習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『The ショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった』

2011-04-15 23:39:54 | 映画
 昔はみんな子供だった。でもやがて大人になる。子どもの頃、大人になってから。更には、いくつになっても親の目から見たなら、子どもはずっと子供のままであること。子供といっても、各エピソードに描かれる子供は年齢も設定もみんな違う。

 これは5話からなるオムニバスである。現代日本を代表する5人の監督たちが、それぞれの視点から、「子供」を主人公にして、短いドラマを作る。それぞれ文体も違うし、好き勝手なアプローチをしているから、驚くくらいにバラバラな印象を与えるけど、みんなそれぞれベテランだから、15分から20分程度の作品を作らせても、自分の個性をしっかり出してくる。上手い下手は当然出てくるけれども、どの作品も監督の個性がよく出ていておもしろい。

 ちょっとハートフルな阪本順治。相変わらず暴力的な井筒和幸。とても優しい気分になれる大森一樹。けっこうシビアな李相日。ラストには、かなり大胆な崔洋一。

 わかりやすい映画よりも、インパクトのあるものを目指す。しかし、それはこけおどしではなく、この短時間で、何かを伝えるには必要不可欠なものだ。5人の監督たちはそれぞれそのことをよくわかっている。

 これは「しっかり映画を見たな」という満腹感を抱くことができる5本立である。同じように子供を扱っているのに、こんなにも彼らの描き方には、情け容赦がない。子供のかわいらしさに映画が隠れてしまうことがよくあるが、さすがに彼らはそんなミスを犯さないのだ。


 後半の2エピソードがすばらしい。要するに小さな子供が出てこない話のほうがいい、ということだ。まぁ結果論でしかないのだが。李相日の『タガタメ』で死神を演じた宮藤官九郎の軽さは絶品だ。この話は、介護者がなんくては生きていけない知的障害者である39歳になる息子を残して死んでいかなくてはならなくなる初老の男(藤竜也)の最後の数日間を描く。おれがいなければ、この子は死んでしまうから自分はどうしても死ねないと思う男の切実な想いが胸に迫る。

 ラストの崔洋一『ダイコン』(「ダイニングテーブルのコンテンポラリー」の略)が凄いのは、実家に帰った40代の娘(小泉今日子)と生涯専業主婦の母親(樹木希林)のスケッチを、ほとんど母親の独り言を通して描いていくところにある。影の薄い父親(細野晴臣)もおかしいけど、ぶつぶつぶつぶつひとり喋っている母の姿をただ追いかけるだけなのに、どうしてこんんあにもドキドキさせられるのか。ロンドンのいる息子に電話で一方的にしゃべり続けるキョンキョンも凄いが、あの母親には及ばない。かって小泉今日子は同じ崔洋一監督による『十階のモスキート』で映画デビューした。まだ、十代の前半だった。あれからもう30年は経ち、それでもまた娘の役で崔監督の映画に再登場する。その事実も僕にはなんか凄いことに思える。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『天使の眼、野獣の街』 | トップ | 『まほろ駅前多田便利件』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。