昨年のベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞して話題になった濱口竜介監督の新作。地味で観念的な映画だけど、ヒットしているみたいでめでたい。ジャンルとしてはこれはアート映画だろうか。今時珍しい。キャストも知らない人ばかりで商業映画の案件は満たさない。昔のATG映画のテイストだ。あの唖然とするラストもそう。理解できないまま突き放される衝撃。さまざまな議論を呼ぶのは必至。インパクトは大。濱口監督は敢えて観客に挑発的なメッセージを下す。わざとケムに撒くのではない。
冒頭の長回しもそう。延々と樹木を見せて何も映さない。上から下にカメラは下がっていく。あれは誰の目線か。さらには、いつまでたっても地面に辿り着かない。
そして、お話が始まっても何を描きたいのか定かにはならないまま単調な日常描写が続く。水を川に汲みに行く。木を切る。薪を作るために斬り取った木を斧で割る。単純な作業を黙々とこなす。便利屋とその娘が主人公みたいだ。だけど、何があるわけではない。
ゆっくり無口に話は進むけど、何を描くのかはわからない。さすがにイライラしてくる。キャンピング(グランピングというらしい)場設置の説明会のシーンからようやくこの映画の描くものが見えてくる。業者からの説明に対して疑問を投げかける地元民。
この不穏な流れは、やがて地元民と開発業者の対立につながるかのように見せかけて、そうはならない。業者のふたりはやがてここに居場所を見出す。
そしてあのラストである。娘の失踪から鹿との出会い。鹿の傷、ハンターによる銃声。鹿は人間を恐れているから出会ったら逃げる。だが手負いの鹿は攻撃するという。悪は存在しないけど、悪意ある行為を受ける、する、ことがある。そこにはなんらかの理由がある。失踪した少女と鹿。少女が探していた鳥の羽。死んだのは誰なのか。父は何故、少女に駆け寄ろうとした業者の男を羽交い締めにしたのか。娘を抱えて歩き出した父親はどこに行くのか。
キャンピング施設を作って村の再開発に寄与することは悪なのか。自然を損なう開発は寂れていく村を救うのか。水は上から下に流れる。汚染された水はさらなる異物混入によりもとの美しさはもう望めないようになる。その先にあるもの。わからないけど、わからないから、気になる。