墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

自殺と銃

2006-01-16 21:41:24 | 駄目
 銃には「口径」と言われるものがある。
 これは、単純に鉄砲がはじき出すタマの大きさを示す。
 「口径」が大きいものほど、重くて大きい鉛玉を発射するのだ。
 ピンポン球とボーリングのマイボールを想像して欲しい。ピンポン球は軽いから弱い力でも、ものすごい勢いで飛んで行く。でもマイボールは重いから弱い力じゃガタッとガーターだ。全身の力を込めて放り出さなければピンには届かない。
 しかし、ピンポン玉をいくらボーリングのピンに当てようとも、ピンはビクともしないはずだ。弾き返されるだけだろう。でも重たいマイボールなら容易にピンをなぎ倒す。
 時速30キロで走る列車と原付も同じ例だ。同じスピードなら重たいほど破壊力が増す。逆に同じスピードなら軽い方が貫通力が増す。貫通力とはスピードを保つ力である。軽いものほど、与えられた力をスピードとして保持しやすい。
 重たいものは、出足が遅い。そもそも、原付と列車では時速30キロで走るまでに必要なエネルギー量からして違う。

 だから、口径が大きい重たいタマほど殺傷力が増す。
 例えば45口径で頭を打ち抜いたら確実に死ぬ事ができる。その破壊力はたとえ至近距離からであろうとも頭部を欠落させる。打ち抜くのでなく、その場所を吹き飛ばしてしまうのだ。
 下手に威力の小さい銃で自殺をはかると、タマは貫通し脳に障害を残してみじめに生き残る。鉄砲で確実に死ねるとは思わない方が良い。生き残る可能性の方が高い。確実に死にたいなら列車に飛び込む事をおすすめするが、中央線には飛び込まないでね。


実弾

2006-01-16 20:51:38 | 旅行記
 俺が初めて実弾を発射したのは27歳の頃であったろうか。
 その頃、建築会社に勤めていた俺はフィリピンへ社員旅行。とかいう名目で、半分売春ツアーみたいな旅行に参加した。もちろん、売春は社員の自由行動で会社が計画したものではない。
 昼間はビーチでビール片手に昼寝。夜は中華料理をほおばりながらフィリピーナと過ごす。ある意味パラダイスでパライソで、なおかつ極楽で天国だ。
 が、俺は飽きっぽいので、さらなる刺激を求める。バナナボートやパラグライダーも良い。でも、心引かれるのは射撃だ。縁日の空気銃なんかじゃない、実弾が撃てるやつだ。この国でなら実弾を発射できる。ホテルのロビーで日本語のわかるタクシーの運転手と話していたら、良い射撃場があると言うのでさっそく案内して貰う。

 山奥の射撃場に行ったら地元の少年兵みたいのがガンとたわむれていた。迷彩ズボンの親父や銃をかついだ青年もいる。なんか雰囲気的にゲリラの射撃訓練場といった風情。
 最初に渡されたのはハンドガン。「ルパン」の銭形が持ってた例のアレだ。えーと、ガバメントだっけ。
 最初は、的に当てるつもりで撃つ。

 パン!

 銃声はなんともそっけもない破裂音。
 ズバンともズキューンとも聞こえない。単なるパンだ。
 最初の三発は、なんてことなく的のカンカラに当てた。以外に楽勝。ガンとたわむれていた少年もフィリピン語で誉めてくれた。
 しかし、残りの三発は駄目。
 硝煙で目がかすんでショボショボになり、狙いが定まらない。マジで硝煙は目が痛い。集中力的にも初発から3発目ぐらいめまでが限度だ。それ以上を当てられたらプロのスナイパーだ。
 次にライフルを渡された。正直もういいよと思ったが、撃ち心地だけは確認したいなと思って受け取る。少年兵が射撃のアドバイスをしてくれるが何を言っているのかわからない。
 米軍のMなんとかとかいう小銃だ。連発も出来るはずだが、設定が単発になっているらしい。引き金を引くと、やはりパンと乾いた音がする。

 パン!パン!パン!

 硝煙で目は痛いし、鼻水もたれてきたのでヤケクソで連発する。構えはマンガのゴルゴの真似。肩に銃のケツを押しあて引き金を引く。思ったよりたいした反動はない。当てる気もないし、狙ってもいないので全弾を全て外した。

 ハンドガンにライフル、両方のタマを撃ち尽くすのに15分ほどかかった。これだけの経験をするのに、タクシーの運ちゃんに1万円近く渡した。チップもはずんだ。
 高いんだか安いんだか。フィリピンは良く分からない。


おいし占い

2006-01-16 20:23:42 | こうさぎ
おいし占い:陰謀運そこそこ

 陰謀の中の戯れすら、知った人の前では、このさまざまの得た所、ことばでも、顔でも、隠れなく知られるはず。

<愛を込めたアドバイス>
 どんなに練りに練った陰謀であろうとも、今夜は「そこそこ」。もう、人を陥れる事は忘れて今夜はお休みなさい。BGMは『マドンナ達のララバイ』ですよ。

*これはBlogPetおいしによる今日の占いです。
占い監修:マダムprotozoa


徒然草 第百九十五段

2006-01-16 20:07:01 | 徒然草
 或人、久我縄手を通りけるに、小袖に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣の男二三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿にてぞおはしける。
 尋常におはしましける時は、神妙に、やんごとなき人にておはしけり。

<口語訳>
 或人、久我縄手を通ったところ、小袖に大口着た人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗っていたそうだ。心得難く見るうちに、狩衣の男二三人出て来て、「ここにおはしましたか」と言って、この人を連れて去ったそうだ。久我内大臣殿にておはしましたぞ。
 尋常におはしました時は、殊勝に、やんごとない人でおはしました。

<意訳>
 ある人が久我縄手の通りを歩いていたら、小袖に大口を着た人が、木製の地蔵を田んぼの水に浸しながら、丁寧に洗っていた。
 なんだろうと見ているうちに、狩衣の男が二三人出て来て、「ここにおられましたか」と言うなり、地蔵を洗っていた人を連れて去ってしまったそうだ。
 その人こそ、久我内大臣殿で御座います。
 正気で御座いました時は、この上ない立派な方で御座いました。

<感想>
 「久我内大臣」は、源 道基という人の事。久我の名は、久我の地に山荘があったことにちなむ。正応元年(1288年)に49歳で内大臣となるが、同年に辞職。どうして正気を失ったのかは不明。
 兼好から「久我内大臣」を見ると、子供の頃に大臣だった人で、兼好が朝廷で天皇に仕えていた頃に死んでいる。

 この時の久我内大殿の着ていた着物は、ようするに礼服の下着である。
 「小袖」は、袖口のせまい下着の事で、礼服である大袖の下に着た。本来は下着だったが、室町時代以後には「小袖」は女子の普段着となる。
 「大口」は、小袖とセットの下ばきの袴。「大口」の上に本袴をはいた。
 「小袖に大口着たる人」を、現代で言うなら「ワイシャツにラクダのモモヒキ」みたいなかんじだろうか。

 ちなみに、「狩衣の男」の「狩衣」は こんなかんじ。それでは、久しぶりに<超現代語訳>でもしてみよう。

<超現代語訳>
 ある人が郊外の田舎道を歩いていたら、ワイシャツにももひき姿で足元サンダルのおじいさんが田んぼの泥の中に足まで浸りながら、木で出来たお地蔵さんを丁寧に洗っていた。
 なにしてるんだと見ているうちに、脇にベンツが止まり、スーツ姿の男が2・3人飛び出しきて、「ここにおられましたか」と言うなり、地蔵を洗っていたおじいさんを連れてどこかに行ってしまった。
 そのおじいさんは、かっての久我内閣総理大臣だったそうだ。
 正気でいた時は、とても立派な方だったと聞く。

原作 兼好法師