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映画・演劇のレビュー

『マイウェイ 12000キロの真実 』

2012-02-11 23:20:26 | 映画
 公開4週目の最終回でようやく見てきた。もっと早く見たかったのだが、機会を逃した。2時間半の大作だから上手く時間を合わせれなかったということもある。でも、もっと封切りすぐに見て、ちゃんと大きなスクリーンで見れたならよかった。悔やまれる。シネスコになると更に小さくなる劇場で見るのはもったいない映画なのだ。出来る限り大きなスクリーンで、このスペクタクルを目撃したかった。すさまじい戦争大作である。

 映画としては話は突っ込みどころ満載で穴だらけなのだが、大多数を占める戦場のシーンの圧倒的迫力に驚く。もうそれだけでこの映画を認めないではいられない。更には冒頭の京城(ソウル)のシーンも凄い。あれだけのセットとエキストラを用意するのである。このシーンだけでどれだけお金を使ったのかと思う。だが、本題はここではなく、あくまでもあの凄まじい戦争シーンだ。ノモンハンから始まり、シベリアの収容所でのシーン、さらにはノルマンディーまで、12000キロにわたる地獄の撮影をやり遂げたカン・ジェギュ監督とスタッフ、キャストに敬意を表する。主人公の2人、オダギリ・ジョーとチャン・ドンゴンも命を張った文字通りの熱演だ。

 これだけの大作を作りえる今の韓国映画界って凄い。しかも、この題材である。主役は、どちらかと言うとチャン・ドンゴンではなく、オダギリ・ジョーのほうで、映画の中で使われる言語は日本語の方が朝鮮語より多い。日本人の描き方はステレオタイプだが、あの時代ならこのほうがリアリティーがある。こんな内容の映画を韓国映画界が単独で作り、日本人キャストを大挙取り込んで、公正でリアルな映画を目指すのだ。朝鮮の側からの一方的な描き方ではなく、どちらかと言うと日本人に対して理解ある描写をしているくらいだ。韓国での興行を鑑みるにこのアプローチは幾分不利になるのではないか、と危惧しなかったのか。でも、そんなことおくびにも出さずニュートラルな映画を目指す。

 カン・ジェギュ監督は『シュリ』『ブラザーフッド』に続き、この半端ではない大作に臨む。彼は臆することなくどんどんスケールの大きい映画に挑戦する。映画としての多少の嘘はどうとも思わない。あからさまな嘘でなければ映画としてのリアルを損なわないように敢えて嘘を平気でつく。心情的なリアルを重視する。娯楽映画としての矜持を守る。

 彼がここで一番何より大事にしたのは、自分たちの信じたものを最後まで守る態度だ。日本人としての矜持と、朝鮮人としての矜持。主人公の2人はお互いにそれを棄てることはない。だが、もっと大事なことがある。自分たち民族の問題よりも、自分が人間であること、自分自身の矜持である。日本、ソ連、ドイツと3つの軍服を着て戦うことになった2人の運命のドラマが描くのは、自分たちの出自なんかを越えて、生きることがすべての最優先する、という当然の結論だ。

 だが、これは単純な友情の物語ではない。憎しみ合いながら、12000キロの旅を続け、その最後にたどりついたものを2人は見る。もちろん僕たち観客も、だ。生きるか、死ぬかは紙一重だ。最後まであきらめずに故郷に帰ることを夢見た2人の壮大な旅。描きたかったのはそれだけである。これはただの歴史大作ではない。民族を超えた魂の軌跡を描くのである。やがて、そこには日本人とか朝鮮人とかいう垣根は存在しなくなる。

 これは甘い友情物語では断じてない。最後まで走るをあきらめない男と、そんな男に憧れ、それが生きていく希望になる。最後に2人の魂がひとつになる。だが、そこだけとらえて、それを甘いと言うのなら、そんなやつには好きに言わせておけばいい。この映画はここまでやった。だから、あのラストを甘いなんて言わさない。あれでいいのだ。

 セールスが上手くいかず、韓国でも日本でも思ったようにはヒットしなかったようだ。だが、この映画を作った意義はある。カン・ジェギュ監督の心意気は、わかる人にはわかるはずだ。無駄ではない。

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1 コメント

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はじめまして (ときこ)
2012-02-12 19:55:37
まったく同感です。
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