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映画・演劇のレビュー

くじら企画『怪シイ来客簿』

2006-10-16 22:36:31 | 演劇
 大竹野が久々に家族の問題を取り上げている。作品自体は『サラサーテの盤』に続く文芸シリーズ(そんなものがあればだが)なのだが、色川武大のことが好き過ぎて、作品や作家との距離がうまく取りきれてない。彼がかなり苦しんで作ったことが、痛いほど伝わってくる芝居になっている。

 原作に描かれた父と子の話を中心にしてうまくまとめれたならよかったのだが、彼はそれだけでは納得いかなかったのである。サブタイトルにもある色川武大の宇宙というイメージに引きずられてしまい作品自体がどこに向かうのか測りかねてしまう。

 怪しい来客たちが男のところにやってきて起こる様々な騒動を描くというスタイルを敢えて捨ててしまったのはなぜだろう。怪奇譚になってもよかったし、冒頭のシーンなんてそういうイメージを提示していたはずだ。サラサーテの路線から作り上げるのかと思わされたのだが、そうはならない。

 大竹野は役者たちにあてて彼らの得意とする演技を引き出そうとする。自分の中にある彼らのイメージをコラージュさせて芝居を作っている。その結果芝居はとてもすっきりした形をとる。もっとぐちゃぐちゃになってもいいのにそうはさせない。

 99歳の父親の介護の問題を中心にして芝居を作るのかとも思ったが、そうもならない。芝居のスタートは、父と同居する弟から夜中に呼び出された男が、パジャマのまま実家に駆けつけ父親と話すシーンである。母親に暴力を振るった父を諌めるために呼び出されたのだ。寝起きのままやって来た男は、この後も全編パジャマ姿のままである。そのせいでこの芝居が彼の夢の世界を象徴するように見える。そして、作品が向かう方向性もそこに提示される。この男の宇宙として芝居は展開していくのである。

 真夜中に父と2人話をする。みんなは寝静まり世界は2人だけになる。

 家に対する拘り、父の家を出て自分の家を持つこと。それは安定した家庭が欲しかったのではない。子どもの頃、父に対して抱いていた感情。今父と同じように1人になったこと。妻が出て行きひとりになる。もう一度父のところに戻って父の面倒を見てもいいと思ったりもする。

 ある日、妻が若い男と出て行くと言う。男はそれを素直に受け入れる。男はもともと自由奔放に行きたかった。子どもの頃、弟を連れて浅草に行き遊び続けた。家の着物を質に入れて遊ぶ金を工面するような少年だった。そして、ギャンブルにのめり込み生活破綻者となる。そんな生き方をして、彼は何を求めたか。

 家は彼を縛り続ける。しかし、結局は家に帰りたいのである。家に対するこだわりがテーマである。犬に事ム所の初期のころからずっとこのテーマが彼の作品の根底にはあった。今回ほんとはそこと真正面から向き合うべきだったのだが、それができなかったのには諸事情があったのだろう。しかし、この問題については一度しっかり1本の芝居の中で決着をつけて欲しい。今回は作品の一つの切り口にしかそれが描かれないのはとても歯痒い。

 芝居全体は、書ききれてないな、という印象が強い。切り口があまりに多すぎて絞りきれないまま見切り発車したという感じだ。そんな中で、信頼できる役者のイメージに頼り、自分の得意技を駆使して力ずくで1本の芝居を立ち上げたのではないか。冒険も出来ず安全圏で勝負してるのがもったいない。最初考えていたことがうまく機能せず少しずつ軌道変更しているうちに、自分自身が持っていた根底にあるテーマとこの素材が重なりあう。しかし、それを充分煮詰めていくために時間は残されてなかったのだろう。とても残念だ。もしかしたら凄い作品が見れたかもしれない。そんな予感を抱かせる芝居である。この作品が次の傑作に必ずつながる。

 そんな中でも、モリタフトシの快演は特筆に価する。父を演じる彼と主人公の男(戎屋海老)の二人のやりとりがすばらしい。要するにこの芝居は、そこから始まりそこで終わるのである。

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