あまりのことに突然、涙がどどっと溢れてきてしまった。自分でもびっくりだ。もちろん、そういうことだろうとは途中から薄々気が付いていたのだが、そのタイミングなのである。小池栄子が「あっ、また、今、デート中なんだね」と言ったその笑顔の後、である。たったひとりの管野美穂の姿。それまでのモヤモヤがはっきりしたその瞬間の優しさ。小池演じるみっちゃんの優しさ。やっぱりな、という気持ちよりも、そのあまりの切なさに堪え切れなくなった。
海と山とに囲まれた田舎町を舞台にして、どうしようもない男たちと女たちの、ゆったりとした時間が、流れるように描かれていく。吉田大八監督はあの衝撃のデビュー作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』と同じ切り口で、でも、あの激しさとは真反対の穏やかさの中でこの物語を紡いで見せた。
いつも小さな微笑みを絶やさない管野美穂演じるなおこは、ただ、静かにそこに佇んでいるだけだ。出戻りで、幼い娘のももちゃんを抱えて、強烈な個性の母のもと、けなげに暮らしている。幼なじみのみっちゃん(小池栄子)と、ともちゃん(池脇千鶴)は、これ以上あり得ないような不幸な恋愛をくりかえしている。そんな二人の話相手になり、さらには母親のまさこ(夏木マリ)のイライラの原因であるカズオ(宇崎竜童! まさこの再婚相手、でも今では家を出て他の女と暮らしている)との仲も取り持っている。
ただそこにいて、みんなを受けとめて、彼らをいたわる。基本的には自分の気持ちを表に出すことなく、みんなの支えとなりそこにいる。でも、時々、高校教師をしているカシマ(江口洋介)のところに行き、わがままを言うけど。なおこにとって彼の存在が支えである。そして彼のあやうさがあの結末へとつながっていく。この映画が描くものは、すべてが終わってしまった後の時間なのである。
彼女の別れてしまった夫とのことや、この小さな町で埋もれていくように生きていく人たち。ここに住む彼ら、彼女らのすべてにむけて注がれる彼女のまなざしは、生きとし生きるものすべてが持つ悲しみなのだろう。吉田監督はなおこを含むそんな人たちを優しく包み込むでもなく、突き放すでもなく、ただありのまま受けとめる。しかたないことと、あきらめるのではない。こんなふうにして生きていくことが彼らの選択なのだ。それを批判したり、無責任に共感したりはしない。パーマネント野ばらにやってきてワイ談を繰り返すパンチパーマのおばさんたちの話を聞きながら、いくつになっても恋を続ける女たち、男たちを愛おしく思ってしまう。
ここに出てくる男たちはみんなつまらない男ばかりだ。でも、そんな男を受け入れる女は「あなた」である。
海と山とに囲まれた田舎町を舞台にして、どうしようもない男たちと女たちの、ゆったりとした時間が、流れるように描かれていく。吉田大八監督はあの衝撃のデビュー作『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』と同じ切り口で、でも、あの激しさとは真反対の穏やかさの中でこの物語を紡いで見せた。
いつも小さな微笑みを絶やさない管野美穂演じるなおこは、ただ、静かにそこに佇んでいるだけだ。出戻りで、幼い娘のももちゃんを抱えて、強烈な個性の母のもと、けなげに暮らしている。幼なじみのみっちゃん(小池栄子)と、ともちゃん(池脇千鶴)は、これ以上あり得ないような不幸な恋愛をくりかえしている。そんな二人の話相手になり、さらには母親のまさこ(夏木マリ)のイライラの原因であるカズオ(宇崎竜童! まさこの再婚相手、でも今では家を出て他の女と暮らしている)との仲も取り持っている。
ただそこにいて、みんなを受けとめて、彼らをいたわる。基本的には自分の気持ちを表に出すことなく、みんなの支えとなりそこにいる。でも、時々、高校教師をしているカシマ(江口洋介)のところに行き、わがままを言うけど。なおこにとって彼の存在が支えである。そして彼のあやうさがあの結末へとつながっていく。この映画が描くものは、すべてが終わってしまった後の時間なのである。
彼女の別れてしまった夫とのことや、この小さな町で埋もれていくように生きていく人たち。ここに住む彼ら、彼女らのすべてにむけて注がれる彼女のまなざしは、生きとし生きるものすべてが持つ悲しみなのだろう。吉田監督はなおこを含むそんな人たちを優しく包み込むでもなく、突き放すでもなく、ただありのまま受けとめる。しかたないことと、あきらめるのではない。こんなふうにして生きていくことが彼らの選択なのだ。それを批判したり、無責任に共感したりはしない。パーマネント野ばらにやってきてワイ談を繰り返すパンチパーマのおばさんたちの話を聞きながら、いくつになっても恋を続ける女たち、男たちを愛おしく思ってしまう。
ここに出てくる男たちはみんなつまらない男ばかりだ。でも、そんな男を受け入れる女は「あなた」である。