墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

水曜の朝

2006-01-04 11:16:17 | 日常
 今朝は7時半過ぎに起きた。
 ベランダに出て植木に水をやる。外はどんよりとくもりで少し暖かい。その後、矢川緑地に散歩に出かける為に支度をする。
 
 そうだ。今朝は、休日の日の「俺の散歩コース」を皆さんに紹介しよう。
 皆さんも想像力をバーチャルとさせて俺と一緒に矢川緑地へ散歩に行こうじゃないか。さあ、とっとと支度して。

 閉店した酒屋さんの前にある自販機で冷たいジョージアをまず買う。それを飲みながら道ぞいに東へ歩くと、弁天様の前ぐらいでちょうど飲み終わる。
 この辺りの地形は複雑で、弁天様は南北にのびているみのわ通りに対してまるで谷底のようなところにある。だからこのルートで矢川緑地に向かうと長い階段を登らないとみのわ通りには出られない。
 階段を上がると、みのわ通りの歩道に出る。
 今度は歩道を北に向かう。何故なら手に持ったカンカンを捨てたいからだ。今日は少し温かいとは言え、やはり寒い。手に持つカンカンが氷のように冷たい。指がかじかむ。北へちょっと行くと自販機のたむろしている交差点がある。
 ここの自販機のゴミ箱にカンカンを捨てるって手もあるけど、手が冷たいのをもう少し我慢して、その交差点を横断すると、消火器の販売メーカーの前に立川市のリサイクルポストがあるのからカンカンはそれに投入する。
 そうしたら、矢川緑地の入り口をめざして今度は歩道を南に向かう。矢川緑地も、みのわ通りに対して谷底みたいな所にあるので、今度は階段を下りるのだ。この辺りの地形は本当に高低差が激しい。

 階段を下りると、そこが矢川緑地だ。「立川の小尾瀬」と俺は勝手に呼んでいる。もちろん本物の尾瀬には行った事はない。
 矢川緑地の淋しい冬枯れを堪能したら、緑地を流れる矢川にかけられた橋を渡って、おっと、ほら矢川の流れには名物のカモがいるね。で渡ると、雑木林。林の散策をしてもいいけど、今日は寒いからもう帰ろう。

 林の道を、道なりに北へ向かうと、矢川緑地の出入り口のひとつがある。
 そこから緑地の外に出ると、いきなり坂道の途中で、お寺の山門がドンと目の前にある。本当にこの辺りの地形は複雑で摩訶不思議だ。
 坂道を西へ道なりに歩くと、右手に火葬場。やがて、さっきカンカンを捨てた交差点に出るから手をあげて横断しよう。
 横断して道なりに行くと、今度は教会がある。そこでT字路になっているので、左に曲がって、次の交差点を右に曲がり、しばらく歩くと、ほら、最初にジョージアを買った閉店した酒屋さんの前だ。
 ついでだから、部屋で飲むコーラでも買って帰ろう。
 
ガション!

 商品取り出し口に買った覚えのないジョージアがある。あれ、さっきのジョージアをとり忘れていたのかな。いや、あれは確かに飲んで捨てたよな。
 となると、誰かの取り忘れか、もしくは毒入り危険だよな。

 こ、このジョージアは、今朝のバーチャル散歩につきあってくれた君にあげよう。短い間だったけれども、つきあってくれてありがと。
 バイバイじゃあね。


徒然草 第百七十九段

2006-01-04 02:26:25 | 徒然草
 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号す。
 その聖の申されしは、「那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江帥の説として言ひ伝へたれど、西域伝・法顕伝などにも見えず、さらに所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土の西明寺は、北向き勿論なり」と申しき。

<口語訳>
 入宋の沙門、道眼上人、一切経を持来して、六波羅のあたり、やけ野といふ所に安置して、殊に首楞厳経を講じて、那蘭陀寺と号する。
 その聖の申されるは、「那蘭陀寺は、大門北向きだと、江帥の説として言い伝えてるけど、西域伝・法顕伝などにも見えない、さらに所見ない。江帥は如何なる才学で申されたか、おぼつかない。唐土の西明寺は、北向き勿論だ」と申した。

<意訳>
 宋で学び、帰国した道眼上人は一切経を持ち帰り、京都の六波羅のあたり、やけ野という所に経を安置した。とくに「首楞厳経」を教えとして、その地に那蘭陀寺を建立した。
 その道眼上人が言うには、
「天竺の那蘭陀寺の大門は北向きだと、江帥の説として言い伝え聞くが、『西域伝』や『法顕伝』などには見えない、さらに他の文献にも所見はない。江帥は如何なる根拠で北向きだと言われたのかが判らない。唐の西明寺は、もちろん北向きだ」
 と言っていた。

<感想>
 簡単にご説明いたしましょう。
 中国に留学してお経をたくさん持って帰った道眼上人。
 とくに「首楞厳経」というお経が気に入ったので、それを教えとして京都六波羅のやけ野に寺をつくりました。
 「首楞厳経」は、インド仏教のナランダ寺の教えが基本となっていましたので道眼さんは、それにちなんで自分の寺にも「ならんだ寺」と名付けました。
 ところが、ある日。
「普通のお寺の門って南向きだけど、北向きな門を持つ寺は、
 インドのナランダ寺
 唐の西明寺
 日本の六波羅蜜寺
 だ!」
 ずば~ん!!
 なんて江帥と呼ばれた、大江匡房という漢学者の説を知ってしまいました。
 道眼さんは自分の寺を「ならんだ寺」と名付けたので、なんだかすごく気になっていろいろ調べてみます。
 玄奘三蔵の「西域伝」(西遊記の三蔵法師)
 法顕三蔵の「法顕伝」(徒然草の84段で扇を見て泣いた人)
 などといったインドまで実際に行った人の見聞録にもそんな事は書かれていません、その他の書物にもナランダ寺の門の事はとくに何も書かれていないようです。
 こだわって調べていましたが、調べ疲れたのか、
 ある日、こんな事を他人にもらしていました。
 「大江匡房はいったい何を根拠にあんなことを言ったのだろう。何を情報源にしたのかよくわからない。唐の西明寺はもちろん北向きだよな」
 って言ってた。と兼行は最後にしめくくります。

原作 兼好法師