墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

はとが

2006-08-21 19:54:31 | 日本語
 助詞の使い方は奥が深い。
 助詞は「てにをは」の事だ。

「私(は)ウチヤマです」

「私(が)ウチヤマです」

 この「は」と「が」の違いはなんだろうか。「は」は「何々は何々である」という断定をあらわし、「が」が「何々が何々である」という説明をする。

「私(が)変なオジさんです」は説明だから、いきなり「へんなおじさん」と踊りだしても許される。これが「へんなおじさん」の特徴なのだと踊りで説明している。
「私(は)変なオジさんです」だと、言いきってしまっているので、状況が起こらなければ変さを証明する間もなくすごすご退場するしかない。

 例文。

「金魚(は)主に水草と金魚の餌を食べますが、まれに人をおそって食べます」
(金魚(は)いろいろ食べるけど、人も食べますという断定)

「金魚(が)食べるのは主に水草や金魚の餌などで、まれに人をおそって食べます」
(金魚(が)食べる物はいろいろだけど、人も食べますという説明)

 「は」は熱い。熱血で言いきり。
 「が」は説明。ややクール。

 「は」は「これはこれだ」
 「が」が「これがこれだ」
 というニュアンス。


わたしウナギたべる

2006-08-16 20:13:13 | 日本語
 日本語と英語の最大の違いは何だろうか。

 順番である。

 英語は間違った順番にすると、とたんに意味が通じなくなる。分かってもらう為には絶対に崩してはいけない単語の並べ方が英語には存在する。

 もちろん、日本語にも単語の順番を崩すと意味が分からなくなる場合もあるが、英語ほどは決定的ではない。わりとゆるい。

『私(は)ウナギ(を)食べる(。)』

 この文章から助詞などを取り除き、単語をバラバラにして並べかえてみよう。

 バラバラにされた単語はこれらである。
 『私』、『ウナギ』、『食べる』。

1、「私(は)ウナギ(を)食べる(。)」

2、「私(が)食べる(のは)ウナギ(。)」

3、「ウナギ(を)私(は)食べる(。)」

4、「ウナギ(を)食べる(のは)私(。)」

5、「食べる(。)私(は)ウナギ(を。)」

6、「食べる(。)ウナギ(を)私(は。)」

 どんな並べ方をしても、ほとんどは助詞の使い方でなんとか文として連結できる。
 私→ウナギ→食べる。
 という意味は、助詞を使うことで、なんとか崩さないですむ。だが、助詞を使う事により微妙なニュアンスの差が生まれている事にも注目してもらいたい。
 助詞により、係りと結びが生まれ、単語同士の関係が明確になる。

 芸能人は歯が命だか、日本語は助詞が命だ。


ウチヤマ化

2006-08-16 19:31:24 | 日本語

 大野 晋という先生は国語学者で、学習院大学の名誉教授です。
 先生には多数の著作があり、どの本も日本語の使い方や歴史について参考となる考えにあふれています。

 素人の私から見ると、日本語の文法はまだ不完全で完璧なものではないように思えます。これは、私が文法の基礎を正しく理解していないというのが一番の原因です。
 いわゆる「馬鹿の壁」ですね。
 馬鹿だからちゃんと文法を理解出来ない。理解する力がないくせに、理解できないのを自分の能力ではなく、文法のせいにする。
 まさにこれこそ正真正銘の「八つ当たり」で、まったくどこに出したって恥ずかしくない立派な「八つ当たり」です。
 ちなみに英語では「八つ当たり」を「Attack of eight 」と言います。

 ただ、私が馬鹿なのを差し引いても、現在の日本語文法が分かりやすいものではないのだけは確かです。日本語文法は、複雑で些細な事にこだわりすぎていて理解しにくいものです。

 ところが、大野 晋という先生のすごいところは日本語をちゃんと理解しているという事です。ちゃんと理解しているので、誰にでも分かる日本語でちゃんとした文章を書く。これは本当にすごい事です。
 普通の人にとって、自分が分かっている事を、他人も分かる文章にするのは大変なことです。分かっているのに話し言葉にすら出来ない事さえあります。

 そこで、日本語文法についての先生のお考えを、一部省略してここに紹介したいと思います。

『英語では主語ー述語によって文が成り立つといいます。ところが、日本語の文を成り立たせ、文の性質を決定する役目は、助詞が果たします。これは英語とはちがったシステムなのです。』

(助詞とはなんでしょうか、付属語で活用のない単語のことです。
 助詞は単語に付属し、動詞のようになになにだからなになにと形を変えたりはしない単語。そして、助詞の一番大切な役目は、単語と単語を結びつけて意味を与える事です。具体的に言うなら「てにをは」の事ですね)

 これを読んだ時に、私は心のひざを打ちました。そうだよ、まさにそのとおり!

 で、なんで俺が日本語の文法にこだわるかって言やぁ、プロパガンダのためである。プロパガンダは「プロパン・ガス」や「ガンダム」とはなんの関係もない。ある一定の方向に無知な民衆を追いやる為の宣伝行為である。
 俺は何をプロパガンダしたいのか。
 それは、この日本国全部の無知蒙昧な若者共を「ウチヤマ化」したいがためである。
 やる気も活力も明日への希望も無く、ただ働いて呑んだくれて寝るだけの日本人を大量生産しようと俺はもくろんでいるのだ。パラサイトとフリーターとニートの楽園。それが、俺の最終目標である。
 俺は、このプロパガンダに「日本国民総ウチヤマ化計画」と名付け、今日もこりずに作戦続行中である。その為には、1人でも多くの人間に俺の文章を読んでもらい理解して実践してもらいたい。
 多数の無教養でクソみたいな連中に理解してもらうためには、馬鹿でも分かる文章を書く必要がある。
 総国民が、パラサイト・フリーター・ニートになったあかつきには、俺はもはや他人と比べての劣等感など感じずにすむ。俺が望む世となれば、パラサイトでフリーターやニートなんか当たり前なのだ。なんて、俺に優しい世界。

 そうなれば、警官に職務質問されても胸をはってどうどうと「職業はフリーター」と答える事が出来る。 


絶叫!

2006-08-15 19:23:19 | 日本語

 俺は木村実。
 中学生の木村実。
 さて、放課後、みんなとっくに帰っちまった教室で、教室の窓から、ちょっとワケありで夕日を眺めている。

 グスっと涙腺を鼻水と涙が通るが、俺は負けない。

 突然、教室の扉を開けて、クラスメートの男子が飛び込んできた。そして言う。

「俺はウナギ!」

 え、えっ、なんなの君はウナギなの?
 彼が去ると、入れ違いでまた1人の男子生徒が飛び込んできた。

「ペコペコ!」

 えっえぇ。ペコペコなんだ。ちゅーか何がペコペコ?
 彼も去った。次に女子生徒が飛び込んできた。

「超可愛い!!」

 何が、可愛いのさと聞く間もなく彼女も去る。
 一人残され、俺は夕日を見る。

 なんで、木村実がとまどったかといえば、文脈も無く、いきなり叫ばれたからだ。


何が可愛いのか?

2006-08-15 19:03:45 | 日本語

 私は女子高生の木村みのり。
 友達と街に出た。

「ねぇ、これ見てみ?」

「やだうそっ、激可愛じゃん!」

「本当だ、ちょー可愛い!」

「まじ、可愛い!!」

 はい、すでに何が可愛いのか、その場にいる人間じゃなきゃ分かりません。日本語はこういう事すら軽々とやってのけます。

 分析しますと、「ねぇ、これ見てみ?」の「これ」が、彼女らの話題の中心です。後のセリフはすべて同調です。「これ」は、説明がないので他者には分かりませんが、なにか可愛い物です。
 日本語はこんな事まで出来るのに、すでに文法が追っ付いていません。
 なぜなら、今の日本語文法は英語文法をお手本に出来たものだからです。現在の文部省推薦の日本語文法は、主語と述語がある英語文法を真似して出来ましたので、そもそも英語とは文法の質が違う「日本語」をくくれません。