習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

セレノグラフィカ『待たない人 樹下の双魚に』

2007-09-02 10:00:58 | 演劇
 初めてセレノグラフィカを見た。えっ!って思うようなパフォーマンスだった。特別なことをしているわけでもないのに、新鮮で、刺激的。でも上手く言葉にはできない。だいたいダンスを言葉にするなんて根本的に不可能なんだろう、といつも思う。理屈ではないんだから。とくによく出来たものを見ると、言葉を失う。

 2部構成。前半は25分ほどの無音によるパフォーマンス。動きが小さく2人のダンサーが、舞台上に出ているにもかかわらず、重なり合うことはなく、お互い視線も交わすことなく、それぞれの踊りを見せる。動きがゆっくりであり、その動き自体には意外性はないが、見ていて、その無機質な動作が空間との違和感を抱かせる。

 白いセットは、パネルが3枚。正面の2枚の壁には窓がひとつ。サイドには開かれた窓。そして、吊り下げられた天井を象徴させる部分も含めると合計4枚か。それら空間の背景となるパネルが、一つずつ消えていく。まず、窓を含む2つが外され、窓のない空間になる。やがて、すべてが消えていく。

 2人のダンサーが、後半には視線を交わし、アンサンブルを見せるが、それとて2人の動きが一つのものを作り上げていくのではない。ステージセットの白と背後の黒。衣装も黒のパンツ、スカートと白のシャツ。この白黒のモノトーンによるコントラストで全てが作られてある。

 10分の休憩を挟んで後半が始まる。男女が衣装を交換している。女は白のパンツにモスグリーンのシャツ。男は赤いスカートに、赤のブラウス。(もしかしたら、違うかも。昨日見たのにもう記憶が曖昧!)そして、前半では黒子に徹していたもうひとりも、ダンスに加わる。

 ひとつのパターン化された運動を繰り返していく。一連の運動が二度ほど。前半に較べ、格段に動きは激しくはなっているが、そのパターンは相変わらず無機的で、後半に音が入っても変わる事はない。パネルが戻された後、隅地茉歩(彼女が演出、振付もしている)のソロとなる。今度は上下とも白に統一した衣装で、白い部屋の中、飛べない鳥のような、あるいは檻に入れられた小動物のような動きを繰り返す。ラストでは、壁に架けられた絵(窓だと思っていた)の枠の中に入りこんでしまう。

 この後、3人によるさらに、パターン化した激しいダンスが、これまた冷静沈着に見せられていく。それはコミカルな動きも含む。正座して上半身のみでの動きを見せたり、様々な動作を見せてくれる。この一連のパフォーマンスに何らかの意味を見出すことは出来ない。意味ではなく、そこに彼らのダンスに対するひとつの方法論のようなものを見出す。

 小さな動きの繰り返しによる無機的な運動のもたらす、ある種の閉塞感が、ひとつの表現へと昇華されていく。

 最後に観客も巻き込んでのパフォーマンスを見せるが、70分程の公演のラストであのゲームを見せることに何の意味があるのやら、よくは分からなかった。靴を脱いで、ミニ・サッカーボールを舞台の下に落ちるのを阻止するというゲームだ。僕も参加させられた。(恥ずかしかった!)まぁ、それはそれでなかなか楽しかった、のだが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第2劇場『麦藁バンド』 | トップ | 仙川環『ししゃも』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。