『イップマン 葉問』というタイトルは嘘だ。本来なら『イップマン2』とすべきなのに、日本公開が『イップマン』より先になったため、こちらが『イップマン』となり本来の『イップマン』は日本では『イップマン序章』ということとなったようなのだ。なんともややこしい話だ。
ウイルソン・イップ監督、ドニー・イェン主演のヒット映画の第2作である。前作の佛山から舞台を香港に移して、1950年、戦後、香港移住して、苦労しながら詠春拳の普及に励む姿が描かれる。いくつかの派手なアクション・シーンを随所に見せながら、基本的には家族との日常描写を丹念に描くというスタイル。
魚市場での戦いや、道場を開く許可を取るために師匠たちと勝負するシーンは、この映画のハイライトだろう。見事な見せ場を展開する。クライマックスのボクサーとの戦いのシーンよりもこの2つのシーンの方がずっと凄い。それに引き換えボクサーとの対決はなんか、嘘くさい。どう考えてもドニー・イェンが負けそうになる気がしない。なのに、ドニーがあそこまでぼろぼろになるなんて、それだけで嘘っぽいではないか。(だいたいその前にサモ・ハンが彼に殺されるというのも、定番で、それまでのタッチから軌道修正が為された気がする。)たったひとりのボクサー相手になんであんなに苦戦しなければならないのか。不思議だ。ということで、あのラストの試合には乗れない。リングの上で戦うというのも、なんだかなぁ、である。しかも、ロッキーみたいだし。陳腐としかいいようがない。
これはイップマンの伝記映画ではなく、昔ながらのカンフー映画なのだ。前作以上にワンパターンになるのは、舞台が香港になったからか。70年代の香港カンフー映画の記憶がよみがえる。
70年代、香港映画の定番と言えば、カンフー映画だった。香港=カンフーと言っても問題なかった。『燃えよドラゴン』の大ヒットの後、山のようなカンフー映画が日本に上陸した。安手のアクションは野原でアチャアチャやっているばかりで、ストーリーなんて、全くない。ブルース・リーの亜流映画はいずれも『××ドラゴン』とタイトルに入っていて、変わり映えのしないものばかりだった。それはコミカルカンフー物で評判となったジャッキー・チェンの初期作品も同じである。この『イップマン2』を見ながら、あの頃のカンフー映画を思い出した。この単純なストーリーライン。そして、『ロッキー』ばりのラストのファイトシーン。単純明快、何の奥行きもない安易な映画。
この現代に、これだけの大作映画として、この手の映画が作られ、大ヒットするというのは、単純に70年代へのノスタルジーでしかない。ラストで幼いブルース・リー少年が登場し、イップマンのところに弟子入りするというシーンをちゃっかり入れてあるのでも明かだろう。前作は中国(広州)を舞台に悪の日本人と戦う話なら、今回は香港を舞台にして、悪のイギリス人と戦う話だ。この図式も本当にわかりやすい。作り手はこういうカンフー物をもう一度この21世紀によみがえらせたかったのだろう。イップマンという武道家の伝記物というスタイルをとりながら、実際には彼の人物像を描くとか、いうことではなく、勧善懲悪のアクション映画の王道をいく物語なのだ。これを見て観客は拍手喝采する。
だが、こういう原点帰りは決して悪いことではない。時に人は自分たちのルーツを確認する作業も必要だと思うからだ。ウイルソン・イップ監督はすべてわかったうえでこういう作り方を敢えてしている。「安易な映画」と先に書いたが本当は「安易を装う映画」なのだ。けっこう丹念に家族の描写を入れてあるのも、70年代の安易な映画とはまるで違うし。でも、これではなんか物足りない。
ウイルソン・イップ監督、ドニー・イェン主演のヒット映画の第2作である。前作の佛山から舞台を香港に移して、1950年、戦後、香港移住して、苦労しながら詠春拳の普及に励む姿が描かれる。いくつかの派手なアクション・シーンを随所に見せながら、基本的には家族との日常描写を丹念に描くというスタイル。
魚市場での戦いや、道場を開く許可を取るために師匠たちと勝負するシーンは、この映画のハイライトだろう。見事な見せ場を展開する。クライマックスのボクサーとの戦いのシーンよりもこの2つのシーンの方がずっと凄い。それに引き換えボクサーとの対決はなんか、嘘くさい。どう考えてもドニー・イェンが負けそうになる気がしない。なのに、ドニーがあそこまでぼろぼろになるなんて、それだけで嘘っぽいではないか。(だいたいその前にサモ・ハンが彼に殺されるというのも、定番で、それまでのタッチから軌道修正が為された気がする。)たったひとりのボクサー相手になんであんなに苦戦しなければならないのか。不思議だ。ということで、あのラストの試合には乗れない。リングの上で戦うというのも、なんだかなぁ、である。しかも、ロッキーみたいだし。陳腐としかいいようがない。
これはイップマンの伝記映画ではなく、昔ながらのカンフー映画なのだ。前作以上にワンパターンになるのは、舞台が香港になったからか。70年代の香港カンフー映画の記憶がよみがえる。
70年代、香港映画の定番と言えば、カンフー映画だった。香港=カンフーと言っても問題なかった。『燃えよドラゴン』の大ヒットの後、山のようなカンフー映画が日本に上陸した。安手のアクションは野原でアチャアチャやっているばかりで、ストーリーなんて、全くない。ブルース・リーの亜流映画はいずれも『××ドラゴン』とタイトルに入っていて、変わり映えのしないものばかりだった。それはコミカルカンフー物で評判となったジャッキー・チェンの初期作品も同じである。この『イップマン2』を見ながら、あの頃のカンフー映画を思い出した。この単純なストーリーライン。そして、『ロッキー』ばりのラストのファイトシーン。単純明快、何の奥行きもない安易な映画。
この現代に、これだけの大作映画として、この手の映画が作られ、大ヒットするというのは、単純に70年代へのノスタルジーでしかない。ラストで幼いブルース・リー少年が登場し、イップマンのところに弟子入りするというシーンをちゃっかり入れてあるのでも明かだろう。前作は中国(広州)を舞台に悪の日本人と戦う話なら、今回は香港を舞台にして、悪のイギリス人と戦う話だ。この図式も本当にわかりやすい。作り手はこういうカンフー物をもう一度この21世紀によみがえらせたかったのだろう。イップマンという武道家の伝記物というスタイルをとりながら、実際には彼の人物像を描くとか、いうことではなく、勧善懲悪のアクション映画の王道をいく物語なのだ。これを見て観客は拍手喝采する。
だが、こういう原点帰りは決して悪いことではない。時に人は自分たちのルーツを確認する作業も必要だと思うからだ。ウイルソン・イップ監督はすべてわかったうえでこういう作り方を敢えてしている。「安易な映画」と先に書いたが本当は「安易を装う映画」なのだ。けっこう丹念に家族の描写を入れてあるのも、70年代の安易な映画とはまるで違うし。でも、これではなんか物足りない。