墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 164

2006-11-30 19:14:39 | 

「『その子だけが持つ、他の子にはない素晴らしい特性』が『個性』だとしたら、その素晴らしい特性を決める基準はどこにある?」

「その子の個性にあるんじゃないの?」

「そりゃ基準じゃない。ただの素だ。そこには良いも悪いもない、ただ個性があるだけだ。基準とは『物差し』だ。素の個性に目盛りはふってない。誰かの物差しにあてがわないかぎり、良いも悪いもない」

「よく解んない」

「『個性を伸ばす教育』と言う先生が、伸ばして良い個性と、伸ばしちゃいけない個性を分ける時に使う『基準』は、先生の価値基準以外にない。子供本人の価値観はたいてい無視される。『伸ばして良い個性』を決める決定権を持つのは先生で、子供が思う自分の個性の良い所は、先生にとって都合が良いなら受け入れられるだろうが、都合が悪きゃ子供のワガママとされる。『個性を伸ばす教育』において、大抵の場合は子供に伸ばす個性の決定権はない。俺があんたの先生なら、優しさなんかより『誰にもない意地悪さ』を伸ばす教育をほどこすであろう」

「どゆこと?」

「あんたは自分が『優しい』と思っているかもしれないが、俺が教師なら『世界一の意地悪娘』にしようとするはずだ」

「そんなのイヤ!」


平成マシンガンズを読んで 163

2006-11-30 18:44:56 | 

「ところで、あんたはあんた自身の個性についてどう思ってる?」

「え、意外に私は無個性かなぁー、なんて思ってるんだけど」

「そんな事はない。誰にだって素晴らしいキラリと光る個性は必ずあるものなんだよ。それは海底に沈む真珠のような、あるいは夜空に輝く星のような。美しい誰にも真似できないあなただけのピュアな個性」

「ピュ、ピュア!? 大丈夫、死神らしくない発言だけど?」

「大丈夫、俺はいつだってピュアピュアのピュアだ!」

「あっ、死神らしい発言」

「恥ずかしがらなくていい。正直になってごらん。きっと君にだって君にしかない純真な素晴らしい個性があるはずだよ」

「ないよ」

「遠慮する事はない。君にだって素晴らしい個性の1つぐらいはあるはず。それを言えばいいんだよ」

「本をたくさん読んでる」

「それじゃぁ駄目。君より本をたくさん読んでいる人間なんていくらでもいるよ。もっと君にしかない個性。君にしかない君だけの優れた個性。それを聞きたいんだ。絶対に笑ったりしないよ、内緒で小声でいい。そっと教えてはくれないだろうか?」

「優しいこと」

 いかん、自分で言ってて恥ずかしくなった。

「そうだね。でも、どう優しいんだい?」

「私ね、人の気持ちがわかるの。だから優しくなれる」

「すごいね。素晴らしい事だよ!」

「優しいってね難しい事だと思うんだ。だってイロイロじゃないみんな。でも、私はそのイロイロがなんとなくだけどわかるんだよ。だから、人を許せるし優しくもなれる。私の良い個性は優しい事だと思う!」

「ウヒィ! ギャヒャヒャヒャヒャ!」

 死神が突然に笑い出した。

「な、何がおかしいのよ!」

「あんたの『他の子にない素晴らしい個性』は、意地悪な洞察力だ! 勘違いはなはだしく可笑しくて仕方ない!」

「私が意地悪? 笑わないって言ったくせに馬鹿にしてひどい! 」

「悪いな。俺の個性は『屁理屈』と『嘘つき』だ。俺の話は常に10分の1で聞いていた方が安全だ。ちゅーか、俺の言う事なんか信用する方が悪い。でも、あんたが意地悪なのだけは真実だ!」

「なんで、そんな事を勝手に決めるの?」

「これが、他人の評価だ」


平成マシンガンズを読んで 162

2006-11-29 19:43:22 | 

「『個性』という言葉の意味は、辞書に載ってる意味と、ファッション雑誌の言う意味の2つがある。
 辞書に載っている意味は『個の性質。あるいは、その個だけに備わる他にない特性』。この意味で捉えるなら『個性』は、個人にある全ての性質を意味する。その人に備わっている性質ならなんだって個性だ。中指で鼻くそほじくんのも、俺ゃこのシュチュエーションじゃなきゃ駄目なんだよって性癖から不得意な学科に肉体的な特徴まで、ありとあらゆる個人の性質は『個性』と呼ばれて然るべきものだ。『個性』に良いも悪いもない。よい個性もわるい個性も、個人を特徴づけるただの個性だ。
 ファッション雑誌の言う『個性』とは、『あの人って個性的で素敵!』と、他人が稀にしか持たない特性を誉める時に使われていた『個性的』という言葉から発生してきた言葉だ。現在では『的』は抜け落ち『個性』で通じる。これは、主に良い場合にだけ使われるが、でも、本来的には辞書に載る『個性』と同じ意味をまだ保っており、評価しようもないあまりにひどい個性には『悪口』として使用される事もある。
 そこに、第3の意味があらわれた。教育者の語る『個性』である。
 なにを勘違いしたのか、教育者の1部は、ファッション雑誌の読みすぎなのか、『個性』を良いものだと勘違いしたらしい。なんで、日本語の意味を説明するのに外来語を持ち出さなきゃならないのか自分でも疑問なんだが、あえて分かりやすいように外来語で言うなら個性は『スペック』だ。その個人の持つ仕様なんだよ。あいつはこういう性質があるってのが『個性』なんだけど、何故だか日本の教育関係者は『個性』は良いものだと誤解した。
 個性は良いものだと誤解した教育者は、子供の『個性』は伸ばそうと言い出すようになった。
 いつの間にか、無意識のレベルで教育者が共有する『個性』の意味は、『その子だけが持つ、他の子にはない素晴らしい特性』という意味に統一した。どうやら教育者は辞書を引くのが嫌いか、日本語の意味なんか壊しちまえという無法者。あるいは国語辞典に書いてある意味なんか下らないと考えている人間らしい。たぶん、教育者は子供が教育者が語るところの『個性』を伸ばしてくれるなら『日本語の意味』なんかどうでも良いと思っているのだろう。
 かって、あんたは『個性』は伸びるのかって俺が聞いたときに『だって、伸ばすって言ってんだから悪い個性を伸ばすはずがないじゃん』と答えた。
 それは正しい。
 教育者は自分の損得について以外の事でなら、常に善人だ。
 腹黒い野望や陰謀などくわだてるはずもない。
 だが、自分の損得に関わる事なら、なるべく楽して得したい。
 当たり前の事だと思う。
 誰にも責められない。
 仕事なんかなるべく楽してすませたいと誰でも無意識に思う。もちろん、そう思わない人間もいるけど、それは仕事を『快楽』にする事が出来る人間だけだ。
 そうすると、『子供の良い性質だけ伸ばせれば楽だよなぁ』というズルい欲望が芽生える。その無意識のズルさが『個性』とは『その子だけが持つ、他の子にはない素晴らしい特性』であるという解釈を生んだ。
 だけど、その解釈で言うと、常に『個性』は『伸ばして良い個性』と『伸ばす必要のない個性』に二分されてしまう」