実は渾身の大長編である前作『ヒトコブラクダ層ぜっと』にはがっかりした。2巻構成のあれだけの大作なのに、まるでお話に乗れなかったのだ。それだけに今回の新作も少し斜に構えて読み始めた。このタイトルであの表紙のイラストである。軽いタッチの作品であろうと思いさらりと読み流すくらいの勢いで読み始めたのだが、それがもう、とんでもない面白さ。荒唐無稽の世界はいつも通りなのだけど、今回は入り口が小さくて高校生の女の子を主人公にしていて、まるで少女漫画のラブストーリー青春小説って感じだった。だから油断していた。400ページ程度という微妙な分量も実は気になってはいたのだが、あまり何も考えずに読んでいた。それだけに第3章からの展開には虚を突かれた。高校生同士の甘いダブルデートを描く2章の終盤、まさかのバスの転落事故。そこからお話は急展開していくのだ。さすが万城目、というしかない鮮やかな転調。
血を吸わない吸血鬼の一家のお話、というなんだかとぼけた設定から軽くお話に入り、17歳になる女の子とその友人の恋バナという導入でかなり引っ張るのでこれはそういうお話なのかと思わせる。だが、バス事故のところから意外な展開へ、さらに第3章からは怒濤の展開かと思わせて、あんなことがあったのになぜか無事で平穏な日々に戻るというミステリー風のお話へとシフトする。このへんの緩急の付けからが憎らしいくらいにうまい。死にそうな男の子を守るために彼の血を吸い、自らも吸血鬼であることに目覚めるというお話になるはずなのに、目覚めるとふつうの女子高生のまま。しかも一緒にバスに乗っていた3人は無傷。すべては夢だったのか、そんなわけはない。では、これは何? ここからいつもの万城目ワールドに突入する。
人間世界でひそやかに生きる吸血鬼たちのお話。タイトルにある謎の化け物Qの正体。何が彼女に起きたのか。死刑にされるQを助けるため、彼女は敵のアジト(クボーと呼ばれる)に潜入する。(という一応わかりやすそうな説明をするけど、このへんはドキドキさせる描き方。大冒険活劇だ。)
読みながら直前に読んだ『ドラゴンズ・タン』を思い出していた。あれも壮大なお話だった。霊魂になった男と彼に仕える永遠の命を得た男が2000年の歳月をかけ、世界を支配するために暗躍するなんていうお話だ。今回の吸血鬼一族が500年もの間、人間世界に潜伏し、身を隠したまま共生するとかいうお話とも共鳴するところがあるのではないか。さらにはその直前に読んだ『すずめの戸締り』にだってなんだか通じるものがある。壮大なスケールで描かれるドラマはいずれもこの世界の不条理と向き合い、戦う少女のお話だ。まぁ、アニメやゲームなんかにならこういうのはたくさんあるのだろうが、僕が読むようなエンタメではない文学作品でこの手のお話はあまりないのではないか。(まぁ、新海作品はアニメになるのだけど)
バランス感覚がすばらしく、800ページではなく、400ページというそこそこのスケールで収めたのも、なんだかニクらしい。それくらいにエッジが利いているということだ。安全なジャンルには収まらないのに、なんだか安定しているし、絶妙なバランスが凄い。読む前は違和感があった水沢石鹸によるなんだかトボけたイラストも読み終えたときには、この小説になかなか上手くマッチしているな、と感心する始末。