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映画・演劇のレビュー

『アーサーとミニモニの不思議な国』

2007-09-08 08:16:15 | 映画
 リュック・ベッソンが特別な監督だった時代。デビュー作『最後の戦い』を見た時の驚き。こんなにもシンプルで美しい映画を作るフランスの新しい才能との出会いに歓喜する。その前後『サブウェイ』である。(順番に見たのか、もしかしたらこっちを先に見たのか、定かではないのは何故?)この映画は僕にとっても、そしてたくさんの映画ファンにとっても忘れられない1本だろう。

 ジャン・ジャック・ベネックスと並んで、フランスの新しい『ヌーヴェルバーグ』を予見させる衝撃の出会いだ。あの頃、この2人にもうひとりレオン・カラックスを並べた時、フランス映画新時代が見えてきたような気がした。

 しかし、そんな時代も今では遠い昔話のことである。なんて残酷な話だろうか。あれだけ才能を誇った人たちが、こんなにも早く枯れていくなんて、思いもしなかった。ただ、唯一ベッソンだけが、今もコンスタントに映画を作り続けている。だが、彼の商業映画を見ても、もう心ときめくことはない。ハングリーだった頃の彼の映画の輝きの残滓すら、今はもうない。

 『ジャンヌ・ダルク』を最後に彼は映画史から消えていった、と思うしかあるまい。今では『TAXI』シリーズを始め、華々しく映画界で大ヒット作をプロデュースし、活躍している。もちろん今でも時々、この『アーサーとミニモイ』のような生ぬるい映画を監督している彼につきあい続けてしまうのは、まだ彼に何かを期待しているからだろうか。この手のファミリー・ピクチヤーは基本的には敬遠しているのに、ついつい見に行ってしまった。

 まぁ『ミクロキッズ』程度に面白かったらいい。今更お子さまランチを見ても、何も言う気にはならないのは分かっていたのだから。3Dアニメと実写の融合なんて、今時珍しくも、なんともない。ただ、ミア・ファローが主演しているのには驚いた。なぜ、こんな映画に出たんだろうか?共演は『チャーリーとチョコレート工場』でジョニー・デップと主演した少年、フレディ・ハイモア。

 そういえば、あの映画もとてつもなくつまらなかった。ティム・バートンが監督したのに、どうしてあんな映画になったのだろうか。子供を対象にしたファンタジーだからと言って毒のないスカスカの映画を作る必要はないはずだ。だいたい彼自身にもそんな気はさらさらないはずなのに。

さて、ようやく本題に突入。この映画の最大の欠陥は、予定調和から1歩もはみ出ないストーリー展開にある。アーサーが行方不明のおじいちゃんとの間に感じるシンパシーと、俗物の両親に対して、それでも彼らに恋焦がれてしまう少年らしさ。その2つの不在の者たちへの想い。その二つの要素が、優しいおばぁちゃん(もちろんミア・ファローだ!)の中にも混在していること。そんなおばぁちゃんへの共感と反発。それがミニモイの国への旅を通してどう変わっていくことになるのか。そんな感じのサイド・ストーリーがしっかり描かれてあったら、映画はもう少し面白いものになったはずだ。なのに、それが、まるでおざなりにされていく。最初からそんな設定はなかったかのように、である。

 こんな毒にも薬にもならない映画には、子供すら騙されはしまい。表面的なお話の裏に作者のしっかりしたメッセージを織り込むなんて、当たり前のことだと思うのだが、この作者は何を考えているのだろうか?



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