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映画・演劇のレビュー

コトリ会議『びゅいーん、瓶』

2010-08-08 09:39:16 | 演劇
 見事なまでに何にもない話。ストーリーに仕掛けられたものが、やがては見えてきて、どんな展開が待っているのか、と期待していると、肩すかしを食らう。宇宙人が攻めて来たり、大統領のリコールがあったり、この星が滅びたり、と(それって、かなり凄いはず、の展開でしょ)盛りだくさんなのだが。

 実はそんなことも含めて、ここには見事に何もない。大きな歴史の中にあっては、それくらいのことは、なんでもない、ということなのだ。(いやいや、なんでもなくはないよ、と突っ込みを入れたくなるが)これは空っぽな芝居。きっと、作、演出の山本正典さんはそんなものを目指したのだ。これは、この星で暮らす人たちの、なんでもない日常生活のスケッチなのだ。

 でも、こんなことでいいのか、と思う。見た人が怒ってしまうのではないか、と心配になる。でも、山本さんはこれでいいのだ、と思ったのだろう。

 2222人しか、人が住んでいない地球から遙か彼方の、とある星。ここにワープ基地を作ろうという計画がある。そうなると、ここもちゃんと栄えるはずだ。今は、銀河の果てで誰からも顧みられることなく取り残されたような寂しい場所だが。地球からここまで来るには100年かかる。だから、ここに来る人は宇宙船の中で生まれた人たちしかいない。彼らは地球を知らない。この設定がいい。誰も望んでここに来たわけではない。親が勝手にこの星を目指して、死んでいっただけ。

 「この世の果て」での退屈な日常。けっこうドラマチックな展開すら、なんてことない退屈な日常の中で埋もれてしまう。スケールの大きい話のはすが、本当の彼らの望みは、ただ風に吹かててそれを体で感じてみたいだけ、だったりする。ラストで地球に飛ばす「びゅいーん、瓶」にまるで意味がないのがすごい。でも、そこにこそ、この芝居のすべてが詰まっているのだ。

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