墨汁日記

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徒然草 第五段

2005-07-31 20:53:15 | 徒然草
 不幸に愁へに沈める人の、頭おろしなどふつつかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて、待つこともなく明かし暮らしたる、さるかたにあらまほし。
 顕基中納言の言ひけん、配所の月罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

<口語訳>
 不幸や憂いに沈んでいる人は、頭を丸めるなどとふつつかに思い立ったりしないで、いるかいないかほどに門を閉じて、待つこともなく毎日を暮らす、そういうふうにある事が望ましい。
 顕基中納言は言った、配所の月を罪なき身で見れたら、そうとも思えるな」

<感想>
 うえー。またも、中途半端な口語訳。原文の3倍は意味わかんないでしょう。もとのより3倍すごいのがシャー専用、もとのより3倍ひどいのがこの俺なのだ。そう俺なのだ!
 まずは、受け売りの解説。顕基中納言(あきもとちゅうなごん。顕基は名前で中納言は位)は無実の罪で島流しにあった悲劇の人であったらしい。だから、配所の月は、島流しにされた先の流刑の地で見るお月様。こいつを罪なき身で見れたらどんなに良いかと中納言は言っている。どういう意味で、どんな気持ちで言ったのかは知らん。でも、兼好法師は自分の文章に参照するほど、このセリフがお気に入りだったらしい。
 そしてだ。兼好法師は一気に「徒然草」全部をまとめて書いたわけでなく、若い頃から書きためていた作文を晩年に「徒然草」として、まとめたらしいのだ。そのため序段から第三十段までの文章は若い頃、30才前後にお使えしていた後二条天皇が崩御されてすぐの、兼好法師が出家したかしないかの頃に書かれたものであると現在では推測されているらしい。
 まだ、出家したてか、出家以前の兼好法師が書いたのがこの第五段なのだ。まだこの頃の兼好法師には出家に迷いがあったのだろうと橋本治は推測している。
 その推測をバックボーンの背骨にすると、第五段の文章はなんとなくわかってくる。
 出家を考えてはいるが、まだ出家してない。あるいは出家したてで、やや出家を後悔している30才前後の兼好法師。
 では、意訳してみよう。

<意訳>
 不幸で悩んでてて、頭丸めて坊主にでもなろうかと考えてる皆さん。もう自分なんか、いるのかいないのかわからないほどに引きこもって、まったくなんの期待もせずに生きていくのもアリですよ。
 島流しにあった顕基中納言も言ってました。「この流された島で見る月を無実な身で見れたら、、、」 そうでしょうとも。




原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書


2005-07-31 19:16:22 | 日常
 今朝は三時半に目が覚めてしまった。目がさえ眠れない、コンピュータの電源を入れてグダグダしてみる。するとそのうちに外が明るくなった。朝の散歩にでも行こうかとも思ったが、タバコが切れている上に財布の中には40円しかない。明日になれば給料が振り込まれるはず。今日はタバコも缶コーヒーもあきらめて家でじっと寝ていよう。
 タバコも吸わず、水道水を飲み、本を読みながら布団の上で一日をすごす。ところが夕方頃になると、のどが乾いてきた。どうやらこののどの渇きは水道水ではいやしきれない種類の乾きであるらしい。俺の中には他の全てをあきらめられても、あきらめきれない大切な何かがあるのだ。なにかとはなにか? そう! サッポロ黒ラベルだ。
 今日一日、灰皿からシケモクをひろいだし、そいつを吸いながら、なにもかも我慢して生きてきたのだ。夜のサッポロ黒ラベルだけはゆずれない思いなのだ。だから、おふくろに千円借りて、酒を買いに出かける。
 ついでに足をのばして、足長おじさん気取りで矢川緑地に出かける。涼しい風が吹く。あー。夏の夕方はさわやか。
 矢川緑地を出て、道を歩いていたら蛇が死んでいた。悪役っぽい、爬虫類的な顔でクールに息絶えている。けっこう長い、みたところ外傷はないようだが、死因はなんであろうか。夏場と言う事もあり、すでに蛇の体からは死臭が漂う。
 蛇の死体なんて久しぶりに見た。


徒然草 第四段

2005-07-31 05:52:03 | 徒然草
 後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、こころにくし。

<口語訳>
後の世の事を心に忘れず、仏の道に疎い、心憎い。

<感想>
 この文章は短くて、なんとなくスラスラ意味がわかってしまうような気がする。
 兼好法師はツクツクボウシでなくお坊さんなので、彼の言う「後の世」は来世の事だ。
 素直に読めば、「来世のことをいつも心に忘れず、仏様の教えに疎くないのは、素敵なこと」 という文章になる。
 しかし、ここでテキストである「絵本徒然草」から、橋本治の現代語訳を抜き出してみよう。
「来世の事を胸に刻んで、仏の道に無関心じゃないの、いいよなァ」
 あれ、最初に思った意味と反転している。
 実は、原文の「仏の道うとからぬ」が曲者なのだ。
 「うとからぬ」の最後の「ぬ」が打ち消しの意味なのか、それとも状態が実現している事を意味する助動詞終止形の「ぬ」なのかで、文章自体の意味がまったく変わってしまう。
 打ち消しなら「仏の道にうとくない」だが、終止形なら「仏の道にうといからね」となる。困った事に、もう一冊のテキストには第四段の文章自体が収録されてないので、比較見当ができない。
 仕方なく、ネットで「徒然草」の現代語訳を調べてみると、第四段は素直に「仏の道に疎くない」と訳している人が多い。
 だが。とりあえず、今回は橋本治を信用して「仏の道に疎いからね」と言っているのだとして、意訳してみよう。

<意訳>
 来世の事ばかりで、仏の道にうとい、心憎いね。

<追記>
 なにが言いたいのか、兼好法師。
 橋本治の解説とは違ってしまうが、「『来世、来世』と来世のことばかり口にして、肝心の仏の教えに無関心な奴が多いよな。いいよね、お気楽で」 と言いたいんではなかろうかと想像する。
 短い原文ではあるのだが、ここまで想像するのにやたらとてこずった。あなどりがたし徒然草。



原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書


徒然草 第三段

2005-07-30 20:48:38 | 徒然草
 よろずにいみじくとも、色好まざらん男はいとさうざうしく、玉の巵の当なきここちぞすべき。
 露霜にしほたれて、所さだめずまどひ歩き、親のいさめ世の謗りをつつむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひみだれ、さるは、独り寝がちにまどろむ夜なきこそをかしけれ。
 さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

<口語訳>
 すべてにすばらしくても恋なき男はひどくさびしい、玉のさかずきの底がないかのように感じられる。
 露霜にしたたれて、所さだめず迷い歩き、親の戒め世のそしりで気後れして心安らかになれない、何とも言えない思いに乱れて、それで、独り寝ばかりでまどろむ夜しかない事のおかしさ。
 しかし、ひたすらたわむれるだけの男ではなく、女に並大抵の者ではないと思われてこそ、あぁ望みの技である。

<意訳>
 いかに完璧な男でも、失恋経験の一つもないような奴はいささか寂しい。高価な宝石を削って、せっかく杯を造ったのに、最後に手元が狂って底が抜けちゃったみたいなかんじだ。
 夜露に濡れ、行き先も定まらぬまま一晩中ほっつき歩く。好きでそんな事をしているはずなのに親の小言や世間の評判を心配して何とも言えない思いに心がかき乱れる、そんな事を繰り返していながら、独り寝で悶々とするばかりの毎日に自分で自分がおかしくなる。
 しかしだ。こんな男でも、女に並大抵の男ではなさそうだと一瞬でも思われたなら、まぁ最高だよね。

<感想>
 恋に仕事にと大成功している男は、たしかにうらやましいが、失恋だらけでセンズリが彼女みたいな男の目から見ると、どこか大切ななにかが彼には欠けているように思われる時もある。
 なんて事を兼好法師はこの文章で言いたいのではないかと想像する。
 橋本治の「絵本徒然草」の解説を参照させていただくと、この第三段は、夜ばいが失敗した時の気持ちを書いているのではないかと言う事だ。
 いくら、鎌倉時代な大昔でも、勝手にひとんちに不法侵入して、ソコの家の娘を犯したら強姦で犯罪である。夜ばいにも段取りが必要なのだ。
 恋の歌を何度もお気に入りのお屋敷の娘に送り、ついでにお屋敷の召使いとも仲良くなっておく。やがて、恋の歌にも返事が来るようになれば「脈あり!」だ。
 そこで召使いに、彼女にお目どおり願いたいんだけど、一役買ってくれないかなと根回しをはかる。召使い、おめあての彼女の下女は言う。「じゃ。気持ちだけはお嬢様に伝えときますんで」そこまで、下女から引き出せればしめたもの。
 やったー。
 おめあての彼女の生顔すら拝んだ事のない超童貞くんは天にも昇る気持ち。
 二三日して、屋敷に行き下女を呼び出すと、「お嬢様はお会いになられても良いかも。と、申しております。とりあえず、私の一存で、今夜はこの門のカギを閉めずにおいておきましょう。ただ、お嬢様にも都合がございますゆえ、あまりご期待はなさらぬ方が良いかもしれません」
 もう、チンコはこの段階でピーチクパーチク。
 浮かれ気分で、もう夜が待ち遠しくて仕方ない。
 夜になり、屋敷に行くと、門にはかんぬきがささっている。おしても引いてもビクともしない。あれー。来るのが早すぎたのかなー。
 下女が門を開けてくれるのをひたすらに待つ。街灯もない暗闇の中で口臭チェック。ふところには、最新の愛の歌。
 長い長すぎる。いくらなんでもこれはありえんだろうと思えるほど長いあいだ門の前で立ち尽くしていた。いつの間にやら空は白みはじめ、一張羅の自慢の着物は朝露に濡れている。
 そしてやっと悟る。あー。今夜は彼女は都合が悪かったんだ。そして、ありとあらゆる都合を考え、自分の惨めさをやっと知る。
 俺なんか、誰にも必要とされてない。俺はいらない。俺は不良で腐ったミカンだ。
 とりあえず、うちに帰ってセンズリでもかこう。抜けば、スッキリして眠くなる。
 足取りは重く、頭は徹夜で疲労しきっている。そして、それでも最後の最後にこう考える。こんな惨めな俺でもすごいと言って好きになってくれる女がどこかにはいるかもしれない。
 なんて思いをした兼好法師が中年になってから書いたのが、この第三段なのではなかろうか。



原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書