墨汁日記

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鎌倉ヤクザ

2006-01-31 20:50:53 | 徒然草
 当時のまっとうな京都の人や、朝廷の人間にとって武士なんかヤクザみたいなものだったのではないだろうか。
 現代人は、武士に「お役人様」とか「兵隊」とかゆーよーな「国家権力」的なイメージを抱きがちだが、鎌倉時代には「権力」はともかく、まだ「国家」は朝廷なのである。この状態はじつは「明治政府」ができるまでつづく。

 だいたい戦争なんか、いかに効率よく自軍の損害を少なくして敵を殺せるかだ。
 これが近代的な戦争だ。
 一人で千人殺して最期に打ち取られるよりも、百万人で千人殺して被害者ゼロな方がよほど理想的な戦争である。
 敵将の首を取るのにいかに苦労したかに報償(価値)を求める「鎌倉武士」は「一騎打ち」のケンカは出来ても、「戦争」ができない。

 だが、力ある所にやがて富が集中する。
 そして、力ない権威はやがて人々から見捨てられる。
 力は欲望を吸い取る掃除機。
 最初は、「武士は武士で、関東は関東で自由にやらせていただきます」とはじまった「鎌倉幕府」も京都朝廷の「力への依存」という欲望に飲み込まれ、ついには「力への依存への反発(後醍醐天皇)」の為にもろくも崩れさる。

 なんにしろ、兼好の時代の日本の中心は京都であった。
 関東人とか武士なんかは山猿同然の野蛮人なのであった。


徒然草 第二百九段

2006-01-31 19:56:45 | 徒然草
人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさえ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
 理、いとをかしかりけり。

<口語訳>
人の田を論ずる者、訴えに負けて、ねたさに、「その田を刈って取れ」と言って、人を遣わすに、まず、道すがらの田をさえ刈りもって行くのを、「これは論じられる所でない。なんでこんな」と言えば、刈る者ども、「その所とても刈るべき理由ないけれども、僻事しようと罷る者ならば、どこをも刈るぞ」と言ったぞ。
 理屈、とてもおかしかった。

<意訳>
田の所有権をめぐる訴えに負けた人がいた。
 悔しくて、「その田の稲を刈り取って来い」と男達に命令した。
 命じられた男達は、まず道すがらの田の稲を刈り取って行く。
 それを見た百姓達があわてて止めた。

「ここは論じられた場所ではない。何故こんな事をする?」

「そこだって刈り取って良い理由はない。これから悪事しようと参る者なら、どこだって刈り取るのさ」

 理屈は面白い。

<感想>
 ひとんちの田んぼの稲を勝手に刈り取った男達は、それなりの大人数で、さらに武装していた。
 でなければ、止めに入った者達と争いになったはずだ。
 この田んぼを刈り取った連中は、室町時代に「野武士」と呼ばれた「足軽」の元祖みたいな連中だったのであろう。
 そういった連中をつかうのだから「人の田を論ずる者」は、その近辺で力のある武士だったのだと推測できる。
 この当時の「地方武士」なんか、ヤクザの親分と一緒だ。ひとんちの田んぼの稲を刈り取る連中は「チンピラ」である。
 兼好は、そういった連中の発言を「とてもおかしい」と言っている。どう「おかしい」のかは不明。

原作 兼好法師