墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

苦手

2005-12-18 08:34:16 | ブログの仕方
 他人ところのブログはどうも苦手だ。勝手がわからないから勝手にできない。
 俺のやっている「徒然草」の解読がほかのブログで紹介された。ついうれしくなってお礼のコメントを送りたいのだけどそのブログの会員でないとどうやらそのブログにはコメントできないらしい。
 トラックバックならたぶん出来るだろう。
 恥ずかしいけど、なんて口ばかりで恥なんか捨てているので、ここにコメントを書いて送っておこう。

「トラックバックありがとうございます。俺のやっている事は勉強の役にはたちませんが、紹介されて正直うれしかったです。読んでくれている人がいるんだと安心しました。古典の勉強頑張って下さい。」

 ということです。


Today 's女川

2005-05-29 09:44:35 | ブログの仕方
リンク: Today 's女川.

 女川観光協会による、「Today's女川」の紹介です。

 ほぼ毎日。同じアングルからの写真を全く同じレイアウトで投稿している稀なウェブログ。
 バックナンバーから全ての記事を追っていくと、「あぁ継続って大切だよな。」とか「時間ってなんなんだろう。」とかいろいろな感想がわいてきます。

 良く記事を読むと、記者により文に特徴があり、なかなか味があり楽しいです。
 しかも、肝心の女川が何県のどこにあるのか、どうやったら行けるのかなどは、わからない仕組みになっており、推理ものとしても楽しめるようにできています。

 ぜひ、ご堪能下さい。


わかる作文

2005-05-17 20:44:58 | ブログの仕方
 表現の主格は受け手にある。
 
 これが「漫画家志望」としての俺が最期に出した結論である。この事に気がつくのに30年かかった。
 あらゆる表現は受け手の器なりにしか受けとめてはもらえない。
 
 養老孟司も似たような事を言っていた。本も書いてる。たしか書名は「馬鹿の壁」だっただろうか。

 その事に気づいてから、俺は表現にとり「わかる」ことは無意味な事だと思いだした。
 どのくらいわかるかは受け手しだい。
 わかる人にしかわからない。
 いや。下手すれば誰も正確には理解してくれない可能性もある。

 わかってもらう事への不信感。わかりやすいことへのあきらめ。

 なら、わかりやすい表現は無意味であり、わからないように描く事に意味があるのではないかと一時は考えていた。

 だがだ。漫画家なんてヤクザな夢をすて、こうして真人間としてブログで作文を書いていて気づいた。

 わかってもらいたい。

 そうだ。わかってもらいたいのだ!
 俺は俺という人間をわかってもらいたいが為だけに、その事だけが目的でほぼ毎日、日記めいた作文をしているのだ。

 わかってもらいたい!
 これがもしかするとあらゆる創作の根本的なエネルギーなのかもしれない。

 だから、あえて俺はわかりやすい作文という方向に向かおうと思う。