習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

Iaku『逢いにいくの、雨だけど』

2018-12-22 22:30:03 | 演劇

 

今年一番の芝居と、年の瀬も押し詰まった今日、出逢えてよかった。雨の中、まだ体調も優れない中、少し無理してでも、行ってよかった。

 

横山さんが自ら演出も手掛けた。ホールに入ると巨大な舞台美術に驚かされる。Iakuの芝居には似合わない装置だ。階段状の空間はそれなりに広い八尾プリズム小ホールの天井にまで続く。スタジアムの客席であり、ジャングルジムのようにも見えるその空間で、いつもの静かな会話劇は展開する。しかも、最初は2人芝居。2つの時代の各4人ずつのお話が交差する。1991年夏、10歳の頃、キャンプに行った日。潤と君子。それぞれの家族。2018年冬、37歳になったふたりが27年ぶりに再会する日。

 

事故によって失明した少年と、彼の失明に関与した少女の物語。今回のテーマは『「許す」を考察する』こと、とチラシにも明言されている。

 

僕はこんな芝居が見たい。人間がそこにはいる。彼らが悩み苦しみ、未来に向けて立ち向かっていく。そんな姿が描かれる。それは単純に元気の出る芝居、というわけではない。生きていくことは、簡単ではないからだ。

ただ、そこには生身の「ひと」がいる。舞台に立ち、生きている。そんな姿を目撃する瞬間。舞台と自分との距離が極端に近いのが小劇場演劇の魅力だ。この芝居もそうだ。小ホールとはいっても、ここは大きな劇場で、舞台は広いし、この芝居は敢えて役者たちとの距離を保つ芝居だ。だけど、彼らがこんなにも近い。痛みがそこまで伝ってくる。ふたりの距離がこんなにも近いのに、遠い。妻と夫、兄と義理の妹。両親と子どもたち。友人と自分。それぞれが相手と向き合う。

 

自分と相手が向き合い、話し合う。話すことで距離が縮まりあえばいい。でも、言葉は空しい。思いはなかなか届かない。高低差、距離感、温度差、いくつもの要因が絡まり合う。簡単じゃない。

 

横山さんはそんな困難を丁寧に切りとる。8人の役者たちが素晴らしい。事故を通して彼らの関係が変わっていく。27年という時間の空白を芝居は埋めていく。2時間の芝居を通して僕たちはちゃんと相手と向き合う、ということを学ぶ。それは、簡単なことではない。だけど、絶対に必要なことだ。逃げているわけにはいかない。もちろん、ちゃんと向き合ったからといって、伝わると、言えるわけではない。どうしようもなく、すれ違うしかないこともある。この芝居のふたりの父親は逃げてしまった。もちろん、彼らが弱かったのだ、と断罪するわけではない。逃げることのなかった女たちが偉い、とかいうわけでもない。事故から逃げられなかった子どもたちも、同じだ。さらには彼らと関わることになる友人たちも。

 

再会した日の夜、彼らが電話するエピローグとなるラストが優しい。こんなふうにしてささやかだけど僕たちは未来に向けて生きる。それでいい。いろいろ書きたいことはあるけど、今日はまだ体力がないからこのへんで終わり。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ポリス・ストーリー REBORN』 | トップ | 劇団きづがわ『鶴彬―暁を抱い... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。