墨汁日記

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徒然草 第百七十七段

2006-01-02 21:13:49 | 徒然草
 鎌倉中書王にて御鞠ありけるに、雨降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかがせんと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。「取り留めけん用意、有り難し」と、人感じ合へりけり。
 この事を或者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥かしかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異様の事なり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ。

<口語訳>
 鎌倉中書王にて御蹴鞠ありますに、雨降って後、いまだ庭が乾かなければ、いかがせんと沙汰ありますに、佐々木隠岐入道、鋸の屑を車に積んで、多く奉りいたしませば、庭に敷かれて、泥土の煩いなくなりました。「取り留めます用意、有り難し」と、人感じ合いました。
 この事を或者が語り出たら、吉田中納言が、「乾き砂子の用意はなかったのか」と仰れれば、恥かしかった。すごいと思った鋸の屑、賤しく、異様の事である。庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設けるは、故実だぞ。

<意訳>
 鎌倉の中書王の御所にて蹴鞠が催されたそうです。
 しかし、その日は雨が上がった後で庭はすっかりぬかるんでいます。どうしようかと相談していますと、佐々木隠岐入道がおがくずを車一杯つんであらわれました。それを庭に敷き詰めたので泥水の心配はなくなりました。「こんな時の為におがくずを用意しておかれる、お心、有り難い」と皆、感動しました。
 そんな鎌倉での見聞を、ある者が吉田中納言に語ったところ。
「乾いた砂の用意はなかったのですか?」
 と言われてしまいました。
 恥ずかしい。すごいと思ったおがくずは、中途半端な対処で、京都ではまずやらないことである。庭を管理する人、乾いた砂を用意しておくのは故実だぞ。

<感想>
 この段の「或者」とは、もしかしたら関東に行った事のある兼行本人なのかもしれない。
 吉田中納言の言う事は実に合理的である。おがくずなんか庭に敷きつめたら、その日はいいだろうがすぐにじゅくじゅくと腐りだし、やがてはかえってぬかるみだす。庭の肥しにしかならないし掃除も大変だ。乾いた砂だったらいくらまこうが別に問題はない。
 昔の人の言う事は、実に合理的で隙が無い。

原作 兼好法師


サイン会の友人のその後

2006-01-02 19:11:10 | 日常
 夕方、中学校時代の友人から電話があった。新年のあいさつなんだろう。

「最近、本とか読んでる?」
「いやぁ、あんまり」

「テレビとか観てる?」
「ついてりゃ観るけど」

「最近おすすめの面白いマンガとかある?」
「ないねぇ。アニメも観なくなった」

「映画とかは観ないの?」
「あんまり観ないかなぁ」

 こんな事は言いたくないけど、もっと色んな事に興味を持たないと駄目だと友人に叱られる。
 少しパソコンの話題で盛り上がる。だが俺はMacしか知らないので、すぐにWindowsユーザーの友人との共通な話題がつきた。いいかげんにもうWindowsにしたらと最後に叱られる。

「最近、仕事以外でなんかやってる?」
「ホームページ開設したよ。文字だけだけど」

「ブログってやつ?」
「そうブログ」

「そんなに世間に興味が無いんじゃ特に書く事も無いんじゃないの? ブログに愚痴を書くのもいいよ。俺も世間に言いたい事が多いしね。主義や主張を書くのもいいけど、そんなんじゃ読者はつかないでしょ。だいたいブログは誤字や思い違いの文章が多すぎて読むに耐えないんだよね」
「そうね」

「どうせ、いまだに仕事でいっぱいいっぱいで、休みは寝ているだけの毎日なんでしょ?」
「うん(確かに思いっきり寝込んでいた)」

「もっと他人と接して、世界を広げようよ」
「はい」

「最近は国分寺の古本屋のおじさんと仲良くなってさ、ネットの設定とか注文販売の仕方とか教えてあげてるんだ」
「ふ~ん」

「秋葉にも顔見知りの店員が出来たしさ」
「ほほう」

「俺も30過ぎて、だいぶ知らない人とも会話できるようになったよ。やはり自分の世界を広げて行かないとね」
「はは」

 なんだかんだと、彼は真性のオタクだ。オタクは罪が無くていい。


雨上がり

2006-01-02 18:15:37 | 日常
 今まで隠していたが、じつは去年の末から風邪をひいている。
 いや、隠していなかったかもしれない、思いっきり自慢げに自分の病状をひけらかしていたような気もする。しかしまぁしょせんは熱に冒された病人の病床からのウワ言である。
 断言しよう、最近の作文は全て熱が書かせたモノである。俺に文責はない。あえていうなら最近書かれた作文の文責はすべて「protozoaの熱」にある。サブタイトルを「protozoaの熱の日記」に変えても良いぐらいだ。まぁ、普段から熱にうなされたような文章ばかり書いているから信じてもらえないかもしれないが。

 「そんなで」という文章のつなぎ方が好きだ。ほっとくと、つい「そんなで」と文章をつないでしまう。最後に自分の書いた作文を読みなおしてみると文章のつなぎが全部「そんなで」「そんなで」「そんなで」だったりする。

 そんなで、水が切れた。ヤニも切れた。さらに酒も切れた。
 水は水道水でも代用できるが、ヤニと酒に代用品は無い。せっかくタバコが吸えるようになっても吸うタバコがないのはとても悲しい。酒がないのはなおさらにもっと悲しい。
 熱はまだ38度あるが、買い出しに行きたい。しかし買い物に出て真冬の寒さにさらされる事により風邪がブリッとぶりかえす怖れがある。
 買い出しに行くべきか行かざるべきか。
 行くなら体調が落ち着いている今が良いだろう。暗くなり本格的に寒くなる前に買い物をすませたい。しかし、外は昼前ぐらいから雨が降ったりやんだりの空模様で外に出る事を躊躇してしまう。できれば雨には濡れたくない。
 考えていても仕方ないのでとりあえず便所に行く。
 痛む腰をさすりながら便所からはい出て、ベランダから外の様子をながめる。
 朝からずっとぐずついていた空に、青空の切れ目が現れだしている。太陽が顔を出し晴れはじめてきている。
「カモンベィべ! おいでよボクのところへ! 」
 お日様が部屋にこもっていないで出ておいでよと俺を呼ぶ。

 そんなで、買い出しは決行された。
 雨上がりの街をコンビニまでチャリで買い物に行く。気分は「雨上がり決死隊」だ。いいよな。風邪をひくと全てがご大層で、ある意味、新鮮だ。
 コンビニまで行く間に、晴れ間がみるみる広がって行く。
 雨に去年までのホコリを全て洗い流してもらったかのようだ。顔を出した太陽の光を浴びて街はきらめく。新年二日目の街は静かに輝く。


闘病日記

2006-01-02 14:54:36 | 日常
 現在の熱は38.8度。やはり昼になると熱も上がる。
 どうにもならない寒気と、アタマがクラクラする症状はだいぶおさまり、座っている事もできるのだが、今度は寝過ぎたせいであろうか、起きていると腰が痛くてたまらない。座っているのも苦痛だ。三日間ずっと寝ていたもんな、姿勢が固定されて腰が痛くなるのも当然だ。
 今は腰の痛みと闘いながら、ひどく変な座り方をしながら敷きっぱなしの布団の上でこの作文を書いている。ちなみに、うちのパソコンは床にジカ置きで、モニターはちゃぶ台の上に乗せている。それにしても腰が猛烈に痛くて集中力が持続できない。
 あと、腹が張る。便秘だ。これも熱のせいであろうか。去年の30日からそういえばクソをしてない。さっき便所でちょっと踏ん張ってみたが、ウサギのウンコみたいのがポロポロと可愛らしく出てくるだけで、腸内の本隊が顔をみせる様子は無い。腰が痛いので、いつまでも踏ん張っているのも苦しい、適当なところであきらめた。

 病気は数日の辛抱だが、老人になれば、毎日がこんなかんじなのだろう。体力も無くなり、気力も弱まる。何をするにしても自分の肉体の不調と闘いながらなので、持続力も集中力も弱まる。
 体力温存の為にうつらうつらとしているうちに一日がなんとなく流れすぎ、気がつくと十年ぐらいたっている。老人になればそんな生活が嫌でも続くのだろう。