介護de しあわせになる日記

親の介護、つらいばかりでもなし、やってみないとわからない“しあわせ”もあります

ご訪問ありがとうございます



2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。

在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。



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元気になあれ・・・

2017-08-28 16:25:27 | 日常よもやま話

いまごろですが   残暑お見舞い申し上げます。
お変わりなくお過ごしでしょうか。 私のほうはすっかりブログの更新を怠っておりますが、皆様のご健勝をいつも祈っています。

私のほうは相変わらずこの夏も、上の姉と二人で細々と野菜を作ったり、近所に迷惑をかけない程度に実家の草むしりなどしています。
でも畑のほうは、去年よりはだいぶ楽なんです。 春に、かつて父が使っていた大きいトラクターを、いつもなにかと関わってくれる近所の人が譲ってほしいと言うので、中古といっても破格の(?)値で譲ったのです。 まあどうせ我々にはトラクターを動かすなんて芸当は出来ませんから値段は気持ちだけでよかったんですけどね。
そしたらその人が思いのほか感謝してくれて、そのトラクターをメンテナンスしてピカピカにしちゃって!ちゃんとナンバーも取って!(ナンバー取らないと公道を走れないから不便なんだそうです)、
たびたび私達の畑もついでにキレイに耕うんしてくれるんです。 畑が広いので野菜をつくってるのは全体の20%ほどですから。 去年は使ってない部分も草むしりしていたのでそれがすごく大変だったわけです。 助かっちゃってます。

ところで私はいつも簡単なのでキュウリを作るんですが、最近そろそろ終わりかな~ よく食べたよね~ って感じになってきたと思ったら、
なんだか急に茎がぶっとくなって、キュウリの2倍くらいのおおきい葉っぱが茂ってきたと思ったら、
こんな花が咲いて

しぼんだところですが大きいんですよ。

と思ったら、

こんなんが出来てきました。



どうみてもキュウリじゃないよね。

接木苗だから根元から違うのが伸びてきちゃったのかな。 もしかしてズッキーニだったらうれしいな



ところで去年までなにかと面倒を見てくれた叔父は、だんだんだんだん体が弱ってきて、この夏に何度目かの入院をしたまま、ついに老健に入所しました。 希望している特養に空きが出れば移るそうです。
叔父の妻はだいぶ前から軽い認知症でやはりお世話が必要だし、叔父ももう87歳かな・・なかなか家にいるのは難しいようです。
家にいる息子がほとんど一人でよくやっています。 私の一つ年下の従弟になるわけですが、この従弟、Mというんですが独身貴族で趣味に生きてるような人で、
近くにいるもう一人の従弟Tは若いうちから家庭を持って私の父と母をも慕ってくれていて、なにかの折には度々話すことも多くて私も特に父がいなくなってからは実の弟のように頼りにしてしまっているのですが、Mのほうとはそれこそ何十年も、挨拶程度しかしませんでした。 子供のころは3人でよく遊んだのにね。なんてTと話したこともありました。
でも叔父がそんなふうでうちの実家に顔を見せなくなったので心配になって、おもいきって叔父の家に行ってみたらちょうどMが庭にいたので聞いてみたわけです。
そうしたら意外にMがいろいろ話してくれて、介護保険に関してや特養の待ち人数に関してとか、叔父の状況ももちろん、いろんなこと、話して数分もすれば子供の時に一緒に遊んだ時に戻ったように、いろいろたくさん話しました。
Mが長い間、両親の世話と向き合ってきたこともよくわかったし、家で母親の世話もしながら父親(叔父)にもできるだけ希望の場所を探し回っていることもわかって、「オヤジ、今は〇〇病院の5階東病棟にいるからいつでも行けば会えるよ」と言ってくれたので、その数日後に姉と二人で会いに行ってきました。
私にとっても母のことで馴染み深い病院、叔父は4人部屋のとても眺めの良いベッドにちょこんと座っていました。
「富士山も見えるぞぉ♪」なんて笑顔も見せてくれて、少し話してから私たちが帰ろうとすると、「帰るのか?・・・」とベッドの近くから外へ出ないようにセンサーマットが敷いてあるのにそれをまたいで部屋の入口のドアにつかまって「握手、握手」と私たちの手を握って、見送ってくれていました。 ナースステーションの目の前の部屋だったから、当然すぐに看護師さんたちが飛んできてベッドに押し戻されてましたけどね。
お彼岸の頃になったらまた、こんどは老健か特養へ、会いに行ってみようと思います。
Mともその後も気軽に電話できるようになったし、Mのほうもケアマネのこととか、老健で請求される費用をいかにして節約してかつ居心地よくさせるかとか、話してくれます。  たしかに、私もそうでしたけど実際に介護しながらそういうお喋りができる相手っていないもんですよね。


ところで下の姉のことですが、その後どうなってるか心配してくださっている方もいるかもしれませんが、詳細を語ると長くなるし控えておきます。 7月に、ちょっとかなり心配で眠れない晩もありましたが、今はとりあえず落ち着いて自宅で療養生活しています。 外へ出かけたくてもほとんど出られない姉のために、畑でとれた野菜をよく洗って(土や花にも触れないようにしなければいけないそうなので)袋にいれて姉の家の玄関ドアの前に黙って置きに行ったこともありました。 置いてからメールするんです。
同じ病気の有名人のホクトさんが、近くで野菜作りをしている両親がたびたび黙って家の前に野菜を置いていたことがあって、傘地蔵のようだった  とテレビで話していたのを見ましたが、やっぱり考えることはみんな一緒なのかなと。

願うことは誰も同じだけれど、どうか願いが届きますように・・・・
うちの姉も、叔父も、
ずっと会っていないけれどここで出会えたあの人も、あの人も、あの人も。
元気になあれ。 元気になあれ・・・
少しずつでもいいから。
気持ちよく過ごせる日が来ますように。
幸せを感じる日がありますように。






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実家の隣の・・

2017-06-08 11:19:07 | 日常よもやま話

このブログでもたびたび登場させてきた実家の隣のおばちゃんの近況。
何年前だったか?心臓の大きな手術をして長く入院したときは猫がいたので、私が頼まれて鍵を預かって毎日猫の世話といってもエサあげるくらいだけどしてたっけ・・その節は、猫のことでブログ友さんたちからもいろいろ教えてもらって助かりました。
その後は落ち着いてて毎日朝晩ヘルパーさんが来て食事の支度などしてもらって元気に暮らしている。
それが4月の中旬くらいに、高齢者にありがちな大腿骨骨折して入院。
めでたく5月末に退院して家に帰ってきた。 80過ぎて一人暮らしで、また家に帰って暮らせるって幸せなことですよね。
おばちゃんは自宅での生活が望みだからいいけど、もしも施設での生活を望んだとしても最近はますますお金がかかるようになってしまったし大変だと思います。

私は今は実家に毎日行ってるわけじゃないので昔よりもかなり控えめにお手伝い・・時々“おつかい”してあげるだけ。
キーパーソンは車で30分くらいの所に住む姪御さん。 その人も60代だしいろいろ忙しい人だから何かあれば来るという感じ。
今回の入院では近所のKちゃん(やはりこのブログでも何度か登場させましたが昔タマさん(仮名)ていう認知症のおばあちゃん(Kちゃんのお母さん)を長く介護してた。やはり60代。)がカギを預かって家の中、冷蔵庫の食品を処分したり掃除してあげたりしてた。
退院する前の日、私の姉が実家にいたらKちゃんが(おばちゃんが)明日帰ってくるからね~!と声をかけられたと
退院当日は私がいたら10時半ごろKちゃんが来て、「ねえ!まだ来てないからさあ、アタシはパート行かなきゃだからさ、来たら頼むよ!」って
ほどなくして、おばちゃんが姪御さんと姪御さんの息子さんが運転する車で帰って来た。
私も一緒に家に入っておばちゃんと姪御さんと3人で荷物を片付けながらのオバサントーク
夕方にはヘルパーさんが入ってくれる手配だから食材だけは揃えといてと言われているということで、私は午後にまた登場して買い物の相談。 そこへパートを終えたKちゃんも登場してパワーアップお喋り
元気だよね~ いやいやカラ元気カラ元気。 って、みんなこの年になれば持病やら体調を抱えながらカラ元気出してるだけなのよね。

いろんな支払いやらは姪御さんが手配してあげて、私は生協の宅配再開の手配、食材の買い物、お米といで炊飯器に仕掛けて、あとはゴミの日に傷んだ冷凍品を出しに来てあげるからね~
と、おばちゃんは座ってテレビ眺めてるうちに家での生活が元通り。
そこまでしてあげるの?と思われるかもしれませんが、たとえば食材の買い物でも、私は昔から行ってあげてるから本人に聞かなくてもだいたい必要なもの、好みのものをすぐに手に取れるから早いだけ。
それでも隣のおばちゃんというのはホントに幸運な人だなあとしみじみ思った次第です。
私も子供がいないけれど、もしもおばちゃんくらい年を取ってもしも独りになっていたら、とても姪や甥に病院などでの身内の役割をさせることはしたくないなあと思いますが。 私たちの年代ではそう思ってる人が多いですよね。
それでも年を取れば誰の世話にもならないわけにはいかなくなる。 こんな、私たちのような近所の人がいるのが一番なのでしょうが 近所付き合いというのもこれからは難しくなる一方かもしれませんね。
そこを介護保険サービスなどでカバーできれば最高ですがとてもそうはいかないのが現状。 せめて利用する事業所はなるべく家の近くで緊急の時に対応してくれる人がいる所、というのが理想ですね。


  


ガラッと違う話ですが 先月の話ですが、広島×巨人戦に行ってきました。 チケット購入が新聞屋さん経由ですごく簡単なのですが十何年も二十年くらい?行っていませんでした。 

これも書いたことありますが、母がずっと巨人ファンで、車いすで座っていられる元気があった時はシーズン中は毎日テレビかラジオで楽しんでいました。 それに付き合うのも大変でしたけど でも巨人が勝つとものすごく喜んで、もう父が寝ている部屋の前で「勝ったよ!!」って起こしたり そうすると父も「よかったなあ!」って起きてきて母の頭をなでて話を聞いてあげたり。
車椅子生活になる前に楽しんでいたことがほとんど出来なくなってしまって、テレビ観戦という唯一できることに熱中したのでしょうね。 ケアマネさんやデイの人は「好きなことがあるってスゴイことですよ」っていつも言ってくれていましたっけ。

球場で見ているとどうしてもそんなことばっかり思い出して
この日は巨人が大敗してたんですが、こんなとき母ならどう言ってたかな、きっとこんなふうに悔しがってたかな、とか、そのつもりで行ったんじゃないんですが思い出辿りの一つになってしまいました。

しかし! カープの勢いはスゴいです。 東京なのに球場全体に赤いシャツの人だらけでしたよ。 応援もカープファンのほうがはるかに大きかった そこに感動してしまいました。
夫も私も勝ち負けはどちらでもいいんですが スポーツ観戦は開放感が魅力です。


ほら。客席真っ赤でしょ



記録的連敗にこの二人(?)も苦悩してるそうですよ。











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想い出辿り

2017-05-14 17:47:01 | 日常よもやま話

去年は桜を見るのがつらかったけれど、今年はそんなことはありませんでした。
1年前に特養の相談員さんが、「お母さまの写真と一緒に花を見に行かれたら・・・」と言ってくれたことがずっと心に残っていて、これからは、かつて母と一緒に行ったいろんな場所へ思い出を辿りに出かけてみようかと考えるようになりました。

その手始めに、母と父と3人であるいは母と2人で、何度も何度も行った昭和記念公園。

この部分は30年前の開園当時から変わっていないから懐かしい。



ここには来たことがなかった・・・睡蓮の池。


車椅子の人を家族が押して歩いているような人を見ると、胸が締め付けられる・・・やっぱりポピーの所へ行くのはやめよう


初めてのネモフィラの丘だけ見て帰りました。















父が丹精していた実家の庭の芍薬。 毎年一つか二つしか咲かなかったのに、父がいなくなってからなぜかいくつも咲きます。



バラも枯らさないようにちゃんと手入れを続けてるから、ちゃんと今年も咲いてますよ。



畑もちゃんとやってます。 近所のオジサンたちに指導されながら

こんなに頑張ってる私達の姿を見せたいくらいです。



この花も年々増えてるみたい











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お彼岸

2017-03-26 21:09:21 | 日常よもやま話

今回も彼岸の入りから彼岸明けまで7日間、上の姉と二人で毎日留守番しました。 いちおう誰がいつ来るかわからないので。

こんなん用意して待ってました・・・これでも私としてはすごい進歩です。 再び、ぼた餅を作る気力が出てきました。
やっぱり手作りは というか私は自分で作ったのじゃないとアンコが食べれないので





すっかり弱くなった叔父も、「迎えに来てくれるか・・・?」と電話をくれました。 行きますとも行きますとも。 車でほんの2~3分です。 さすがに今回はすぐ帰りましたが。 作っておいたものは全部お持ち帰りしてくれました。

叔父の家のボケの花が見ごろでした。



これはお寺のしだれ桜です。 咲きそろうとアマチュアカメラマンが押し寄せるほどきれいなんですよ。



彼岸明けの前日に叔母二人が来てくれましたが、さすがにもうご馳走はネタ切れ。

今回は、着物の箪笥とは別の押し入れの奥にあった古いケースを叔母たちに見てもらいました。 なんと、母がお嫁入りしたときの花嫁衣裳があったんです。 昭和25年ごろのものですが金糸がふんだんに使われた豪華な刺繍が美しいままでした。
それと、私たち3人の七五三の着物。 最近の若い人が好む成人式の鮮やかな色使いの着物のようで、大正ロマン的でもあり懐かしくもあり、ケースに保存してあったので虫の被害もないんですよ。 昔の正絹のものというのはどこか違います。
いずれ、なにか機会があれば、どこか歴史的なところへ寄贈したいくらいです。
写真撮るの忘れてた・・  保存のために、次に出す時までケースは開けずにおきますね。

そんなことで特に疲れることはしてないんですが 七日間のお彼岸が終わったらドッと疲れが出て
やっぱり年ですね




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インターネット解約

2017-03-13 10:53:18 | 日常よもやま話

こちらにはご無沙汰しましたが、おかげさまで変わらずやっております。
もうすぐ春のお彼岸ですね。 このお彼岸は、いつも来てくれる叔父(父の弟)もさすがに80代半ばすぎて体調崩しがちになり、下の姉も来れないし寂しいお彼岸になりそうです。 姉は現在は抗がん剤治療の真っ最中で、本当に大変そうです。 まだまだ長い闘いになるでしょうが、信じ続けるしかありません。


タイトルのインターネットですが
思えばちょうど10年前の2007年春に、実家の地域に光ファイバー回線がやってきて、私もすぐに実家に引いたのでした。 その数か月前から自宅のPCを使ってこのブログを始めていたのですが、実家でも光でサクサクできるようになって嬉しかったのをよく覚えています。 今はソーシャルメディアがたくさんありますが10年前当時はいくつかしかなくて、ブログ全盛期(?)という感じでした。
母の介護はそれより6年前からしていましたが、介護の悩みや葛藤について話す機会はなかったのが、ブログで語るようになって心が開放され癒されていったのは事実でした。
夜、母をベッドに寝かせて一日の介護が一段落してからPCに向かうひと時、母から呼ばれないか気にしながらブログ友さんたちのブログを読んだりコメントを書いたりする時間は幸せでした。 今でも実家のPCがある机に向かうと、当時のように母が私を呼ぶ声やナースコールのピンポンが聞こえるような気がします。 「気がします」と書きましたが、実を言うと本当に聞こえるんですよ。 あ、べつに全然“怖い話”とは違って、長年ずっとそういう時間を過ごしてきたから、耳に付いたままなんだと思います。 実際にはきっと外の風とか道路の音が混ざって、本当に母の声に聞こえるんです。 不思議ですね。
介護生活の後に残っているのは、声が染み付いた自分の耳と、力仕事で蓄えられた筋肉。 腕や肩の周りなんかスポーツ選手みたいにムキムキですよ なんの役にも立ちませんが。

話がそれましたが、インターネットは使うことが少なくなったので、毎月の通信料がもったいないから解約しました。
インターネットは電話回線なので、電気やガスなどと違って電話加入権というのが昔からあるんですよね。 それが父の名義のままになっていたので、まずその加入権の承継というのをしなければなりません。 久しぶりにまた相続手続きみたいなことをやってからインターネットだけ解約、プロバイダも別の手続きが必要でかなり面倒だったのですが、最後にNTTの人がモデム回収の工事に来て終わったとき、 なんだか10年前からのその時間を思い出して感慨深いものがありました。 工事そのものはほんの数分で終わって、「どうも~」なんて工事の人が10年前のルーターを持ってすぐ行ってしまったのですが、それがあっけなくて拍子抜けしたというのもあって、可笑しくさえありました。

こんなことでいちいち感傷にふけってたら、いつまでたっても実家が片付きませんよね。

念のために・・このブログは自宅のほうのPCで普通にできるのでこのまま、まだ、しつこく、気まぐれに、続けているつもりです。








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