ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

Power No.57  【赤い靴②】

2007年10月05日 23時02分43秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園通信
Power No.57
発行日 2007年10月3日(水) 発行・文責 理事長 長坂徳久

【赤い靴②】

必ず「56号 赤い靴①」を読んでから、②をお読みください。

 前号の語りの後、

指示1 感想を書きなさい。

発問2 きみちゃんは、本当はどうしてほしかったでしょうか?

「本当のお父さん、お母さんと暮らしたかった。」「お母さんと暮らしたかった。」「一緒に北海道へ連れて行ってほしかった。」「アメリカへ行きたかった。」などの回答。

発問3 きみちゃんが、幸せだったのは、次のどれか。
    ①貧しくて、お母さんと一緒に暮らしていたとき。
    ②お金や生活には苦労しなかったヒュイットさんたちと暮らしていたとき。
    ③孤児院で暮らしていたとき。
    幸せだと思う順をノートに書きなさい。

大半の生徒が、①②③の順だと書いた。


発問4 自分がもし「きみちゃん」だったら、どうしてほしかったか、ノートに書いてご覧なさい。

指示2 指名なし発表をしなさい。

ほぼ全員が、「北海道に連れて行ってほしかった。」と回答。

指示3 君たちの、お母さん、お父さん、家族にメッセージを書きなさい。

T「ここまで大きく育ててくれて、ありがとう。」

N「お母さん、産んでくれてありがとう。私はお母さんの子どもになって幸せだよ。」

K「いつもごはんをつくってくれてありがとう。」

M「いつもごはんやおくりむかえをしてくれて、ありがとう。」

K「ぼくを健康に産んでくれて、ありがとう。」

K「ぼくは、お母さんやお父さんやお兄ちゃんのおかげでここまで育ったと思います。」

A「お父さん、お母さん、いつも迷惑をかけているのに、大切に育ててくれてありがとう。感謝します。」

T「家族といっしょにいれて、しあわせです。」

S「ぼくたちは、家族がいて、本当に幸せです。」

育夢学園教育理念
1,他人のことを考えよう。
2,弱いものを守り、助けよう。
3,お互いに協力しよう。
4,世の中の役に立つ人間になろう。
5,家族や友達、仲間を大切にしよう。


育夢学園道場訓10 「お父さん、お母さんに感謝し、家族を大切にします。」

Power No.56   【赤い靴①】

2007年10月05日 00時40分46秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)

NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園通信

発行日 2007年10月2日(火) 発行・文責 理事長 長坂徳久

【赤い靴①】

 先週水曜日のこと。ラジオで「童謡 赤い靴」の話をしていました。知っている話でしたが、その夜のドリームコースに即席で授業をしてみました。次のとおり。

説明1 「赤い靴」という歌があります。歌います。(長坂が歌う。)

   「赤い靴」 (作詞:野口雨情/作曲:家本居長世)

       赤い靴  はいてた 女の子          

        異人さんに つれられて 行っちゃった

       よこはまの 波止場から 船に乗って          

        異人さんに つれられて  行っちゃった

 

質問1 知っている人?(3人)   知らない人?(残り41人)

 この歌を知らない子どもたちが大半なのにびっくりした。

 

発問1 「赤い靴はいてた女の子」・・どんな女の子だと思いますか? 

「小さな女の子」「赤い靴が好きな女の子」「かわいくて赤い靴が似合う女の子」などの回答。

 

語り1  この赤い靴の女の子は本当にいた女の子です。名前は「岩崎きみ」ちゃん。        明治35年7月15日生まれ。今生きていたらもう105歳です。

 父親はとてもだらしの無い人で、母、「岩崎かよ」さんは未婚の母として1人で きみちゃんを育てます。その後、かよさんは鈴木志郎という人と再婚します。

 きみちゃんが3歳になった頃、家族は、当時開拓地として注目を集めていた北海道へ渡り、その開拓へ期待を膨らませ、開拓農場で働くことになりました。

 しかし、かよさんは迷いました。開拓地での生活は厳しく、電気も水道もまともにあるかわかりません。食べ物があるかどうかも、病気になったときのお医者さんもいるかどうかもわかりません。かよさんは、そんなところへ、幼いきみちゃんを連れて行くかどうかを迷ったのです。

 そして、かよさんは泣く泣く、きみちゃんを教会で宣教師をしていたアメリカ人、ヒュイット夫妻に養女として託します。この歌の「異人さん」というのはこのヒュイットさんのことです。   

 しかし、きみちゃんが6歳になった頃ヒュイットさんは突然アメリカへ帰国しなければならなくなってしまいます。もちろんこの事はかよさんの耳にも入ります。

 かよさんの夫である鈴木志郎さんは、同じ仕事先で知り合った「野口雨情」と親しくなります。野口雨情は、「しゃぼんだま」「青い目の人形」「十五夜お月さん」などの童謡の作詞家として有名です。

 本当のお母さん、かよさんとは離れ離れにはなったが、幸せにアメリカで生きているきみちゃんを思った野口雨情は、「赤い靴をはいた女の子」というイメージを抱き、この歌が生まれました。かよさんはアメリカで幸せに暮らしているきみちゃんを喜ぶ反面、養女にしてしまった事への自分への責めの気持ちをこめて歌を噛み締めたと言います。   

 しかし・・実はきみちゃんはアメリカへは行っていないのです。行くことができなかったのです。

 ヒュイットさんがアメリカに帰らなくてはいけなくなったとき、なんときみちゃんは結核という病気に犯されてしまっていたのです。当時としては不治の病。もちろんヒュイットさんは大切なきみちゃんも連れて行き、病気の療養をさせる事を強く望んでいました。しかし船に乗せてもらえません。

 仕方なく、ヒュイットさんは東京麻布にある孤児院にきみちゃんを預け、横浜港から帰国の船に乗った.のです。(注 横浜の山下公園には海の方向を向いたきみちゃん「赤い靴はいていた女の子像」のブロンズ像があります)    

 残されたきみちゃんは結核が進み、孤児院でわずか9歳で本当のお母さんとも会えずに、ひとりで死んでしまいました。

 実は、母親のかよさんはきみちゃんがアメリカで幸せに暮らしていると信じていて、この事実は知らされずに生涯を過ごしたのです。(昭和23年に亡くなった。この事実が公にわかったのは、昭和48年といわれている。)    

 

 ※この「語り」を生徒たちは、食い入るように聞いていました。そして、ここからがこの授業の佳境に入ります。次号で!