その分朝の寒さは、例えようもなくかんじた。
この辺りでは寒い事をかんじると言う。
たぶんそれは、感じるではなく悴んだ(かじかんだ)…
そこからきているのではないかとpochiko的解釈。

眩しい朝日に地面に近い場所には白いもやがかかって幻想的な朝だった。
何気にカレンダーを見れば、初牛と書かれていて、いったいどう言う意味なだろう。
初午とは、立春の後に来る最初の牛の日を初午というらしい。
陰陽道からのもので、「寅・午・戌」の三合火局と言って
午うまの日は、早春の季にあっても陽気立つ日としてお祝いされるようだ。
確かに今日の暖かさは雪国会津でさえももポカポカ陽気で
昔からの謂れは意味のあることなのだと実感!
今日も日勤である夫の代わりに朝晩とヒメ様の散歩係りで一日が終わる。
暖かい日差しが容赦なく降り注いで
真っ直ぐな広い農道には誰も通るものもなく
降り積もった雪がキラキラと光って眩しいくらいなので
さらにこの早春の恩恵を感じようと目を閉じてみる。
不思議と目を閉じると五感が敏感になるような気がして
私の前を歩くヒメのかすかな足音と、斜め前から眩しいほどの日の光が
閉じた瞼を覆う血管を通してだか、何気にオレンジっぽく感じる。
毛糸の帽子や厚手のジャケットを通しては早春の日差しはとても暖かく感じられた。
サクサクサク…と自分の足音も聞こえる以外に何の音もない。
本当に穏やかな優しい一日だったが、さすが夕方から夜にかけてはかんじた。
今日の一枚

東京の空灰色の空…本当の空が見たいと言った、飯豊連邦。
よく晴れた日にはくっきりと見える、言うなれば白い摩天楼のようだ。