前半が圧倒的にすばらしい。いきなり江戸時代から現代にタイムスリップしてきた侍がたった一人で、このへんちくりんな世界に立ち尽くすという構図が素晴らしい。
何もしゃべらず、ただ立ったままで、周囲の風景、人々を呆然と見守り続けるだけ。何が何だかわからない。そんな錦戸亮を、ともさかりえと彼女の幼い子供が見つける。そしてこの男を助ける。これは彼ら3人の物語だ。母子は仕方ないから彼をしばらく居候させる。この構図はディズニーの傑作映画『魔法にかけられて』と同じだ。あれはお姫様でこれは侍というところが違うが。江戸時代からやってきた侍の受けるカルチャーショックを描いて行く部分は定番だがとてもおもしろい。彼が一宿一飯の恩義から、家事全般を引き受けて奮闘する様も楽しい。
だが、映画が後半に入って、彼がケーキ作りに目覚めたところから、ストーリーが停滞していく。お父さんとケーキを作る、というTV番組に出演することになり、収録に参加する。ここからが長い。彼らが優勝するかどうか、というお話なんかには、興味はわかない。本筋とはまるで関係ないと思うのだ。さらには、ここでの実績が認められ、ケーキ職人としての仕事を与えられ、忙しくなり、家にも帰れなくなり、子どもが寂しい思いをする、という展開はなんだか、この素材とは関係ないような気がする。これはタイムスリップものだったはずだ。こういう人情劇ではなかったはずなのだが。
ラストのオチがあるから、取りあえずは納得するのだが、それがなかったなら明らかに失敗である。というか、あのオチにつなげるための後半の意外な展開だ、というのなら、なんかちょっと違う気がする。生きがい探しがテーマだ、と言われたらなるほど、と答えるしかないのだが、侍が現代の日本にいきなり登場して生きがいを探すって、なんだかなぁ、と思う。
錦戸亮はとてもいい。無表情で戸惑いを見事に表現した。侍が家事をこなし、プリンにはまり、ケーキ作りに入れ込むというストーリーは悪くない。これは、たいへんな毎日を送っていた母子家庭の母子に、一陣の風を吹きかけ去っていくという『シェーン』を代表とする映画の黄金のワンパターンだ。それが確かにさわやかな感動を呼ぶ。ただし後半の展開にもう一工夫あれば、傑作になったかもしれないのに惜しい。
何もしゃべらず、ただ立ったままで、周囲の風景、人々を呆然と見守り続けるだけ。何が何だかわからない。そんな錦戸亮を、ともさかりえと彼女の幼い子供が見つける。そしてこの男を助ける。これは彼ら3人の物語だ。母子は仕方ないから彼をしばらく居候させる。この構図はディズニーの傑作映画『魔法にかけられて』と同じだ。あれはお姫様でこれは侍というところが違うが。江戸時代からやってきた侍の受けるカルチャーショックを描いて行く部分は定番だがとてもおもしろい。彼が一宿一飯の恩義から、家事全般を引き受けて奮闘する様も楽しい。
だが、映画が後半に入って、彼がケーキ作りに目覚めたところから、ストーリーが停滞していく。お父さんとケーキを作る、というTV番組に出演することになり、収録に参加する。ここからが長い。彼らが優勝するかどうか、というお話なんかには、興味はわかない。本筋とはまるで関係ないと思うのだ。さらには、ここでの実績が認められ、ケーキ職人としての仕事を与えられ、忙しくなり、家にも帰れなくなり、子どもが寂しい思いをする、という展開はなんだか、この素材とは関係ないような気がする。これはタイムスリップものだったはずだ。こういう人情劇ではなかったはずなのだが。
ラストのオチがあるから、取りあえずは納得するのだが、それがなかったなら明らかに失敗である。というか、あのオチにつなげるための後半の意外な展開だ、というのなら、なんかちょっと違う気がする。生きがい探しがテーマだ、と言われたらなるほど、と答えるしかないのだが、侍が現代の日本にいきなり登場して生きがいを探すって、なんだかなぁ、と思う。
錦戸亮はとてもいい。無表情で戸惑いを見事に表現した。侍が家事をこなし、プリンにはまり、ケーキ作りに入れ込むというストーリーは悪くない。これは、たいへんな毎日を送っていた母子家庭の母子に、一陣の風を吹きかけ去っていくという『シェーン』を代表とする映画の黄金のワンパターンだ。それが確かにさわやかな感動を呼ぶ。ただし後半の展開にもう一工夫あれば、傑作になったかもしれないのに惜しい。