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映画・演劇のレビュー

TBSイブニング・ファイブ編『余命1ヶ月の花嫁』

2009-05-21 18:50:53 | その他
 感情の流れがとてもリアルな映画版と比較すると、この書籍版は生活の描写がリアル。そのへんがメディアの違いだろうか。これはTV版のドキュメンタリー『余命1ヶ月の花嫁』を補足するノンフィクションだが、インタビューと、TVの取材班によるノベライズとを合わせたようなものだ。

 これを読みながら、廣木監督のアプローチの見事さを改めて実感した。事実の記録であるTV局の取材では描けない真実を映画は示す。だが、同時に映画の後だったから客観的にTV局がこの限られた時間の取材で描けれたものもしっかり見える。この本を読みながら、TVドキュメンタリー版が描こうとして描けなかったことが見えてくる気がした。事実を事実として見せる報道の限界と、だからこそ描きうるもの。そんないろんなことを、この本から考えさせられた。

 ひとつの事実をどう描くのか、冷静に客観的に描くのが本務である報道番組のスタッフが、限られた時間でいかに取材対象をステレオタイプに描くことなくありのまま見せるか。僕は見ていないのだが、このTV番組の挑戦が、この本からなんとなく感じられて、興味深い。

 イブニング・ファイブのスタッフは千恵さんの死の1ヶ月前から取材に入った。残り1ヶ月の取材で何を描いたのだろうか。完成した番組は彼女の死後3日目にオン・エアされた。本来なら彼女が生きているうちにオン・エアされるはずだったのだが、彼女の体調がいいようなので、局側の意向で1週間延ばしたらしい。その間に彼女は急変し死に至る。

 TVのニュース番組は時間との戦いである。短時間の中で、いかに取材対象と向き合い視聴者に正確な事実を伝えるかが命だ。取材チームはオン・エアの2ヶ月後、ドキュメンタリー番組として、もう一度彼女を取り上げ『余命1ヶ月の花嫁』としてまとめる。今回のこのレポートはその番組のノベライズである。冷静に事実を捉える。確かな努力を感じる。読んでいて好感が持てる。だが、読みながら僕が感じたことは、廣木監督が映画化するうえで何を大事にしたことか、ということだ。この本からそれが改めて見えてくる気がした。

 廣木監督はこの事実をもとにして、事実を忠実に再現しながら、今回の映画化をすすめた。彼は太郎さんと千恵さんの2人と、千恵さんの父親にスポットを当てる。3人の心の動きをじっくり見せるためにドラマチックな展開は極力排除する。だが、大事な局面では映画であることの力を見事に発揮する。屋久島のエピソードは映画オリジナルだが、千恵さんが太郎さんにガンだと知られた後、別れるというエピソードと連動し、映画だから見せることの出来た事実を超える真実を描く。夜の自転車の疾走シーンの含めて、深く心の底まで見晴かす。エモーションを大事にする。そのための仕掛けは映画でしか出来ない。

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