あんなにも面白かった前篇を受けて、怒濤の展開を期待したのに、まるでストーリーが広がらない。映画は主人公の2人(菅田将暉とヤン・イクチュン)だけの話に絞り込んでいくのだ。ラストはふたりの対戦である。それはお約束だからわかっていたことだけど、どうして作品世界がこんなにも萎んでしまったのか。
新宿という狭いエリアに限定した空間からこの世界全体をみつめるというスタンスが崩れていく。映画全体がボクシングの話へと収斂されていく。前篇は全方位で展開した社会問題は後篇では全く影を潜めてしまう。ラスト近くで思い出したように(映画の冒頭が爆破事件で始まる)爆破テロを用意するけど、それだけ。
前作の2021年から2022年へと、移っただけで、世界はこんなにも静かになるものなのか。あんなにも不穏な空気が漂っていたのに、ここにはそれが一掃されて、直線的でクリアなものしかない。映画の前半では、兄貴分を廃人にした張本人である宿敵との試合が描かれる。殺してやりたいと思った彼をリングの上で打ちのめす。さらには、映画全体のラストで、バリカン(ヤン・イクチュン)と戦うことになるのだが、明確な敵が目の前にいて、殴り続ける。そうすることで、どこにたどりつくのか。目に見えない敵に向けて空拳を振りかざした前篇とはまるで違う。明確な敵の存在は、彼をさらに苛立たせる。
5時間以上に及ぶ映画を見終えた時に残るこの虚しさ。もしかしたら、それこそがこの映画のテーマだったのか。バリカンの死というわかりやすいラスト。しかも、自分が彼を殺してしまうこと。合わせ鏡のような2人が駆け抜けた2年間の幕切れは、もう一人の自分であるバリカンの死という事実。その前で佇むしかない。その後の人生を彼がどう生きることになるのか。未来は見えない。