墨汁日記

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脳死

2006-01-29 18:15:38 | 
リンク:
Amazon.co.jp:臓器移植 我、せずされず小学館文庫: 本
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Ikeda

 死には本人の決定権はないというのが、この本の裏の主題である。
 死は、生き続ける限り、常に他人事である。
 「俺、一回死にかけてるんだよねー」とか、前世の記憶とかは、死者にカウントされない。

 死は、他人に死んだ事が認められてはじめて成り立つ。
 死の自己申告は絶対にあり得ない。何故なら死人は口なしだからだ。それが乱暴だけど、この本の主題である。
 死の自己申告があり得ないなら、ドナーカードは無効である。ドナーカードをありがたがるのは、臓器移植を職業とする医者と、臓器移植で命が助かる患者だけだ。

 そう考えれば、「死」は他者からの決め付けである。

「お前は死んでいる」

「ヒデブッ!」

 てなもんだ。

 自分の死の認定に自分は介入できない。
 本人にとって死は永遠の意識のとぎれ。夢もみないで永久に眠ているのに等しい。
 死を認定するのは常に他者である。

 だが、こんな事は、誰もが知っていること。「死」の認定に、自分が参加する事はありえない。死んでも死んだ事を自覚する自分がいない。


思う

2006-01-20 20:54:16 | 
 なんとなく思う。
 死は修飾されるべきものでもない。

 死を願う人よ。今から寝るので返答は明日になるが、教えてくれ。
 何故死を願う?

 自分が無となる恐怖を乗り越えているのか?

 死に最期の希望を抱いて死を選ぶなら、間違いだと俺は思う。
 死ねば、あなたの心は間違いなくどこにもなくなる。


希望

2006-01-20 20:32:17 | 
 自殺者の精神構造が正直わからない。
 最期の一歩を踏み出す胸の内がわからない。

 ある人のブログで小説が連載されており(本人は、シナリオと言っている)、楽しみに読んでいたが、最期にヒロインが自殺してしまった。
 あらすじは、弟の死の原因となった主人公(ヒーロー)に近づいたヒロインが、ヒーローとラブラブとなりつつ最後に自殺するというものだ。
 狙って自殺をしたのなら、これ以上はない復讐だ。愛する者を奪われた憎しみを、自らが愛される者になり、その上で自分が死ぬことで復讐を果たす。

 だがだ。俺には自殺する人間の最後の一歩が理解できない。

 死にたいという心はわかる。
 俺だって中央線の車両がホームに近付く度に、いま飛び込めば確実に死ねるとか思ってしまう。
 だけど、最後の一歩を踏み出す心がわからない。

 何故、その最後の一歩を踏み出せるのか。
 わからない。その心中は不明だ。

 よく、絶望の果てに自殺したと耳にするが、本当だろうか?
 俺には、自殺者が「死」に希望を抱いていたとしか思えないのだ。


神秘な必然

2005-04-22 20:09:06 | 
 実は内緒にしてたが、俺は。

 
 車で人をひき殺している。俺の出足が人様より遅い理由の一つがこれだ。
 
 普通の人が、20代で経験するべきこと、学ぶべきこと、恋とか仕事なんかを行っている時期に俺は思惑にふけっていた。

 なんで、俺は人殺しなのか?

 考えた。
 あの日、十秒遅く、退社していれば。
 いや、出かける時にバイクのキーさえ見つけていれば。

 たまたま、被害者の方が、あの時間に通りかかりさえしなければ。

 偶然だ、偶然の積み重ねが、俺を人殺しにした。


 
 いや。違う。

 どんなに意味ありげであろうとも現実には、「必然」と「偶然」と「必然のうえの偶然」しかない。
 
 俺が人殺しなのは「必然のうえの偶然」だ。
 それは、当時の俺の勤務態度や運転姿勢を思い返せば良く判る。
 
 俺が事故るのは必然だったのだ。そして、たまたま、あの日に必然の末におこした事故に他人を巻き込んでしまった。
 それだけだ。

 人は理解不能な事や理解したくない事件に直面した時、神秘思想にはまりやすい。
 「運命」やら「神」やら「因縁」とかいう事にしたがる。それは、わかる。

 だが、考えろ。最後の最後まで考えろ。




 安易な答えを出すな。