goo blog サービス終了のお知らせ 

あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

バレンタインの思い出

2025-02-17 00:31:21 | 思い出
すっかり雪深くなった磐梯山

今年のバレンタイン、なんだか除雪作業に追われて
特にチョコなんて思いもしなかったが
今年はまる子がバレンタインチョコ作りに燃えていた。
誰にあげるのかと問えば、空手の師範と仲良くしている空手のお友達にあげるのだと。
まあ、強いて言えば女の子同士の仲良しチョコかなあ~
何とも微笑ましい。


何と言っても、まだ3年生なので
小難しいことは出来ないけど、買ってきた板チョコを
湯煎して溶かして、オレオにくっ付ける。
その上を飾って顔を描いたりしたもので
孫たち3人とお母さんと、なんだかんだ言いつつ
なんとか作り上げラッピング。
 
 
オレオに手で持てるように作った。
 


地区内のお友達なので歩いて届けに行ったようだ。


そのお返しにと同じような手作りのチョコをもらってきたり
すっかり愛の告白とは違うけど
とっても可愛らしいなあと思う。


私のバレンタインチョコと言えば
思春期の高校時代、当時は板チョコくらいしかなく
それを包んでリボンをかけて
手に持った板チョコが溶けるかと思われるくらいに
握りしめて…放課後の階段の踊り場で渡した思い出は
甘く切ないビターチョコのようだった。
 
型に入れて作ったニャンコチョコ
 
 
一生懸命にラッピング
 


それから、デパートに務めて
そこで配属になったのは、私に似合ってるっちゃ似合っている
お菓子売り場だった。


当時のお菓子売り場ではバレンタイン特設会場が設けられて
そこで初めて見たメリーチョコだとかの
なんと板チョコではないバレンタイン用のハート形の箱入りチョコ
板チョコじゃないバレンタイン用のチョコレートなんて
今じゃ、すごい種類のバレンタイン用のチョコが売られているけど
さすがデパートじゃ!!と思ったもんだった。


しかも、そのうえそのハート形のチョコに文字を入れるサービスがあって
何のことはない、箱からチョコを取り出して千枚通しのようなもので
削って文字を入れる、なんと稚拙な…(@_@)
だけど、当時にしては珍しかったので
チョコを買って文字を入れてもらう人の行列が出来ていたくらい。
 
チビたんがばあばにって作ってくれたよ。
 
家族で食べたクッキーはムーンライト


ハート形のチョコに、❝好きです❞とか名前を入れてもらうとか
もっといろいろあったと思うのだが
思い出しても❝好きです❞くらいしか思い出せない
特設会場には甘いチョコの香りが漂って…。
そんな思い出が蘇る、甘く切ない乙女の願い。


ふふ…あれも青春だよなあ~とか思いながら
ブラックコーヒーとまる子の作ったチョコと
家族で美味しいねって食べるのもバレンタインチョコあるあるかなあと
そんな風に思った夜だった。


いつか、我が家の孫たちもバレンタインチョコをもらったり
あげたりする本命の誰かさんに出会う日が来るのかなと思うと
自分もすっかりと年を感じるデパガ時代およそ半世紀前の事だった。



冬の夕暮れはちょっぴり寂しそう



コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯医者さんの思い出

2018-07-06 00:36:03 | 思い出

夜明け前の風景

サクぼん…とうとう出来てしまった虫歯が二本!
去年までは虫歯なしだったのになあ。
3歳児まで虫歯菌が口の中になかったら
一生虫歯にはならないんだってって信じてて
大人が口をつけた箸やスプーンで赤ちゃんに食べ物をあげない…とか
大人が一口でも口をつけた食べ物は赤ちゃんに食べさせない…や
赤ちゃんの口にキスしたり噛み与えをしたりしない!って実践して来た。

なのに4歳児にして虫歯二本…あの努力は何だったんだ??って!

それでもまだごく初期の虫歯だけど、サクぼん歯医者デビューとなった。
早いうちに治しておかないと、いくら乳歯で生え変わるとはいえ
永久歯に何らかの影響があったりもする。

先日母親と一緒に予約しといた歯医者さんへ行って来た。

そこの歯医者さんはサクぼんが自分で口を開けてくれるまで治療はしないって
最初の時はきれいなお姉さんによる歯磨きの指導で終わったみたいで
二回目はちゃんとお口を開けて治療が出来たんだって!
良かったねえ…夜も歯科衛生士のお姉さんに教わった通り磨いて
お母さんに磨き直ししてもらっていた。

そんな様子を見て思い出すのは息子が初めて歯医者へ行った時の事だった。

その歯医者さんは、まだ開業されているので
どこの歯医者さんだとか場所や名前の特定できるような事は書けないけど
初めて行った歯医者さんは、やっぱりサクぼんくらいの年じゃなかったかと思われる。

白衣を着てメガネとマスクと、椅子に座ると口を開けて…。
しかし初めての歯医者さんで緊張しまくりで
何をされるのか戦々恐々としている息子に口を開けるわけがない。

サクぼんとまる子の好きなワイルドストりベリーの実

ちょっとさ~ 緊張ほぐしてあげてって私でさえ思ったくらい。
私が抱っこして、頭を押さえて…泣く息子。
確かに歯の治療は虫歯を削ったりするので
動かれると危ないのは分かっている。
だけど泣き叫ぶ息子を看護師さん、体と頭や顔を抑えて歯の治療は続く。

たぶん痛さとしたら小さい子でも我慢できるくらいの痛みではないかと思うのだが
押さえつくられてギューンと機械が目前に
そりゃ、殺されるのではないかと思うくらいの恐怖だったと思う。
恐怖は痛みを倍増するからね。

この日の治療が終わった息子の様子はどんなだったかは忘れたけど
ほっぺたにクッキリと顔を抑えていた看護師さんの爪の痕に
もうこの歯医者には行かないだろうって事で、そのままになってしまった。

だから中途半端だった虫歯の治療に虫歯も進行し
歯も痛くなって来るにだけど、歯医者さんへ行こうかというと泣いて恐がるので
これがトラウマになって一生歯医者さんへ行けなくなるのも困る。
どうしたもんかと考えあぐねていた。

その時に亡くなったじいちゃんが会社帰りに通っていた歯医者さんはどうかと言った。
あそこだと、子供の嫌がることはしないと思うぞって
半信半疑一回行ってみる事にした。

そこの歯医者さんは貸店舗の一角を借りて開業していて
最初の時は医者さんに斯く斯く云々と
歯医者さんにすごい恐怖心を持っているのだと話しをした。

ようやく咲き始めたガクアジサイの花

サザンの桑田さんを野暮ったくしたような顔の歯医者さんは
子供の嫌がることは絶対にしない、時間はかかるかもしれないけど
少しずつやっていきましょう…みたいな事を言われたような気がする。

事実治療室に入ると音楽が流れて、口を開けてくれる事から始まった。
いろんな話をしたような気がする…なんせ30年も前の事だから
細かいことは忘れてしまったけど、息子は泣く事もなく歯の治療を終えた。

あれから娘たちもそこの歯医者に通うようになり
夏休みになると予約制じゃなかった歯医者さんの順番取りに行ったり
軽トラックに…チャイルドシートなんてなかった時代だから
あったのかな? でも、助手席に子供を乗せて
子供が三人もいると誰かしらが歯医者さんに通うようになるもので
何年も通ったっけ…今は貸店舗の一角から出て
立派な歯科医院を建てて繁盛している歯医者さん。

あの歯医者さんに出会えて息子は虫歯を治療する事が出来た。
良かったなあ…最初に行った歯医者さんだって
決して悪い歯医者さんではなかったのかもしれないけど
子供向きいじゃなかったって事なんだろうなあ。

サクぼんが今行ってる歯医者さんも
とても子供の気持ちを汲んでくれて、サクぼんもちゃんと治療出来て
痛くなかったよ~なんて治療した歯を得意げに歯を見せてくれた。

 

コメント欄は閉じさせていただいています。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボイラーが壊れて、苦い思い出の日帰り温泉へと

2018-04-03 23:33:22 | 思い出

先日に家の10年点検があったばっかりで
もう早や10年目かと感慨に浸ってる間もなく
我が家のボイラーも同じように10年選手となる!!

去年の夏頃にボイラーからの水漏れを発見。

新築時に取り付けれくれた設備屋さんに電話をして見てもらったら
外側のパイプの部分に小さい穴が開いてて
そこから水が漏れてるってよりか水鉄砲の如くチューっと!

こういうボイラーの耐用年数って10年くらいのもので
特に我が家は地下水を使っているので
パイピの傷みは水道水よりも強いのだそうだ。

それで持った方だと、取りあえず一時凌ぎにしかならないだろうけどって
穴の開いてる部分をハンダのようなもので塞いでくれたが
また別の場所に穴の開く可能性は大だと
つぎ開いた時は交換よりしょうがないですよ!とも言われていた。

それでも半年の冬も過ぎて7~8カ月が過ぎて
それに気付いたのが春間近の事。
いつまで経ってもボイラー下部分の外壁が濡れている。
よく見ればやっぱり水漏れで…また開いちゃったのか~
穴を塞いだとこが取れたのか、はたまた別の箇所か
設備屋さんに連絡しなきゃって思いながらも
チビ太の入院騒ぎやら何やらで
一日延ばしになっていたのだが…漏れが大きくなってきつつあった。

しかもEマークが出て止まってしまうことがあり
さすがに取り換えるしかないと設備屋さん。
それでも何とかならないか見てくれたけど
何か所かの穴が開いて…交換する事にした。

水は暖かくなっていたので冷たいままでもいいけど
問題はお風呂…まだ小さいチビ太やサクぼん、まる子は
風呂に入れないではいられないが
幸いにもよっちゃんのご実家が近くなので
そこでお風呂はお願いしていただくことになった。

私と夫はその間近くの日帰り温泉へと行く事になったけど
近くにある日帰り温泉施設…苦い思い出があった。
だから正直行きたくはなかったのだけど
サクぼんやまる子、チビ太たちがご実家へ行ってる間に行ける場所といえば
ここしかないんだよね苦い思い出の日帰り温泉施設!

昔まだばあちゃんが寝た切りでいた居た頃で
仲間内の夫婦同伴で日帰り温泉へ行こうって話になったのだが
この日私は風邪を引いて熱っぽいしだるいしで
夫は無理しなくてもいいというのだけど
みんな夫婦同伴で来るんだから、いるだけでいいからって言われて
ゾクゾクする体を引きずって行ったさ!

居るだけでも良いっちゃあんめしたな!

やっぱり風呂に入る気力もなく休憩所の座敷で横になって
ラーメンが美味しいんだとかで、湯上りにラーメンを食べるのだが
とてもラーメンの食べられる状態などでもなく
もう金輪際こいつ等とは付き合うもんか!!!って思った。

しかし…やっぱりずっと付き合うことになっているのが
内心腹の立つ!!

だから、その日帰り温泉はあれ以来一回も行ってなかった。
前日、夫と二人夕方からそこの日帰り温泉へ行く事にした。
あれから十何年か?

夕暮れの阿賀川河川敷

夕方の阿賀川が流れる薄ぼんやりとした風景に建つ日帰り温泉施設。
入口脇には足湯があって、入口入ると思ったより狭いが
奥に入ると休憩所の広い座敷がある。

当時辛い体を横たえていた座敷はもっと広いような気がしていたけど
思ったより小さく感じられた。
その休憩所を横目に二階になっている浴場へと
あの時は入れなかったお風呂…動脈硬化症・きりきず・やけど
慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病などに効能がある…ちょっと熱めのお湯に
何だか体の隅々にまで気持ち良さがじんわりと。

日帰り苦い思いでの温泉施設

足湯は山を眺めながら…。

あんなにこだわっていた自分が滑稽のような気がした。

磐梯山を一望できる露天風呂は、こぢんまりとしていたけど
何処からか来られた80代のお年寄りと
お話する事が出来て、ちょっとほのぼのとした気分になれた。

来て良かった。

ポカポカに温まった体で、あの休憩所に座り一休みして
評判のラーメン…食べてみたかったけど
夕方あちらのご実家でお風呂に入って帰って来る孫たちと一緒に夕食が待ってるし
また今度孫たちと来た時の楽しみにしておこうと思った。

 

コメント欄は閉じさせていただいています。 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枝豆の思い出

2017-08-13 23:07:00 | 思い出

今日は明日14日のお墓参りを前に
お線香を手向けに来られるお客様の為に
枝豆でも茹でて出そうかと豆取りをした。

どんよりとした蒸し暑い日だった。

 


お盆前のこの日になると、毎年追悼の番組がある。
日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日月曜日18時56分墜落事故のニュース。
それでも生存者は4名いたが坂本九さんは亡くなられたのだよね。
本当に大勢の被害者で心が痛む事故だった。

と共に思い出すのは、この時期の我が家。

当時、亡きばあちゃんは畑にたくさんの枝豆を作って
お盆を控え、枝豆を収穫してそれを売りに行ったりしていた。
自転車の後ろにコンテナを付けて、それに積んでいくのだから
たいした収入ではなかったとは思うのだが
それでも10日過ぎ辺りから、お盆に渡って結構な数を売りさばいて来る。

スイカの脇の土手の傍に植えた湯あがり娘!

そろそろ収穫時かな。

やっぱりノリスケが邪魔をしに来る。

次に控えしサッポロミドリ

午前中に売って来て、午後から亡きじいちゃんがテイラーで
豆を取って来る…そして、夕方ころか枝豆の葉っぱを取るのが日課だった。
私も夫も勤めから帰って来ると、豆の葉っぱ取りを手伝い
やぶ蚊に刺されながらも、薄暗くなるまで手伝っていた。

けっこうお得意さんがいたんだよね。
13日の日が一番注文が多く、私が会社がお休みの時は
軽トラックに積んで運んで行った事もあって
夫がお休みの時には夫が行った。

うん、なかなか良い塩梅かな。

ピトっとくっ付いてるラブラブ枝豆見っけ!!

退屈なのかちょっかいを出して来る。

その枝豆を売ったお金は孫の為にアイスを買って来たり
食事のおかず代になることもあってとても助かっていた。
だから枝豆の葉っぱ取りくらいは手伝わなきゃね!!

小屋の中にある小さいテレビで、いつもニュースとか天気予報とかが流れて
私は6時半すぎると夕食の支度を始める為に無罪放免になっていた。
小屋の中には葉っぱが取られた枝豆はグラムごとに計って仕分けられ
それをばあちゃんが束ねるのだけど、手伝おうかという私に
いやいや見た目があんだって、自分でやらないと気がすまない
そんな性分なんだったんだ。

葉っぱが丸まっている…なんか怪しいぞ!!

やっぱり~~ なんだろ? 何かの蛾の幼虫のようだが。

そういうとこ私と似てるような気がする。

枝から葉っぱをもいで、パンパンに実が入ってるのと
そうでないのと仕分けをして、良いものを売って
ちょっと売り物にならないような
いわゆるB級品は家で食べていたっけ。

…嫌になるくらい食べた(;・∀・)

生産農家はどこでも同じようだと思う。
ロスというもので、家で食べたり知人にあげたりする。
先日もそういうロス商品となった傷ついたり虫が入ってしまい
売り物にならない桃をたくさんいただいたが
そういうものだってだけで、味は最高に美味しかった。

塩ゆでした枝豆うまうま♪♪

ただ売り物にならないからって処分してしまうのは勿体ないし。

と、話は横道にそれてしまったけど
あの日あの時も、夕方に豆の葉っぱ取りをして
小さいテレビから流れるニュースを聞くともなく聞いていて
なんだか大変な事になったって、暫し仕事を休んでニュースに耳を傾けていた。
坂本九さんも犠牲になった墜落事故。

あれから32年経って三十三回忌になるんだねえ。
この時期になるとこの事故と一緒に
やぶ蚊に刺されながら豆の葉っぱ取りしたことが思い出される。

 

コメント欄は閉じさせていただいてます。

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長女 成人式の思い出

2015-01-13 21:57:27 | 思い出

昨日は成人式の祭日となっているが
昔は成人の日は1月の15日に決まっていたのだけど
なんだかピンと来ない、この日夫の会社は休日ではなく平日であって
朝早くから出勤してった。

朝からすごい雪で、前日の日曜日に成人式が行われた地域はいいけど
昨日だったら着物姿の娘さんは大変だろうなと思った。


裏通りの茅葺の小屋はすっかり雪に埋もれた感じ。 ーヒメの散歩にてー

長女が成人式の日も、こんな雪だったかどうかは忘れてしまったが
とにかく朝早く起きて、予約しておいた美容院へ髪の毛を結ってもらいに行って
その後貸衣装…我が家は振袖は貸衣装で済ませていた。
貸衣装屋さんへと着付けをしてもらいに行くのだけど
人数が多いので、結構時間がかかる。

ようやく着付けも終わり、長女の晴れ姿。
普段スッピンに近い長女も、お化粧なんかもしてもらい
おおぉ~孫にも衣装か、可愛いぞ~~長女!!

ところが、なんか変だぞ??


垣根の雪は融けることもなく重い雪に折れ曲がりそう…。 ーヒメの散歩にてー

そうだ羽のフワフワしたショールはどうした?
いくらなんでも、この1月も15日にショールなしじゃ
外を歩くには寒いだろ…確か一緒に頼んでおいたはずなのだが。

長女が言えないでいるので、私が係員に聞いてみたところ
ちょっとお待ちくださいと、奥に引っ込んで数分。
戻ってきたら、手違いで長女の分のショールを
別な人に渡してしまった…らしい。


まだたくさん残っている柿の実に野鳥が群がる。 ーヒメの散歩にてー

それなら別のでも良いというと、もう在庫がないという。
んじゃ、うちの娘はどうなるんだ??と聞いても
申し訳ありませんの一点張りで、式典の時間も迫っているのに
こんなところで時間を食ってるわけにもいかず
かといって、その分貸衣装の代金を値引いてくれることもなく
なんちゅう貸衣装屋だと、もういいです!!とお店を出てきた。

せっかくの晴れの成人式なのに…汚点だ!!


遠く景色がかすむほどの雪だった。 ーヒメの散歩にてー

家に戻り、知り合いの呉服屋さんに電話をすると
ちょうど一点あるというので、車を飛ばして買ってきた。
その呉服屋さんは、開店前にも関わらずに
親身になって対応してくれ、本当にありがたかった。

それで何とか間に合って、式典にも遅れることなく
無事成人式を済ませ、家で炊いたお赤飯を持って
実家と近しい親戚へのあいさつも済ませることが出来た。

あの時のショールは、まだ車庫の二階の物置に取っておいたはず。

それにしても、無責任な貸衣装屋で
もう二度とこのお店では衣装を借りるまいと決めた日でもあった。

 

 

 

コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばあちゃんとオバちゃん

2014-10-04 00:07:24 | 思い出

ばあちゃんの姉である伯母は齢95歳で、先日静かに旅立たれた。
姉妹だからか、ばあちゃんとすごく良く似ていて
納棺の時など、足まで外反母趾だったり偏平足だったり
ここまで似るものかとビックリするほどだった。

ばあちゃんが元気な頃には、朝仕事からよく実家近くの山まで
キノコ採りに出かけて、そのたびに私は軽トラックに自転車を乗っけて
送って行ったものだった。

当時はクマ出没なんて話もなかったので
安心して出掛けていたのだろう。

10時くらいまでキノコ採りをすると
下り坂をゆっくりと伯母の家まで行って
採ったキノコを半分こして、御茶飲みをしながら
私が迎えに来るのを待っているのが何度も何度もあった。

いつもとこぢんまりとした茶の間の茶だんすの前に座って
良く迎えに来たなと、あれも食えこれも食えと
実の子がなく、いわゆる子持たずというか
養子の息子は居るのだけど、娘はいないからって
実の娘のように可愛がっていただいたのが思い出される。

歯が丈夫で、80歳の時に20本自分の歯があるからと
表彰された事が自慢だった伯母。
やっぱり 歯が丈夫だと長生きできるのかな…^^;

一度だけばあちゃんが寝たきりになって
介護施設でのショートステイへ行った帰りに立ち寄った事があって
車越しに手をさすって…涙をこぼした事が昨日の事の様な気がする。
あれから、ばあちゃんを連れて行ってあげる事も出来ずに
伯母を迎えに行って、ばあちゃんに会わせてあげたかったなと
今さらながら後悔する。

耳が遠く電話で話をしても会話にならずに
それでもボケる事もなく矍鑠としていた伯母。

今はあちらの世界で、ばあちゃんに会えたかな。
手を取り合って積もる話をしているのかもしれないな。
オシャレだったんだよねオバちゃん。
色白で若い時は美人だっただろうに…。

そんな事を思いながら、祭壇に飾られた伯母の顔は微笑んでいた。

 

なんというか、さすがに疲れがたまっていたのかどうか
その後、夜に胃痛を起こして、胃が痛いのって何十年分ぶりか
横になってウツラウツラしているけど、脂汗が出るくらいで
出された精進料理だとか通夜ぶるまい、はたまた初七日のご馳走など
口卑しく食べまくったからだろうか…(~_~;)
何とか数時間後には治まったけど、寄る年波には勝てないなと実感した。

という事で、今回もコメント欄を閉じさせていただきました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津薬用人参と旗を掲げた事の思い出

2013-04-12 22:22:41 | 思い出

先日の新聞に会津のオタネニンジン振興へと推進協議会が発足されたらしい。
朝鮮人参とか薬用人参とか言われているが、正しくはオタネニンジン(御種人蔘)と言い
原産地は中国の遼東から朝鮮半島にかけての地域といわれ
中国東北部やロシア沿海州にかけて自生する薬用植物で
朝鮮人蔘または高麗人蔘とも言われている。

オタネニンジンとは  ポチっと! 

日本では江戸時代から栽培されており、長野県と島根県
そして我が福島県も会津地方だけで、その薬用人参で会津藩財政を支えたとされ
国内ではこの三県でしか栽培されていない。

もちろん我が家も、ばあちゃんが寝たきりになったり
田んぼが圃場整備されるまで作っていたのだが
けっこう手間がかかり、一度薬用人参を作ると10年以上も休ませないと
次の作付けする事が出来ないとされ、土づくりから始めて収穫するまでには
気が遠くなるような6年も7年もかかると言うものだった。


昔は見渡す限り薬用人参畑を覆う黒いシートが見られたものだが…。

なんだか堅苦しい話になってしまったようだが
薬用人参の何たるかは詳しく話すには、まだまだ足りないのだけど
生産から出荷に至るまでの大変な労働力などを必要とする農作物だって事で
だから年々作付けする農家も少なくなっていき
美里町にあった薬用人参組合も解散されたと聞いていた。

会津の特産物で…きっと 薬用人参の天ぷらが食べられるなんて
会津だけの事かも知れないなと思う。
移植用の細い薬用人参を天ぷらにすると
ほのかに薬用人参の香りがして食感はホクホクと芋の様な感じだった。

その薬用人参が、また会津の特産品として振興してくれるのは
地元に住む私としても喜ばしい事ではあった。


すっかりと田んぼばっかりになってしまった今!

今でこそ、陽射しを嫌う薬用人参の畝の上は黒いシートで覆われているが
ずっと昔は、そういうものはなくて、冬仕事にカヤで編んだ屋根に
藁を被せて、竿竹の様なものをその上にあげて、そこを藁で縛る。
いわゆる人参のカダンあげ作業は春一番の作業となっていた。

これがけっこうゴミになる仕事で、私のように不器用な者は
軍手とかゴム手をかけると、上手く縛れなくて
素手でやると手の荒れが甚だしいものになってしまうのだが
とにかく人手が必要で、春特有の午後からは風が強くなる頃の仕事では
風に飛ばされないように押さえながらの作業となる事も珍しくはなかった。


それでも、まだ遠くに薬用人参畑のパイプが並んでいる。

(すみませんね~~長々と…もう暫らくお付き合いください。)

30年ほど前の4月12日を前にして、この年は私が出産間近という事もあり
前日から親戚の伯母とそこのお嫁さんが手伝いに来ていて
家から見える我が家の人参畑での作業に、陣痛が来たらタオルでも振れと!
いやいや、笑い事ではなく、気がかりだったであろうが仕事は休む事は出来なかった。


昔 我が家で収穫し焼酎で保存された薬用人参の瓶詰


まだ10数本残っている。

いよいよ陣痛が始まったのは…確か午後も夕方に近い時刻ではなかったかと記憶している。
棒にタオルを括りつけて、縁側から畑の夫に見えるように…。
今バカな事やってんだ!と思うが、当時は携帯電話などなかったし
薬用人参の作業は待ってくれずに、本当に忙しいさなかの事だった。
手作業が多かったので休むに休まれなかったのだろう…。

痛むお腹を押さえながら、入院準備の荷物を出して待ち
駆けつけて来た夫と産婦人科へと行ったので
手伝いに来てくれた伯母ちゃんとそのお嫁さんに
ご馳走とかしてあげられなかった…なんて事は
後になってから思う事で、結局経産婦だったわりには
一晩陣痛に苦しみながらも生まれたのは次の日の真昼間だった。

今日はそんな思いをして産んだ、我が家の末っ子長男誕生の秘話だった。


今日の一枚 夕日とヒメさまをUP!

 

 

 

コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばあちゃんのだんごさし

2013-01-14 22:16:13 | 思い出

ここんとこ寒い日はあったものの、雪は少なかったのだが
まだまだ会津の冬はこんなものではないって証拠に
朝から雪が降り続けて、ドカ雪ではないにしても
一日中降り続いていた。


ヒメとの散歩中の夫


屋根から降りた雪で、暗くなるまで除雪作業は続いた…。

 

会津には「だんごさし」という風習がある。

だんごさしとは、小正月という女の正月に行われる行事で
だんごを刺して花が咲いたようにし「豊作」や「無病息災」を祈願し
そのだんごは3日後にだんご汁として食べられていた。
また、ミズキは、だんごをさすところから「だんごさしの木」とも言われている。

だから、スーパーでも正月が明けた頃から
だんごさしの木が売られており、それ用の飾りもの。
ダンゴやお飾り…ふなせんべいの大黒様・恵比寿様
千両箱、宝船、まゆ玉、打ち出の小槌
鯛、俵、大判・小判などを下げる。


だんごさしの飾り

また宗教的に言えば「弥勒」と言い、仏の世になると
道端の草木もこのように豊かにみのり
生活が楽になるというので、早くそのような世の来ることを
年始の願いとしたのが、団子さしの由来だとも伝えられているようだ。

と、まあ 調べたウンチクはこのくらいにして。

昔、家の子たちが小さい頃にもだんごさしをやっていた。
大きくなるにつれ、そういう事もしなくなってしまい
…っていうか、固くなっただんごを汁にしたって
あまり美味しい事はないので食べないのだよね~ 
子共はそういうとこ正直だし。


スーパーのだんごさしを盗み撮り!その①

ある年…ばあちゃんが、どこからかミズキの枝を持って来て
だんごさしをするぞ~と、おもむろに部屋の隅に枝を縛り付けて
バリバリっと、小袋入りの飴だのチョコだのを取り出し
糸でお菓子の袋をミズキの枝に下げ始めた。

枝いっぱいに飴だとチョコだのが吊り下げられ
当時のpochiko家の子供たちが歓声をあげて群がり
まずはチョコがなくなり、ビスケットだとか
子供受けする飴など…次々とだんごの代わりに下げたお菓子が消えていく。


スーパーのだんごさしを盗み撮り!その②

結局残ったのはハッカとか黒飴などで
そういうのはばあちゃんが食べていたっけ。

本来のだんごさしの持つ意味とは
かなり違う方向に走ってしまった我が家のだんごさしだけど
孫の為にと、ちょっとでも喜んで欲しくて考えあぐねたのだろう。
それから何年かはお菓子のだんごさしになったのは言うまでもないが
スーパーで飾られているだんごさしを見るたびに思い出すのは
ばあちゃんのだんごさしだった。


今日の一枚 先日に見た日の出風景をUP!

 

 

 

 

コメント (44)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康食品にハマる!

2012-11-17 22:38:06 | 思い出

とは言っも私の事ではないが、昔 まだばあちゃんが私くらいの年代だった時!
って、私の年齢をハッキリとは出していないので
いったいいくつなの~~!!と思われる方がいたら
一応女性なので年齢は聞いてくださるな…とか(笑)

まあ、中高年には間違いないところで
ここ最近血圧が高めだとかコレステロールがどうのって
血管年齢が実年齢よりも上回ってるとかってのもあった。
体重を減らせ~~体重を減らせ~~と、まったく耳タコの私。

せめてもと、少しでも野菜を多く摂取しようと
先日は春菊の胡麻和えだとか、柚子味噌のふろふきき大根だとか
肉は少なめにして、魚をガッツリと…っても今安い秋刀魚とかだけど
少しは気を付けている…つもり。


紫色に紅葉?いや紫葉した紫陽花

そうそう、健康食品の話だが、数十年前に健康食品にハマっていたばあちゃん。

最初は焼き立ての自然食のパンか何かをくれるって事から始まった。
自然食のお話を、ホンの15分程度聞いて来れば
デカイ自然食のパンがお土産にもらえるのだと
シッカリとパンをゲットして来たばあちゃん!味をしめたのか
次の日は○ード卵だからと、出掛けて行き
この時もシッカリとものにして…終いには、お母さんも行くべ!と。

まあ、私もタダでもらえるのに抵抗があるわけでもなく
タダより高いものはないって言うのだけどね^^;

せいぜい20分ほど健康についての話を聞いて来れば
パンや○ード卵…確か麺類の時もあったっけか
ともかく毎日何がしかのプレゼントがあると言う
うさんくさいと言えばうさんくさい話なのだが。


エンジェルトランペットが今頃に咲くとは思わなかった。

まあ、多少なりとも健康…というよりも健康食品の話をして
売らんかな作戦で…ばあちゃん欲の皮が突っ張ったか!
夕方からの時間帯だったので、会社が終ってから立ち寄るのだけど
だんだんと話が長くなって、最初は15分ほどだったのが
そのうちに30分45分と、夕食の支度をする時間が削られて行くので
結局3回ほど行って後は行く事はなかった。

まあ、おかげで次女は○ード卵で好きな卵かけご飯を
たらふく食べられた証拠に、食堂のイスの背には
ヨード卵のシールがズラッと貼られていたのだけどね(~_~;)


まだ咲いているタチアオイ

すっかりとハマったばあちゃんは、そのうちに健康の為にと
だんだんとクロレラとかロイヤルゼリー、スクアレンなどを買う様になった。
今は安くなったかと思うが、当時はけっこうな高額で
それをいくつも買いこんで、健康に良いからと飲んでいた。

まんまと敵の作戦にハマってしまったようだ。

そのうち羽毛布団だとか磁気入りの敷布団などにまで手を出して
市内に店舗を持っているから安心だと…いったいいくら使っただろうか。
健康食品だって薬ではなく健康補助食品だもの
良いか悪いかは別として、普段の生活が大事なんだよね。
不摂生をしてて、クロレラを飲んだって役には立たないよな~。

ばあちゃんが倒れて入院をして、三カ月後の在宅介護になる前に
介護しやすいようにと入った部屋の押し入れには
まだ飲みもしなかった健康食品がたくさん残っていたが
すっかり賞味期限も切れて廃棄するしかなかった。


ヒメの散歩にて…。

健康食品山ほど買いこんだって、癌や脳梗塞になる人はなるし
ならない人はならないし…しかも真面目に飲んでなくて
健康食品を買ったってだけで健康になったと勘違いするのかもしれない。


夕暮れの風景

確かに年老いて来ると病気にはなりたくない長生きをしたいと思う。
60代前後の頃に、よく言っていた言葉は
あと何年生きられんべなあ…のセリフ。
私も同じような年代になって同じような事を思う時がある。
そういう心の隙間に忍び寄る健康食品の誘惑。

それが悪いとは言わないけど
それだけに頼るようにだけはなりたくないなと思っている。


という事で、雪化粧した磐梯山をUP!

 

 

 

 

コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

糸を引いたトンカツの思い出

2012-08-10 22:48:07 | 思い出

このところ気持ち涼しい日が続いて、このまま秋になってしまうのかしら。
いえいえ、この陽気侮れなく、きっと暑さがぶり返しそうな気がするのだけど…。

こういう暑い時には揚げものはしたくない私。
キッチンは灼熱地獄なのにトンカツを食いたいとのたまう輩がいる。
なので、たかだか3枚、スーパーの出来あいので誤魔化した私。
家で揚げたらもっと美味しいんだろうけど…勘弁ね

そのトンカツをみると思い出す事がある。
と、特に意味はないのだが、ペットの写真と一緒に読んでいただきたい。

それは何十年か前の事になるのだが
当時我が家も薬用ニンジンなるものを栽培していた。
薬用ニンジンは作付けをしてから掘り取るまでには
土づくりから数えると6~7年の年月を要する。


木陰で死んだように眠るポチコ

まあ、セミみたいなものだが、なかなか細かい作業が多くて
ばあちゃんが倒れて寝たきりになってから、手間がなくて作付けをやめた。

今は黒いダイオシートで屋根を張り、日に当てない様にしているのだが
昔は山へ萱を刈りに行って、その萱を冬仕事に屋根の部分を編んでいた。
晩秋には屋根を外して、また翌春に使う様にと縛って積んで置く
けっこう埃仕事だった。


イケメン好きのしゅう嬢、こんどはダルビッシュ!

…と、前置きが長くなってしまったが、長い年月を経て収穫する時には
結いと言って、お互いに手伝いをする家が何軒かあり
いつも8月の末頃から9月にかけて収穫をするのだが
日に当たるのを嫌う為に未明からの作業となっていた。

だから~ トンカツはどうした!!と思われるだろうが
もう少しお待ち願いたい。


今年は夏バテせずに気持ちふっくらのヒメさま。

未明からの作業で収穫が終わる頃に朝ご飯になる。
その時はおにぎりと…どういうわけか鮭ではなく塩マスの切り身を焼いて
キュウリとかナスの漬物をお茶で済ます簡単な朝食だった。

そして朝食の後には、収穫後のローズ切りというのだが
茎の部分を切り取り、サイズの仕分けと…全て終わるのが昼近く。


長ネギの畝にすっぽりとはまり込んでるポチコ…ホンっと外好き!

それからお酒と刺身とかのご馳走が振舞われるのだが
サラダや煮物を作ったり、そこにお膳というか
簡単なオードブルが一人ずつ付けるのが常で
ちょっとお祭り気分的な所があった。

そのお膳は前もって注文をしておき
当日時間を合わせて届けてくれる事になっている。


それに反して引きこもりのしゅう嬢…おうちが好きなの。

たいがいは、それには手を付けずにお持ち帰りしていたのだが
手伝いの人が帰った後に、お膳のトンカツを食べた夫が吐き出し
なんかヌルヌルするんだけどと、よく見たら糸を引いていた。
たぶん…暑さの為に腐ってしまったのではないだろうか。

当時は仕出し屋なんてあまりなかったので、近隣の魚屋さんとかに頼む事もあり
前日に作り置きしていたのだろうか…(~_~;)
すぐに持ち帰ったお膳を食べない様にと電話をして
魚屋さんを呼んだ…魚屋はお詫びにと鯖かなんかの缶詰をひと箱持って来た。


鼻でかのヒメさま!

手伝いの人に持って来た缶詰を配って事なきを得たが
あのお膳は新しいものと交換したんだったけか?忘れてしまったけど
今だったら保健所が来て営業停止一週間とかあったよね。

すでに時効で、その魚屋さんも今は無くなってしまったが
買って来たトンカツを見て思い出した、あんな事もあった昔の事だけど…。


という事で先日の夕暮れ風景をUP!

 

 

 

コメント (32)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする