なんだか幸せな気分になる。仕事をやめて半年余りになるが、その間ハローワークに通いながら、毎日仕事のない日々を過ごしている。最初は世の中から置き去りにされてしまったような不安で毎日息苦しかったけど、だんだん今の生活にも慣れてきた。慣れとは恐ろしいものだ。ただ、コロナのせいもあるけど、あまり人に合わなくなったし話をしないのは問題だな、とは思う。ただ、毎日1冊から2冊本を読み、映画も2本ペースで見て、映画館でも週の5本ペースで見ている。こんなふうにすさまじい量の小説と映画を見たり読んだりできるのは楽しい。もちろん主夫業もちゃんとこなしている。掃除洗濯、買い物にご飯の用意もちゃんとしているから毎日結構忙しい。運動はバドミントンの指導員をしてるので、今は週に2,3回は体を動かしている。移動は可能なら自転車を使っている。そんなこんなの毎日だ。
「なんのためにもならないものが、ごくあたりまえに存在する。存在することを許されている。それこそが豊かさだ。市子はそんなふうに思う。」
お話の終盤で主人公の(でも、彼女は入院していたからお話にはほとんど登場しない)市子がそう思う。彼女は遊園地(枚方パークを思わせる)の社長で、主婦のアルバイトから社長に抜擢された。この小説はこの遊園地で働く従業員たちのお話だ。月曜日から土曜日までの6章で6人のお話が描かれる。それぞれが様々な想いを抱えてここで働いている。ボーナストラックでもある最後の7章目(日曜日)は彼らだけではなくその周囲の人々をも含むみんなのその後(今)が描かれる。
「ともに生きていくものに、重要な意味なんかなくていい。価値なんかなくていい。」
遊園地ってなんのためにあるのか、という問いかけへの答えだ。わかりやすい。コロナ禍でいろんなものを控えろ、と言われてみんなが我慢してきたけど、なんのためにもならない、と言われそうなものの中に、大切なことがあるのはわかりきったことだ。映画や演劇、という娯楽が軽視され、蔑ろにされてきた。そんなの間違いだ。そして、ここに描かれる遊園地も同じ。
働かなくなって改めて働くことの意味を感じさせられた。大学卒業から40年間土日も含めてほぼ毎日休みなく働いてきた。大好きな仕事に就いて、好きなように働かせてもらえた。凄く感謝している。だから引退したとき、今度は仕事としてではなく(要するにほぼ給料をもらえない状態、ね)自分のしたいことをして生きようと思った。でも、それは今までしてきたことと変わらないみたいだ。本を読んで映画を見て、毎日楽しく過ごす。ここで描かれる遊園地は、僕が好きだった僕の働いていた職場と同じようなものなのだな、と思い、なんだか懐かしい。この小説の社長のような人と働けるスタッフは幸せだな、と思う。
今回はほとんどこの小説と関係ない私信になってしまった。まぁ、いつも最近はそんな感じだけど。これはとてもいい小説である。寺地はるなの小説が今は一番好き。