こんなにもストレートなタイトル。そのままでセンスのかけらもない安易なタイトル。でも彼は敢えて、こうした。そこに是枝監督の覚悟を感じる。この偽家族が本当の家族以上に本当の存在に見えてくる。愛しいから切ない。ギリギリのところで生活しながらもなんだか幸せそうだ。でも、このささやかな幸せがずっと続くはずもない。だからこそ、今こうしている時間を大切にしようと思う。
そして、やがて、突然に、終焉はやってくる。彼らはあっさりと諦める。祖母の死によって、もう終わりが来たことはわかっていた。それでももう少し続けたいと、願い、悪あがきした。昨日この映画を見て、、けさ地震がきて、やっぱり、と思った。地震と映画には何の関連もないけど、僕1人がそう思ってしまった。
突然終わりはやってくる。昨日の地震はその前兆なのか、なんてつまらない勘ぐりすらしてしまう、くらいに今の自分は弱っているのだな、と思った。何の前触れもなくやってくる。それを受けとめて生きていくしかない。この映画を見ながら、そんなことばかり考えていた。コロッケを頬張る少女が愛おしい。たかがコロッケがこんなにも美味しい。そこには暖かい家族がいるからか?
映画を見て、それが映画以上のものに思えた。ずっと家族のことを描いてきた是枝監督が今までの集大成としてではなく、これまでの映画に繋がっていく最初の一歩をここに刻んでいく。『そして父になる』も『海街diary』も『誰も知らない』もこの映画に続いていくのではなく、この映画の先にある。これが原点だ。色んな問題をすべてこの1本の中に込めた。この映画のパーツがこれまでの映画の中に繋がっていく。家族にとって大切なものは血のつながりではない。一緒にいて、相手を愛おしく思えることだ。