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映画・演劇のレビュー

『ホームワーク』

2022-10-14 11:01:35 | 映画

アッバス・キアロスタミ監督の旧作を見た。たまたま今まで見てなかった初期作品である。アマゾンに入っていたので、見ることにした。彼が『友だちの家はどこ?』で日本に初めて紹介されたとき、こんな映画ありなのかと衝撃を受けた。あの作品の描く世界に魅了されたのだ。こんなにも小さな話があんなにも豊穣で新鮮な驚きを与える。これは日活児童映画では描けない(描かない)視線だ。大人が子供を描くにも関わらずそこには大人による上から目線はない。なのに、冷徹にちゃんと子供を見つめている。これまでそんな映画はなかった。その後の『そして人生は続く』『オリーブの林を抜けて』という3部作によって彼の世界観は明確になる。児童映画しか撮れないという当時のイラン映画というのもありそうだが、それだけではない。子供に向ける彼の目線はその後の映画でも同じ。それはなにも子供に限らないということだ。大人に対しても同じなのだ。対象との距離感が凄い。それはそれは客観的なんていうお決まりの文言では括れない。

そんな彼の創作の秘密がこのドキュメンタリー映画を見ることで明かされる。これは『友だちの家はどこ?』とほぼ同時期に撮られた映画だ。子供たちに質問を投げかけるのがキアロスタミ自身だ。優しくない。自分が知りたいことをストレートに投げかけるから泣いてしまう子もいる。カメラは彼の真後ろにある。カメラマンが撮影する姿を何度となくインサートする。同じ角度から同じサイズで撮られている。カメラマンの姿と子供たちの姿が、である。その間にキアロスタミ監督がいて、同じ質問をたくさんの子供たちに厳しい声で聞く。「宿題はしたか」「誰が教えてくれるのか」「アニメは見るか」等。子供たちを怖がらせようというわけではない。知りたいだけ。

イランという国が抱える問題と向き合い怒りの矛先を向ける。子供たちを通してあの国のさまざまな問題が見える。90年代、彼が駆け抜けたもの。それがあの3部作にはある。だが、その後2000年代に入ると失速する。最後に日本で撮った映画はまるで彼らしくはなかった。巨匠となりイランを離れ彼が力尽きたのは、変わらないものに立ち向かえなくなったからなのか。彼がフランスで亡くなって8年。今だってイランはさまざまな問題を抱えたままだ。この映画に登場したあの子供たちは今、40代になっている。


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