墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

神道と戦犯

2006-08-22 19:26:26 | 無理
 悲しい事に靖国問題の根は、同情心にある。
 敗戦した当時の日本は、政治犯以外はすべて誰もが戦争協力者であった。
 戦争協力者とはナニモノか?
 勝戦国から見るなら、当然に裁くべき「戦犯」である。

 なぜ、上野の山に西郷隆盛の像があるのか?
 西郷隆盛は、たしかに明治政府設立に一役買ったが、最終的には彼は賊軍の長である。賊軍の長を首都の公園に飾る国は日本以外にあるまい。
 西郷隆盛が上野の山に飾られるのは、同情の為である。

 敗戦当時の日本は、誰が「戦犯」になってもおかしくない状況だった。その当時の日本人は、外国人からみれば誰もが侵略者であり略奪者であったのだ。誰が裁かれ誰が戦犯となり誰が死刑にされてもおかしくなかった。

 さて、ところが、日本の神道の基本は禊ぎにある。
 禊ぎは、汚れた物をきれいにする事だ。

 なぜ、昭和天皇は戦犯の靖国神社への合祀を嫌悪したか、それはまだ昭和天皇には神道の長であったという経験があったからだと思う。

 汚れた「戦犯」と、国の「英雄」では、祭り方に区別があるのは当然である。
 主婦なら御理解いただけると思うが、たいして汚れてないものと、すごく汚れている物を一緒に洗えば、たいして汚れてない物にまですごく汚れている物の汚れがつく。
 
 神道に同情心はない。
 どれだけ汚れているか汚れていないかの区別しかないのだ。汚れ物もたいして汚れてない物も全て一緒に洗濯するなら手間ばかりかかって良い事はなにもない。禊ぎと洗濯は似ている。


快眠は無理

2006-04-09 01:34:34 | 無理
 酒を抜いて快眠をめざしたが、快眠どころか寝れそうもないので、近所の酒を売っているコンビニでビールを買ってきた。
 今は酒を飲みながらこの作文をタイプしている。
 快眠をめざし夜の9時過ぎに寝床に入り、すぐに寝ついたのだが、すぐに目が覚めた。起きたらまだ10時で、1時間も寝ていない。
 コレはいけないと再び睡眠を続行。
 今度は11時に目が覚めた。またもや1時間も寝ていない。

 俺は、真性の嘘つきなので、このブログの作文には平気でウソをタイプする。

 そもそも、本当を言うと、快眠の為に酒を抜きたいなどとハナから思っていたわけではない。実際は、単純にただ酒を抜きたかっただけなのだ。

 快眠うんぬんというのは、話を面白くする為の真っ赤なウソである。
 ただ、今朝めざめた時に首筋に激痛がはしったのはマジだ。俺はこの痛みに恐怖した。ぶつけたり切ったりして痛いのなら、原因はすぐわかる、痛いだけでこわがる事はなにもない。
 だが、正体不明の痛みは死ぬ程こわい。とゆーか、死ぬんじゃないかとビビってしまう。
 うちの親父はたぶん深酒が原因で脳の血管が切れて入院したことがある。
 今じゃ飲んでもいないのにロレツがまわらない。たぶん同じ血をひいているはずの俺にも脳の血管が切れやすいという欠陥があるはずだ。
 それで、頭痛というものを人一倍おそれてしまう。

 目覚め前に首筋に激痛がはしった。
 首の筋がつった事による痛みだとは思うのだが、なんにしろネボケているうえに体の中の事なので、確かに首の筋とも言い切れない。
 首筋の激痛を味わいながら、コレが筋の痛みではなく、血管の痛みだったらどうしようと本気で怯えた。

 だから、今夜は酒を抜こうと思ったのだ。
 一晩でも休肝日をつくれば最善とまではいかなくても、善処はつくしたかなと思える。

 アルコールなんていう、本来は必要のないものを摂取し続ける事に対する恐怖は当然にある。
 ただ、この恐怖を自覚しているので「アルコール依存症」にはならないだろうと自負している。「アルコール依存症」には、酒を飲む事を自分は心のどこかで怖がっているなという事さえ自覚していればならずにすむと思う。
 残るは体力勝負だ。体がもう酒を受け付けないのに飲み続けるなら、体はぶっ壊れる。その危険信号をどのように察知するのか。できるのか。
 なんであるが、コレは正直むずかしい。
 とゆーか、どこまで飲んだら壊れるのか良くわからん。

 だから、朝起きたら原因不明の激痛が!
 となると、飲み過ぎかと疑い怖れを抱く。

 だが、酒を飲む事を怖がりながら飲んでるヘタレとか思われるのもしゃくなので、ついついいらない修飾をしてしまう。

 まぁ、なんにしろ飲まないと俺はやはり眠れない。飲まないと寝れない理由はまたそのうちに。
 おやすみなさい。


二次元の再確認

2005-08-20 19:58:05 | 無理
 俺はオタクで、生も性もうすっぺらな紙の上に刻印されなきゃ理解できない。モニターは分厚いが、平面である事にはさほど変わりない。
 平面の再確認の為の立体、ということもありえる。
 オタクにとり、理解できるのは平面だけなのであるが、平面で表される事については、たいてい無理なくすんなりと理解できちまうのもオタクだ。オタクにとり、自分の人生すら平面の再確認にすぎない。


出来る事

2005-04-01 02:25:16 | 無理
 パン屋の仕事を諦めたわけじゃない。俺は以外にしつこい。
 パン屋の店を開ける自身はないし、パン屋に向いてるわけでもない。むろん、俺がパン屋になる必要も無い。そうなんだけど。理由やごたくはどうあれ、自分でやってみようと思ってせっかくはじめたんだ。パンにかかわる仕事を六十までは続けてみよう。六十になったら放浪の旅にでる。
 俺がパンを作らねばならない必要はない。しかし、パン屋は漫画と違いまっとうな仕事で、パン作りは奥が深く面白い。パンの発酵過程は植物が育つ事と同じで、パン屋は食の農業とも言える。丹精込めて生地を育て上げ、焼いて売る。
 まぁ、あれだ。なんかひとつぐらい必要がないじゃなくて、真面目に仕事に取り組んでみてもいいかもしれない。

 プータロで残りの人生やりすごすには、残り時間が長過ぎる。
 だけど、パン屋をやるにはいささか遅すぎなんだよな。

 とにかく、地味に出来る事からコツコツと。だ。

 てゆーか、出来ない事は無理。経験も素質もない俺が、一気に生活を変え飛躍しようとしても無理だったのだ。無理は無理だから良くない。

 そんなで、家の近くの小平で今週の月曜からパン屋のバイトをはじめた。
 自宅から通える距離で、雇ってもらえそうなパン屋を探していたら、小平のその店に落ち着いた。
 朝の六時半から昼の二時ぐらいまで。仕事内容は成形と分割。

 朝五時ピッタリに起きて、JRと西武線を乗り継いで小平のパン屋に行く。六時十五分入店。六時半から七時間程働いて解放。三時から四時には家に帰れる。
 家に帰ったらパンの本を読みながら、酒を飲み、九時には寝てしまう。自分の時間も睡眠時間もタップリある。
 収入が不安だが、とりあえずしばらくはこれでいこう。

 八王子の店では、毎日、朝の三時四十五分に起きて、四時半から夜の七時まで働いてた。自分の店でもチーフでもないのに、そんなに働く必要はやはり今思うとない。
 丁稚奉公の時代とは違うのだ。むしろ、経験も技術も足りない今は、この程度の仕事量で十分だ。無理は無理だ。

 もう年だからのんびりいこう。無理してあせっても体を壊すだけだ。精神的にも長時間労働はつらい。追い込まれ、ミスを連発してしまう。詰め込みは学習効果も薄い。

 なんか、夜中に目が覚めて、こんな作文を書いている。寝直す、おやすみ。