墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

人狼地獄篇

2007-07-15 11:14:22 | 日記
 いま、一冊の本を読み終わった。
 本を読み終わったので、便所に立つ。
 ついでに居間に寄ると親父が血圧を測りながらテレビを観ていた。
 テレビから『台風情報』が流れる。台風は今、静岡あたりまで来ているらしい。この台風は関東へも来るのだろうか?
 窓から外を眺めると、お向かいの木造アパートの屋根に激しく雨が打ちつけているのが見えた。早朝より降りが強くなったようだ。

 半月ぐらい前になる。
 その本を、本棚で見つけたのは。
 かなり古い装釘の文庫本。
 もう読んだ本だか、まだ読んでない本だか、覚えていない。気になって手に取りパラパラめくると、すぐ内容に引き込まれた。読み進めたいが、労働者には時間が少ない。ゆっくりと読書に時間をさくゆとりはあまりない。
 ヒマになったら一番に読もうと、パソコンのモニターを乗せているちゃぶ台の下に放り込んでおいた。

 今朝、起きるとだるかった。
 なにをする気にもなれない。
 長いこと続く梅雨空に今日の雨で気力はすっかり停滞気味だ。
 雨は苦手だ。
 もうなんか朝から飲んじゃいたい心境。
 半年前の俺なら確実に飲んでいただろう。
 だが、自己戒律で『朝の5時から夕方の3時までの禁酒』を定めたので飲むわけにもいかない。
 目は覚めたが、この雨の中を散歩に行く気にもなれないし、寝直すほど眠くもない。天気だけでなく、気も晴れない。やる気もない。
 敷きっぱなしの布団の上でダラダラしていたら、ちゃぶ台の下にずっと置きっぱなしにしていた本が目についた。
 よし、この本でも読むかな。

 本を手に取る。『人狼地獄篇』平井和正(ハヤカワ文庫 SF )。

 30年ぐらい前に書かれた小説で、その内容は『地獄篇』と題名にあるとおり、冒頭から終わりまで、拷問と虐殺の描写が執拗に繰り返される血みどろの地獄絵巻。
 読んでいるうちに、人間とはなんと愚かで残虐な生き物なのだろうと思う。
 暴力を行使する人間は、他人を傷つける事、いや人体を破壊する事になんの躊躇もない。また、暴力の前で人体はこんなにも脆い物なのかと思い知らされる。
 もちろん小説であるから、作り話であるけれども、現実でも似たような事が今もどこかで繰り返されているに違いないと確信させるほどの筆力がある。
 ただ、どこにも救いのない内容でありながら、一人称で語られる文章は軽妙で余裕があり、最後には不思議な爽快感さえ与えられる。

 やっぱり、平井和正って『天才』だよなと再確認した。
 平井和正の作品は、中学生の頃に大好きで読みあさっていた。
 そういや、授業中とかにも読んでいた。マンガだとすぐ先生にばれるけど、小説は不思議と堂々と読んでいるとぜんぜんばれない。先生達は、参考書に目を通しているとでも思われたのか、あるいは黙認されていたのか。

 自室の本棚にはまだ読んでない本が多い。
 さらに、すでに読んだ本と、まだ読んでない本の区別がつかなくなっている。『人狼地獄篇』も、読んだか読んでないか全く記憶に無い。もし、読んだのだとしても内容をすっかり忘れ去るくらいの大昔に読んだのだろう。はじめて読んだような気がするから。

 ところで、読んでいて気がついたが、俺の書く作文は、平井和正の文章にけっこう似ているような気がする。
 どこがどう似ているのと聞かれるとすごく困るのだが、なんとなくほんの少しだけ、どこか似ている。
 とにかく、似ていると言ったら似ているのだ。
 疑うな。

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痛いニュース(ノ∀`):内山君、8年間同棲していた30歳女性から訴えられる

2007-07-08 17:28:24 | 日記

 えー。何も言わずに何も考えずに、まずこのリンク先の文章を読んで欲しい。

 ちなみに、俺の本名は「内山」だ。

リンク: 痛いニュース(ノ∀`):内山君、8年間同棲していた30歳女性から訴えられる.

 別に、なんの悪い事をしたわけでもなく、俺はただの内山で『内山君』とは無関係なんだけど、ここまで「内山、内山」と書かれ罵倒され嘲られると、なんだか自分自身が笑われているような気がしてくる。
 みんなぁ、全国の『内山君』とは違う内山の気持ちも考えようよ!

 てか、こういう書き込みをする連中って、本当に偉そうでむしろ清々しい。 


本当は紹介するのはイヤなのだ

2006-06-04 07:03:16 | 日記
リンク: Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2003.04.28-05.11号) 池田 清彦 さん.

 池田清彦はすごい人なのだ。本当はこの『日記』で、紹介するのはイヤだった。
 マイナーな先生で、著作もあんまり売れていないのを幸いにして、俺一人きりがその知性を吸収して、先生の知性を受け売りして偽の賢さを装おうとしていた。
 池田清彦の著作を読めば、たちまちに俺が先生からどれだけ思想的に影響を受けているかがわかるはずだ。
 もちろん、池田清彦を知る以前から、自分の頭でモヤモヤ考えていた事とかなりの部分が一致したから、素直に影響されたという部分もあるが、池田清彦の著作から受けた言葉と、それ以前が融合してしまった現在の俺では、どこからどこまでが影響なのかは今では分からない。

 昨夜と今朝で、池田清彦を紹介した。池田清彦の本を読むと、楽に物事を考えられるようになる。だが、多くの著作は難解で取っ付きやすい内容ではない。とくに専門の「構造主義生物学」関係の著作はまるきりわからない。初心者は「構造主義生物学」以外の著作を読む事をお勧めする。


新しい生物学の教科書

2006-06-03 19:12:19 | 日記
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リンク:
Amazon.co.jp:新しい生物学の教科書新潮文庫: 本
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 文庫版まえがきより抜粋

『科学リテラシーの重要性が叫ばれるようになって久しい。中には、そんなコトバはしらねえぞという人もいるかもしれない。リテラシーとは読み書き能力のことであるから、科学リテラシーとは、科学を理解する基本的な能力のことであろう。

 もちろん、そんなものは身に付けてなくとも生きるに困らない、と豪語する人もいるに違いない。世の中、お金とケータイさえあれば充分に生きていける。そう思っている人は多い。実際その通りであるから、そう言われれば返す言葉はない。科学リテラシーなんぞ身に付けても、別に金がもうかるわけではない。ケータイの操作は、バカでもできる。

 一番楽な生き方は、何でも他人の言う事を聞いて自分で考えないことであろう。病気になって病院に行く。医者の言うことを素直に聞いて、全部医者まかせにする。それで死んでも文句を言わなければ、それはそれで立派な生き方だと言う他ない。しかし、具合が悪くなった時は、他人のせいだと言って文句をつけるとすれば、それは間違っていると私は思う。自分で決定できなかったのだから、今さら文句を言っても、手遅れだ。

 たとえば、がんを宣告されたとしよう。様々な治療法の中から、自分にとって最適と思うやり方を選ばなければならない。何人かの医者に聞けば、言うことは少しずつ異なるだろう。最後は自分で決めるしかない。そこで、科学リテラシーという話になる。考える筋道がわからなければ、何をどう決めてよいかわかるわけがない。

 がんを宣告されるといった人生の一大事じゃなくても、人生は選択の連続である。その際に何ほどかの科学リテラシーを身に付けているかいないかでは、選択の幅が違う。そういう意味では科学リテラシーは役に立つ。』