掘り捨てられ難い」と皆人申されたが、この大臣、一人、「王土におる虫、皇居を建てられるのに、何の祟りをなすはずか。鬼神はよこしまなし。とがめるべきでない。ただ、皆掘り捨てるべき」と申されれば、塚を崩して、その蛇を大井川に流してしまった。
 まったく祟りなかった。

<意訳>
 亀山殿の建設中の時。
 人夫達が建設地の地ならしをしていると、大きな蛇が数も知らず寄り集っている塚が見つかった。
 建設を管理する役人は「この蛇は、この地の神である」として工事を中止。
 さっそく事の次第を後嵯峨院に報告すると、逆に「いかがするべきであるのか」と院に質問された。
 
「古くよりこの地にいる者達ですから、たやすくは掘り捨てられません」

 人は皆そのように言ったが、建設の監督をしていた大臣だけが、ただ一人それに反対した。

「皇国に住む蛇が、皇居を建てられるのに何の祟りをなそう。鬼神は道理に背く事をしない。気にせず、ただ皆掘り捨てるべきである」

 大臣がそう言うので、塚を崩し蛇を大井川に流してしまったそうであるが、まったく祟りはなかった。

<感想>
 206段に出てくる「父の相国」と、この207段に出てくる「この大臣」は同じ人、太政大臣の藤原実基のことである。開明精神の持ち主で、決断力もある人だったそうだが、この人は兼好が生まれる前に亡くなっている。兼好は人から聞いた話を書いているようだ。
 会議場で牛がねそべって反芻していたり、建設現場でヘビ塚が見つかったりしたら、昔の人でなくても、現代人だって驚く。迷信深い昔の人なら尚更だ。何か悪い事の起こる予兆だと疑ったり、祟りを怖れたりするのは当然である。
 だが、この2段の主役である藤原実基は違う。そんな事は気にしないで、合理的に事態の収拾をはかっている。
 下らない迷信を嫌う兼好は、そんな実基の話に共感を抱いてこの二つの段を書いたのだろう。

原作 兼好法師


日曜の朝

2006-01-29 09:35:34 | 日常
 今日は休みなので、朝の散歩に出かける。

 今朝は晴れ。青い空に薄いすじ状の雲がひろがる。
 
 道を歩いていたら、道端に凍った犬のクソがあった。
 昨日の夕方か夜にでも生産したものだろう。やや軟便、広がった状態で盛り上がり凍りついている。
 犬のクソはお持ち帰りが原則だが、コロコロうんちならともかく、このクソが生みたてホカホカだった時は、さぞや、お持ち帰り不可能の状態であっただろう。

 しかしだ、見事に凍りついているようには見えるが、たかが東京の寒さだ。芯まで凍りついてるとは想像しにくい。凍っているのは表面だけで、クソの中身までは凍りついてはいないだろう。
 今、このクソを踏みつけたなら。

 表面はパリパリ、中はしっとりグッチャリ。

 パリ。グニャ。

 横目でクソを見ながら、ふみ心地を想像してみたら、なんだかイヤァーな気分になってしまった。
 今朝はその「なんだかイヤァーな気分」をおすそわけ。