墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

その突っ込み

2006-07-25 19:43:15 | しつけことわざ読本

『瓜のつるには茄子はならぬ』

 職人ならばだ。

「こんな材料でマトモな物ができるかっ!」

 と、仕事もちゃぶ台もひっくり返すこともゆるされる。

 だがしかし教師の場合。

「こんなガキを教育できるかぁっ!」

 と、心の底から心底そう思っても、口に出すことすらちゃぶ台をひっくり返す事だって許されない。教師はつらいよ。

 その隠れた思いが『遺伝』という言葉に、ギュウギュウに詰められていると俺は読む。

 俺の名前は内山憲久。木村実ではない。
 前の記事の文章を書いた内山憲尚の孫だ。
 内山憲尚は、幼稚園の園長先生で、幼児教育に生涯をかけ飯には卵をかけた。ようするに、俺は亡き祖父の文章に孫の義務で突っ込みを入れているのだ。

 

さぁ、突っ込みの始まりだ!

 ちゅ~か、うちのジジィはなんか「遺伝」を正しく理解していないような気がする。
 家庭の教育環境と、親からの遺伝をごっちゃにしている。
 ダウィン、メンデル、ワイズマン、ゴルトン、ピヤーソン、フリース、ネグリーとか学者の名前を書き並べてはいるけれど、あんたソレただ書き並べているだけでしょとまず突っ込みたい。
 文章も、こなれているようでありながらどこかタドタドしく、一般な人にはなんか読みにくい。
 なんだけれども、何故だか俺の脳には自然に浸透していく文章なのだ。
 書き写していても、なんの違和感もなく自然にタイピングできてしまう。「もの言わず」ってなんだよ、ふつうなら「無口」って言うぜ。ぜってーソレあんたの造語か地方の流通語だろうとか思いつつも、指は自然にキーボードをタイピングしている。
 一般のお母さまの話から、唐突に自分の情けない話に飛ぶあたりのリズムも、なんとなく俺の文章が内包しているリズムで、タドタドしさすらも指は自然に受け入れてしまう。
 どうも、うちのジジィの口調は「元祖 内山節」であるらしい。なにもかもありのまま自然にタイピングできる。

 これって遺伝なのかもってなんとなく思う。

 俺の文章が、勘違いで唐突なのはどうやら遺伝のせいらしい。


しつけことわざ読本 遺伝

2006-07-25 18:54:03 | しつけことわざ読本

『瓜のつるには茄子はならぬ』

 「先生、うちの子はとってもはずかしがり屋で、うちではいらないことでもおしゃべりするのですが、人の前へ出たらものも言えないのですよ ...... ほんとうにこまってしまいます」と、相談に来られるお母さまがあります。ところが、どうも見ていますと、このお母さまご自身が内向性で、ことば静かに小声でものごしの低いのは結構ですが、母の会の時や、保育参観の後での話し合いなどのときは、殆んど発言がありません。これは、やはり母親の遺伝でありましょう。

 人のことは申されません、私も子どもの時から内向性で、小学校六年の時に学芸会でお話をせよと言われ、二宮尊徳の話をすることになり、原稿を作って、いっしょうけんめいに暗記しました。ところがいよいよ、当日壇の上に立ったら、顔が真赤になって身体がぶるぶるふるえて、お辞儀をしただけで一言もいわずにすごすごと壇から下りたことがありました。これではいけないと、できるだけ人の前に立って話をするように努めました。二十才の時から童話を話し始めたのも一つには、この意味あいもあったのでした。

 私の子どもは六人とも、人の前ではもの言わずです。一番下の女の子など、大田区にある清明学園小学校へ入れましたが、入学の父兄面接に行っても、子どもは一向に答えができない始末です。「どうも、もの言わずでして」と、いうと浜野校長が「お父さんがしゃべる方をみんなとってしまったんでしよう」と、笑って言われました。

 子どものいろいろな性格のうち三分の一は親ゆずりと思ってさしつかえありません。

 遺伝についてはダウィン、メンデル、ワイズマン、ゴルトン、ピヤーソン、フリース、ネグリーというような学者がいろいろな立場から研究しておりますが、その法則を見ましても両親から受ける影響が、いろいろな形に現れて大きい力をなしていることを証明しております。


「しつけことわざ読本」内山憲尚 博文社


突っ込み

2006-07-22 21:15:30 | しつけことわざ読本

『しつけことわざ読本』という40年以上前に出版された本が俺の手元にある。著者は内山憲尚。 
 俺の名前は内山憲久、内山憲尚の孫だ。「憲」の字を引き継いでいる。

 内山憲尚って人は俺がガキの頃に死んだジジイで、幼稚園の園長先生であった。昭和のはじめ頃から「仏教」を幼児教育に取り込み、好き勝手に多数の幼児を教育して世を去った。著作は80冊を超える。

 むっちゃりぶっちゃけると、親族の目が怖い。
 勝手に祖父の著作をネットで紹介して怒られるんじゃないかとビクビクもんだ。でも、なんだか意外に血の濃い親族は祖父に興味ないようにも見える。
 やった者勝ちだな。
 俺は孫だし金が欲しいわけでもないので著作権もクソもない。こわい親族はネットにも祖父にも興味がないようだ。

 俺の祖父は多数の著作を書いたが、はっきり言って文章も下手だし思想も拙くて孫として恥ずかしい。死んでて良かったと思う。
 だが、誰かが引き継いで一部でも残さなきゃ、祖父は守り刀を握ったまま死んだままだな。
 それでもいいよと思うけど、祖父に突っ込むのも孫の義務かもしれん。

 突っ込みは必要だ。
 突っ込みのないところに何も生まれない。

 祖父に突っ込もう!

 が、主題であるのだが、祖父は突っ込みどころ満載すぎて、まずどこから突っ込めば良いのやらと迷ってしまう。

 祖父は歌を愛した。
 川柳を詠む事を趣味としていたらしい。
 そこで、祖父の歌を一つ紹介しよう。

「日本の 国に生れて 米の味」

 どうしよう?


しつけことわざ読本 はじめに

2006-07-22 19:59:15 | しつけことわざ読本

Situke

 私は中学五年生の時から川柳に興味をもち始めて、さかんに作句をしました。川柳の寸鉄人をさすうがちが好きでした。

 ことわざも寸鉄人をさす点で川柳と同じように好きでした。短いことばでちくりと人の肺腑を刺す警句の中に、人生の真理、世渡りの示唆を与えてくれます。

 ことわざの中には、こどものしつけ、こどもの教育の上に面白くたとえを引いて、適確にその正しいやり方を示めしているのもかなりあります。
 「人づくり」がやかましく言われ出した頃、博文社の罇社長と、ことわざの話から、しつけの問題をことわざで表わしたらおもしろいでしょうというような話が出まして、「書いてみましょうか」「書いてもらえませんか」と、いうことになって本書が生まれたのです。

 家庭のしつけを中心として、お母さま方に読んでいただくよう、できるだけやさしい表現にいたしました。前編を「ことわざのしつけ」として、大きな見出しのうちに五つずつ、しつけをとり上げて解説を試みました。後編は「しつけことわざ辞典」として、しつけや教育に関係あることわざを五百三十あまりあげて、簡単に説明を加えました。

 家庭教育の上に何等かのお役に立てば、私のよろこび、これにすぎたるはございません。

  昭和三十八年十月三日
                     内 山 憲 尚