介護de しあわせになる日記

親の介護、つらいばかりでもなし、やってみないとわからない“しあわせ”もあります

ご訪問ありがとうございます



2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。

在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。



想い出辿り

2017-05-14 17:47:01 | 日常よもやま話

去年は桜を見るのがつらかったけれど、今年はそんなことはありませんでした。
1年前に特養の相談員さんが、「お母さまの写真と一緒に花を見に行かれたら・・・」と言ってくれたことがずっと心に残っていて、これからは、かつて母と一緒に行ったいろんな場所へ思い出を辿りに出かけてみようかと考えるようになりました。

その手始めに、母と父と3人であるいは母と2人で、何度も何度も行った昭和記念公園。

この部分は30年前の開園当時から変わっていないから懐かしい。



ここには来たことがなかった・・・睡蓮の池。


車椅子の人を家族が押して歩いているような人を見ると、胸が締め付けられる・・・やっぱりポピーの所へ行くのはやめよう


初めてのネモフィラの丘だけ見て帰りました。















父が丹精していた実家の庭の芍薬。 毎年一つか二つしか咲かなかったのに、父がいなくなってからなぜかいくつも咲きます。



バラも枯らさないようにちゃんと手入れを続けてるから、ちゃんと今年も咲いてますよ。



畑もちゃんとやってます。 近所のオジサンたちに指導されながら

こんなに頑張ってる私達の姿を見せたいくらいです。



この花も年々増えてるみたい











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お彼岸

2017-03-26 21:09:21 | 日常よもやま話

今回も彼岸の入りから彼岸明けまで7日間、上の姉と二人で毎日留守番しました。 いちおう誰がいつ来るかわからないので。

こんなん用意して待ってました・・・これでも私としてはすごい進歩です。 再び、ぼた餅を作る気力が出てきました。
やっぱり手作りは というか私は自分で作ったのじゃないとアンコが食べれないので





すっかり弱くなった叔父も、「迎えに来てくれるか・・・?」と電話をくれました。 行きますとも行きますとも。 車でほんの2~3分です。 さすがに今回はすぐ帰りましたが。 作っておいたものは全部お持ち帰りしてくれました。

叔父の家のボケの花が見ごろでした。



これはお寺のしだれ桜です。 咲きそろうとアマチュアカメラマンが押し寄せるほどきれいなんですよ。



彼岸明けの前日に叔母二人が来てくれましたが、さすがにもうご馳走はネタ切れ。

今回は、着物の箪笥とは別の押し入れの奥にあった古いケースを叔母たちに見てもらいました。 なんと、母がお嫁入りしたときの花嫁衣裳があったんです。 昭和25年ごろのものですが金糸がふんだんに使われた豪華な刺繍が美しいままでした。
それと、私たち3人の七五三の着物。 最近の若い人が好む成人式の鮮やかな色使いの着物のようで、大正ロマン的でもあり懐かしくもあり、ケースに保存してあったので虫の被害もないんですよ。 昔の正絹のものというのはどこか違います。
いずれ、なにか機会があれば、どこか歴史的なところへ寄贈したいくらいです。
写真撮るの忘れてた・・  保存のために、次に出す時までケースは開けずにおきますね。

そんなことで特に疲れることはしてないんですが 七日間のお彼岸が終わったらドッと疲れが出て
やっぱり年ですね




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インターネット解約

2017-03-13 10:53:18 | 日常よもやま話

こちらにはご無沙汰しましたが、おかげさまで変わらずやっております。
もうすぐ春のお彼岸ですね。 このお彼岸は、いつも来てくれる叔父(父の弟)もさすがに80代半ばすぎて体調崩しがちになり、下の姉も来れないし寂しいお彼岸になりそうです。 姉は現在は抗がん剤治療の真っ最中で、本当に大変そうです。 まだまだ長い闘いになるでしょうが、信じ続けるしかありません。


タイトルのインターネットですが
思えばちょうど10年前の2007年春に、実家の地域に光ファイバー回線がやってきて、私もすぐに実家に引いたのでした。 その数か月前から自宅のPCを使ってこのブログを始めていたのですが、実家でも光でサクサクできるようになって嬉しかったのをよく覚えています。 今はソーシャルメディアがたくさんありますが10年前当時はいくつかしかなくて、ブログ全盛期(?)という感じでした。
母の介護はそれより6年前からしていましたが、介護の悩みや葛藤について話す機会はなかったのが、ブログで語るようになって心が開放され癒されていったのは事実でした。
夜、母をベッドに寝かせて一日の介護が一段落してからPCに向かうひと時、母から呼ばれないか気にしながらブログ友さんたちのブログを読んだりコメントを書いたりする時間は幸せでした。 今でも実家のPCがある机に向かうと、当時のように母が私を呼ぶ声やナースコールのピンポンが聞こえるような気がします。 「気がします」と書きましたが、実を言うと本当に聞こえるんですよ。 あ、べつに全然“怖い話”とは違って、長年ずっとそういう時間を過ごしてきたから、耳に付いたままなんだと思います。 実際にはきっと外の風とか道路の音が混ざって、本当に母の声に聞こえるんです。 不思議ですね。
介護生活の後に残っているのは、声が染み付いた自分の耳と、力仕事で蓄えられた筋肉。 腕や肩の周りなんかスポーツ選手みたいにムキムキですよ なんの役にも立ちませんが。

話がそれましたが、インターネットは使うことが少なくなったので、毎月の通信料がもったいないから解約しました。
インターネットは電話回線なので、電気やガスなどと違って電話加入権というのが昔からあるんですよね。 それが父の名義のままになっていたので、まずその加入権の承継というのをしなければなりません。 久しぶりにまた相続手続きみたいなことをやってからインターネットだけ解約、プロバイダも別の手続きが必要でかなり面倒だったのですが、最後にNTTの人がモデム回収の工事に来て終わったとき、 なんだか10年前からのその時間を思い出して感慨深いものがありました。 工事そのものはほんの数分で終わって、「どうも~」なんて工事の人が10年前のルーターを持ってすぐ行ってしまったのですが、それがあっけなくて拍子抜けしたというのもあって、可笑しくさえありました。

こんなことでいちいち感傷にふけってたら、いつまでたっても実家が片付きませんよね。

念のために・・このブログは自宅のほうのPCで普通にできるのでこのまま、まだ、しつこく、気まぐれに、続けているつもりです。








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来る年が穏やかな年になりますように

2016-12-24 18:13:24 | 日常よもやま話

今これを書いているのはクリスマスですが、 もうすぐまた1年が終わりますね。
皆様にとってどんな1年でしたでしょうか。


私はといえば、 母を見送ってから1年。 父が逝ってから2年も過ぎたなんて嘘のようです。
今年は、最近は、闘病中の姉のことばかり考えているせいもありますが、まだ何か楽しむ気持ちにはなかなかなれません。 
介護していた時のほうがよっぽど時間つくって出かけたりしてましたよ。
というか今は、誰も住んでいない実家と畑などを管理していくことが忙しすぎて。
田舎な所で一軒の家を管理していくことがこんなに大変だとは。
上の姉と交代でやっていますが、 畑のこと、ご近所とのこと、最近は落ち葉掃きに追われていました。 近くに大きな落葉樹があって、風が吹くと雪のように葉っぱが降ってきます。
冬のうちに庭の木の枝を切ったり、家の外回りを掃除したり、やることはいくらでもあります。
落ち葉で堆肥をつくればいいのでしょうけどまだそこまで余裕がなくて、ゴミ袋に溜めた落ち葉が常に7~8袋ほど物置に・・
落ち葉や雑草は無料で収集してもらえますが一度に2袋までなんですよね。 たぶんどこの地域でも同じような決まりなんじゃないでしょうか。
両親がいた時のように、できれば空き家じゃないかのように維持していたくて。
大変でもこうして毎日のように実家に入り浸れるのも幸せなことなのですよね。 実家があってもいろんな事情で自由に行けない人もたくさんいるし、うちの下の姉のように行きたくても行けない人も沢山いるのでしょうね。

だから私は、自分が今していたいことを、こうして毎日していられるように、元気でいなければいけないと思っています。
自分が動けること、 私がしたいように自由にさせてくれている夫にも感謝しながら。

これを読んでくださった方にも、この聖夜と年越しと、どこかで心安らげる時を持つことができますように・・・いつも願っています。





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♪涙の数だけ・・

2016-10-26 22:10:32 | 日常よもやま話

♪強くなれるよ  アスファルトに咲く花のように 
見るものすべてにおびえないで  明日は来るよ 君のために・・・

今59才の姉(下の姉)が若い時に大きい手術をした時、当時まだ子供だった二人の娘が泣きながらこの歌を一緒に歌って耐えていた
というのを思い出したのは
・・姉が今度は違う部位のがんになってしまって・・今は大人になった娘が一緒に医師の話を聞きに行って、やっぱりまた泣いてしまった。
って

私が聞いたのは9月でしたが、姉が症状に気づいて病院へ行ったのは7月で、それからずっと娘達や夫が付き添ってくれていたということですが、
たくさんの検査をして
医師の話では、検査結果を見るととても良くないもので・・・なんだか絶望的に思える結果で、
「もう少し早く見つけていれば・・」って言われて
姉は「悔しくて・・・」って
だって、がんを経験をしたから、もちろん検診も毎年受けていたから、今年も春に受けて、
何もないから次は2年後でいいですよ
って言われてから、半年も経たずにまた検診に行く人はいないでしょう って。
・・・でも症状が出て気づくほどのがんが出来てしまっていた。(すみません。検索してもらっても役に立たない内容なので、病名わかりにくく書いています。女性特有のものです。〇ンモグラフ〇ーとかで検診する所です。)

でも、なんかそういう話たびたび耳にしますよね。 あの検診て、どうなんでしょうね。

本人は、気付いてから診断が出るまででもすでに精神的に参ってしまっていて、
でも、家族や姉妹じゃなく自分で良かった。 って。
でも心配する立場もとても辛いのも知ってるから、心配させてごめん・・・ でもお父さんとお母さんにはまた心配かけることにならなくて良かった・・ って。

そんなこと言われたら私も一緒に泣きたいくらい辛い・・・けど、
私が泣くところじゃない。 いちばん辛いのは本人であり娘たちだ。

私には出来ることは何だろう・・・
こんな時にきょうだいというのはしたくても何もできないものなんですよね。
代われるものなら代わりたいけど・・・気持ちだけは
姉にもしものことがあったら と考えると、母や父の時ともまた全然違う辛さ・・・体のどこかを持っていかれてしまうような、もがれてしまうような、そんな不思議な感覚・・・とてもつらい。

でもそんなこと考えちゃいけない!
絶望的みたいに言われても、きっと助かる道はあるはず・・・

って、私はこれまでに増して、誰もいない実家に入り浸って 母と父、ご先祖様にお願いし続け・・・
10月になって、さらに詳しい検査結果が出たそうで、
やはりとても悪いものではあるが、効く可能性がある薬がある、って!

そして先日、姉は女性としてもとてもつらい大きな手術を受けました。 手術途中で予定外の事もあって時間がかかったけど、無事に終わった、 と知らせを聞くまでは私も上の姉も気が気じゃなくて。

本人は、むしろこれから始まる長い長い治療への不安が大きいようです。 うまくいくかどうかもわからないし・・・

手術前に私と上の姉で面会に行った時、
知人や有名人が同じ病気を克服した話とか、 あの「まおさん」も若いけどすごい頑張っているよ、とか、
姉も、自分では見れないんだけど まおさんのブログを娘が読んでおしえてくれる、って。

何年も経って、思い出話になればいいんですけどね・・・

本人が、心配かけまいと明るいメールを送ってきたりするので、 私も前向きにならなきゃいけないなと思うようになりました。
誰もみんなそうなんですよね。
それぞれに胸の奥に深い哀しみや不安を抱きながら、
前を向いて笑顔で生きているんですよね。

自分にできることを、目の前にあることを一生懸命やるだけ・・・心を込めて。
介護していた時もそうでした。

しばらく落ち込んでましたが、今は私は元気です やっとここまで考えたところです。
非常に個人的な近況でした。




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