とても刺激的な映画だ。前後篇合わせて5時間を越える超大作なのだが、実に淡々としたタッチで、だが、しっかりと、緩やかに加速する。2時間37分(前篇)の長尺があっという間だった。長さを感じさせないのは、映画に流れる時間が心地よいからだ。まるで生活しているように映画が流れていく。この映画はこれだけの長さを持つことで、独自のリズムを手に入れたようだ。悠々たるタッチではなく、卑近な出来事を連ねていくことで、等身大に時間をそこに提示する。僕らは主人公たち(菅田将暉とヤン・イクチュンだけでなく、その周囲の人々も含む)の直面している現実と向き合うことになる。それをことさらドラマチックに描くのではなく、そのままで描く。でも、それはドキュメンタリータッチではない。
2021年という設定もそうだ。なんとこの映画は近未来の話なのである。寺山修司の原作は1965年という設定だった。それを意図的に2021年に置き換えたのはその意図が明確でいい。東京オリンピックの翌年という符合だ。「先のオリンピック」の翌年を舞台とする小説を、「(この)先のオリンピック(2017年現在)」の翌年に設定し直すという大胆な挑戦はどこから生まれたのだろうか。もうその設定だけで、ドキドキする。しかも、映画は、原作に忠実に描かれるから、近未来のはずなのに、お話はまるで昭和だ。60年代の新宿を想起させる。(そりゃぁ、当たり前だろ!)ことさら未来っぽい描写はない。この映画で描かれるのは、なんと、あの『ブレードランナー』の2年後の世界のはずなのに。
冒頭の爆破事故のシーンから映画はスタートしたけど、それを印象付けない。あれはテロなのかもしれない、と思いながらも、お話の中に吸い込まれていくから、そんな出来事があったなんて忘れるほどだ。ボクシングの映画のはずである。主人公の2人は矢吹丈とマンモス西よろしく、おんぼろジムに所属し、プロボクサーを目指す。だが、サイドストーリーも充実している。それらがどんなふうに絡み合うことになるのか、まだわからない。体を売って盗みをする女とか、片眼のジムのオーナーとか、ヨボヨボのトレーナーに、介護ビジネスをする変態社長。幼い日に菅田を棄てた母親。もと自衛隊で海外派兵から心を病んだヤンの父親。自殺幇助をする大学の自殺防止サークルのメンバー。雑多な社会問題もてんこ盛りにして、そのさまざまな人々のドラマがボクサーになるふたりの周囲で同時に描かれる。
教育ローンの返済免除を餌にされ、政府から戦争に送られる若者たち。(召集令状ではない。本人の希望だという建て前)自殺者やテロ事件が頻発する。ドローンによる監視。そんな実にリアルな近未来。2020年東京オリンピックなんてなかったかのように忘れられた日本の新宿という狭いエリアでの出来事は、2021年の日本国の縮図だ。ふたりはそこでハングリーにボクシングなんかに取り組む。(しかも、彼らが元犯罪者と、韓国人2世)貧しいから、ボクサーになる、なんていう20世紀のお話を21世紀の話として堂々と見せていく。50年経とうがこの国は変わらない。先の戦争から数えたならもう70有余年である。この先の戦争まであと何年か?
映画のラストは当然、ボクシングの試合である。だが、そこには勝つことの快感なんかない。憎いから、ただ殴る。試合が終わろうとも関係ない。止まられなかったなら、死ぬまで殴り続けただろう。この腹立ちは何なのか。映画はきっと怒濤の後篇でその答えを出すことになるのだろう。