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映画・演劇のレビュー

あざない 糾『すいかずら』

2006-12-19 22:04:43 | 演劇
 とても真面目なお芝居で、作り手の誠実さは伝わってくる。いい意味でも悪い意味でも芳崎さんらしい芝居になっている。だが、あまりにストレートすぎて見ていて照れてしまう部分もある。それに、作者の意図が伝わりきらない部分もあり、演出面での表現力の欠如は否めない。

 17年ぶりに大学のテニスサークルの同窓会を行う。しかし、ここに集まったのは3人だけ。しかも、案内のはがきの差出人は3人とも別人。なぜこの3人はわざわざここまで来たのか。彼らがこの集まりに惹かれた理由はよく分からない。だが、とりあえず彼らはここに来た。そこからドラマが始まる。

 17年という歳月を経て、記憶のかなたにあるものをもう一度探り出そうとする姿が描かれる。あの時の幼い少女は大人になり、このペンションを1人で切り盛りしている。ここは1年前にリニューアルしたばかりで建物も新しくかっての民宿のイメージは完全に払拭されている。3人はここが以前合宿で泊まっていた場所であることを忘れている。

 基本的にはシリアスだが民話的な語り口を導入するスタイルは芳崎さんらしい。それがもう少し上手く混在できたならいいのだが、全体が硬いので、作品としての融合がなされてない。テーマをいかに物語の中に溶け込ませるかも、いつもながら下手で言いたい事とお話が分離された状態のままである。

 死んでしまった父(はしぐちしんがいい)が現れてきて彼女と自然に話しをしたり、ここにいる宿泊客を見守っていたりするのも、なんでもないことなのにギクシャクして見える。かっての古い民宿とピカピカのペンションの落差が描ききれてないから、ラストでその2つが一つに重なってしまう衝撃も言葉だけのものにしかならない。

 17年前の本人たちも忘れてしまっていた出来事。彼らには悪気なんてなかった。台風の日に彼らを送るため車を出し、その帰りに事故で父が死んだこと。ささやかなことが、相手にとっては、ずっと残り続ける悪夢となっていくというテーマ自体はいいのだが、それを描く段階でこの17年間の空隙をもう少し緻密に見せてくれなくては、意味を成さない。

 少女は父を亡くしてどんな想いを抱いてあれからの日々を生きたのか。このペンションをどういう経緯を辿ることでリニューアルオープンさせたのか。なのに、客が来ないのはなぜか。というか、客を集める気さえないのはなぜか。さらには、大山まゆの演じる女はなぜ、この2人をここに呼び寄せたのか。彼女があの時感じていた孤独とは何だったのか。そして、今も続く想いとは何なのか。幾つもの謎にどう決着をつけるのか。

 蜘蛛や蛙を入れたぜんざいを食べさせることを、現実でなく幻想として見せ、そのシーンの後、普通の顔して普通のぜんざいをみんなに振舞うシーンを持ってくる。その後、すべてが幻想でしかないというのなら、それも含めて観客が納得のいくように見せなくては、説明不足でしかないだろう。このペンション自体が幻であったという展開でも構わないがそれならそれでもっと衝撃的に見せても良かったのではないか。曖昧すぎて見てて辛い。

 描こうとするものは、悪くないし、芝居自体の醸し出す雰囲気は悪くないだけに、詰めの甘さが芝居を損なうのが残念でならない。

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