俺は体がかたい。
もちろん、ダイヤモンド並とか鋼鉄並とかいう「硬度」のかたさじゃない。
硬度で語るなら俺のチンコはふにゃふにゃで、腹は贅肉プニプニ、脳みそはカスカスのフワフワ。
俺の体に硬度を求められても困る。むしろ、一点の隙もなく、俺の体は硬度的にはすかすかでわふわふなのである。
では、なにがどうかたいのか?
背中にまわした手が、右手と左手で13センチほど離れている。これ以上は近づきそうもない。背中に回した手を合わせるなど、夢また夢。そんな、かたさだ。
体がかたいので、背中をかくのに不自由する。そんな俺の助けが「孫の手」である。愛用の「孫の手」は竹製の30センチ物差しだ。この話は以前にもしたが、小学生のランドセルにつきたっているような竹の物差しが背中をかく時の「愛用」だ。
今の竹の物差しは三代目である。
タケノモノサシ・ザ・サードだ。
一代目は、小学生の時に実用していたものだったが、高校にあがる頃には繊維が縦にほころび、ほころんだ繊維が背中に刺さりそうになって危険なので廃棄した。
二代目は、使用するうちに反りが激しくなって、ピンポイントに狙ったところをかけなくなったので廃棄した。
三代目は、社会人になってから買った。今でもあまり反らずに、繊維もしっかりしている。
ところが、この三代目が去年の秋から行方不明であった。いくら探しても見つからない。仕方なく、アルミやプラスチックの物差しで代用していたが、アルミやプラスチックは人体に優しくない。力を入れてかきむしると背中が傷だらけになる。
「彼女」の爪の痕で、背中がミミズ腫れなら納得もいくし自慢もできるが、物差しの痕でミミズ腫れでは納得がいかんしシャレにもならない。
行方不明の三代目の捜索をあきらめ、そろそろ四代目の購入を考えていたら、三代目が今日になって発見された。
三代目は、本棚の本と本の間に突き刺さっていた。なんでこんなところにさしたんだろう。記憶にない。
そんなで、今は三代目で背中をボリボリしながらコレを書いている。竹の物差しのかき心地はやはり最高だ。つい、ウットリしてかゆくもなくてもかいてしまう。